第二話:無銭飲食と、ソーン橋への進撃
ゲームは順調に進んでいた、そして突然事件は起きる。
レナ達は保安要員の顔に変わる。
「——出目、6! よしッ、第101空挺師団『スクリーミング・イーグルス』がソーン橋の占領に成功! 第30軍団の先鋒・近衛機甲師団、前進ッ!」
店内の一角で、常連の佐藤がテーブルを拳で叩いて歓声を上げた。盤面上では、連合軍を示す緑色の小さなカウンター群が、オランダの田園地帯を貫く一本の幹線道路を力強く北上していく。
「くっ……さすがは米軍最精鋭、降下点の散開から立て直しが早いですね……!」
レナは悔しそうに眉をひそめながら、ダイスを握りしめた。
隣では、すっかり空になったナポリタンの皿を前に、マイがノンアルシャンディガフのグラスを傾けながら冷ややかな視線を送っている。
「レナ、顔が本気になってるよ。コンカフェ嬢の顔じゃない」
「だってマイちゃん、ここで前線を突破されたら、アイントホーフェンからソーン橋のラインまで一気に迫られちゃうんだよ!? ドイツ軍としては第59歩兵師団を即座に投じるしかないじゃない!」
レナが戦術マップへ身を乗り出した、その時だった。
「——だーかーらぁ! 現代戦においてAKの7.62mm弾は貫通力過多で近接戦闘(CQB)には不向きだって言ってんだろ! 話を聞けよこの素人がッ!」
店の反対側、若い女性キャストが接客していたBOX席から、地響きのような怒号が轟いた。 グラスが床に落ちて割れる鋭い音が響き、店内のBGMが一瞬で掻き消える。
怒鳴り散らしたのは、泥酔したような千鳥足で立ち上がった大柄な男だった。身にまとったボロボロのミリタリージャケットからは酒の匂いが立ち込め、対応していた新人のキャストは恐怖で身をすくませている。
「あ、お客様……他のお客様のご迷惑になりますので、お声を少し……」
「うるせえ! メイドの癖に俺のミリタリー知識に口答えすんじゃねえよ! 会計? ハッ、こんな不愉快な店に払う金なんかねえよ!」
男は伝票を破り捨てると、出口に向かって歩き出した。最初から金を払うつもりのない「無銭飲食」の構えだ。ユキが素早くカウンターから出て遮ろうとする。
「お客様、お支払いがまだ——」
「邪魔だぁッ!!」
男がジャケットの内ポケットから引き抜いたのは、鈍く光る本格的なサバイバルナイフだった。ジャキッという金属音が店内に響き渡る。刃渡り15センチを超える鋼鉄の刃が、乱暴に振り回された。
「近寄るな! 刺されたくなかったらそこをどけ!!」
客たちが悲鳴を上げて床に伏せる。 その瞬間——店内のメイン照明がスッと落ち、天井の隅に配置された赤色のパトランプ(緊急事態灯)が、サイレントで静かに回転し始めた。
カチ、と音が聞こえた気がした。
つい先刻まで「萌え萌え」と微笑んでいたレナの瞳から、一切の感情が消え失せる。ユキの優しげな目元が、氷のように冷たく研ぎ澄まされた。カウンター奥のマイに至っては、だるそうに頬杖をついていた体勢から、猫のようにしなやかかつ無駄のない動作で立ち上がっていた。
『Bullet & Lace』のキャスト——その全員が、「保安要員」の顔へと切り替わった瞬間だった。
「ユキさん、フロント・シールド(前面展開)。」
「了解。レナ、バックアップに入って。」
ユキはバックヤードのドアを一瞬で引き開け、常備されている重厚なポリカーボネート製防犯盾を両手でガッチリと構えた。レナはカウンター裏のホルダーから、カチリと音を立てて高剛性ステンレス警棒を引き抜き、一瞬でスライドさせて最長状態へとロックした。
「マイちゃん、射角の確保を!」
「任せなさい」
マイは足元のガンケースには目もくれず、ゴスロリドレスの腰のガンベルトから、愛用のガスブローバックガン「CZ75」を滑り出させた。サバゲのCQBで鍛え上げられたそのハンドガンの構え(ウィーバー・スタンス)には、微かなブレすらない。実弾ではないが、超至近距離からのガスブローバックのプラスチック弾頭は、裸の皮膚に当たれば激痛と怯みを確実に生む。
「な、なんだお前ら……!? おもちゃの鉄砲なんかで——」
暴れる男がナイフを振りかざし、ユキに向かって踏み出そうとした、その瞬間。
パンパンッ!
乾いた連続発射音が店内に響いた。
「あぐっ!?」
マイのCZ75から放たれた6mmBB弾が、男の喉元と、ナイフを構えた右腕の「手首の神経群」へ正確に連続着弾した。至近距離からの高精度なヒットに、男が思わず体勢を崩し、ナイフの刃先が泳ぐ。
「今ッ!」
ユキが防犯盾を前面に押し出し、男の視界と突進力を強引にシャットアウト。男の体が盾にぶつかって跳ね返り、態勢が完全に崩れた。
その隙を、レナは見逃さなかった。
低い姿勢で滑り込むように間合いを詰めたレナは、ステンレス警棒を鋭く一閃。狙うは男の胴体でも頭部でもない。ナイフを握る右手の「手首(小手)」だ。
バシィッ!!
硬質な打撃音が響き渡る。 完璧な角度とスピードで叩き込まれた小手打ち。激痛に男の指が無条件で開き、サバイバルナイフが回転しながら床へと転がり落ちた。
「武器解除確認!」
レナはそのまま警棒の軸を利用して男の右腕を巻き込み、関節を極めながら床へと押し倒す。ユキが上から防犯盾の縁で男の背中を押さえつけ、完全に運動能力を奪い去った。
「ぐ、が……ッ! 放せ、離しやがれ!」
「動かないでください。これ以上暴れると、肩関節が脱臼しますよ」
レナの静かな声には、怒りも興奮もなく、ただ淡々と事態を処理する冷酷なプロの響きがあった。
事態の勃発から、わずか数分。 遠くから近づいてくるパトカーのサイレン音が、秋葉原の夜の街に響き渡っていた。通報を受けて駆けつけた警察官たちが店内に踏み込み、床に組み伏せられた男の手首に手錠をかけるのを確認して、レナたちはそっと装備を収めた。
「ケガをされた方はいないですか。いやあ、お手柄ですね……」 警官たちが感心しながら男を連行していく。赤色灯が消え、店内に再び落ち着いたアンバー色の照明が戻った。
「みなさま〜、大変お騒がせいたしました! 当店の防犯デモンストレーション、これにて終了で〜す♡」
レナがパッと弾けるような笑顔を作って頭を下げると、固まっていた店内から「おお……」「すごかった……」とパラパラと拍手が湧き起こった。
マイはCZ75のマガジンを抜き、チャンバー(薬室)に残弾がないことを確認してからハンマーダウンしてホルスターへ戻すと、フリルドレスの裾を叩いて再び奥の席へと腰掛けた。
「ふぅ……サバゲ帰りにまで撃ち合いさせないでよ。肘のレースが汚れちゃったじゃない」
「ごめんねマイちゃん、助かったよ! CZのダブルタップ、完璧だった!」
「当然でしょ。マイのCZを舐めないでよね」
レナはポリカーボネートの盾を片付けたユキと視線を交わし、ホッと小さく息をついた。
そして、カウンター席へと戻る。 そこには、テーブルの下で震え上がりながらも、ダイスを握りしめたままフリーズしている常連の佐藤がいた。
「さ、ご主人様! 邪魔者は消えましたよ。ゲームの続きをやりましょう!」
「え……あ、うん……レナちゃん、君……本当にただのコンカフェ嬢……?」
「なにいってるんですか、ただのオタクのメイドですよ♡ ほら、あなたの第30軍団のターンです!」
レナはニッコリと微笑み、盤面の上へ視線を落とした。
事件の混乱が嘘のように、再び盤上での静かな熱戦が再開される。
深夜0時。 ダイスの目が振られ、歴史の歯車が動く。
「……出目、5と6! 米第101空挺師団506連隊はソーン橋を、501連隊はフェーヘル橋を確実に押さえた! さらに前線を強行突破した近衛機甲師団、ついにアイントホーフェンを確保ッ! そのままソーン橋へ向けて怒涛の突撃だ!!」
佐藤が震える声で宣言した。 盤面上では、前線を打ち破った連合軍の緑のカウンター群がアイントホーフェンを完璧に収めて解放し、次の重要拠点であるソーン橋へと一気に牙を剥こうとしていた。
「やられましたね……前線を破られてアイントホーフェンを取られるとは。ですが、ここからが本番です。ソーン橋に続くフェーヘル橋を易々と渡らせるほど、我が第2SS装甲軍団の防衛線は甘くありませんよ?」
レナは怪しく目を輝かせながら、赤色のドイツ軍カウンターを手にした。 窓の外、秋葉原の街並みにうっすらと朝焼けの兆しが見え始める。彼女たちの「一番長い夜」は、まだ序盤地点を過ぎたばかりだった。
事態を沈静させたレナ達。
第101空挺師団の奇襲、第30軍団の進撃は快調に進みだした。
長い夜は始まったばかりだ。




