第三話 突破!
「ただいま、ご主人様! レナ、戻りましたっ」
「ノワールルージュ」結成に沸くカウンターの賑やかさをあとに、レナが2番ボックス席へと戻ってきた。鈴木の対面、セリカの隣へと腰を下ろす。
「おかえり、レナちゃん! いやあ、すごいよ。セリカちゃん、戦史にもの凄く詳しくて本当に驚いちゃったよ!」
鈴木は少年のように目を輝かせ、興奮冷めやらぬ様子でレナに語りかけた。テーブルの上には、グラスやコースター、灰皿、さらにはカトラリーまでもが整然と並べられ、東部戦線におけるブダペスト周辺の兵力配置図が見事に再構築されている。
「ふふ、でしょう? 私もさっきセリカさんの知識を聞いてびっくりしちゃいました。……それで、さっきの『コンラート作戦』のシミュレーションはどうなったんですか?」
レナが興味津々に身を乗り出して尋ねると、鈴木は腕を組み、うーんと唸りながら長テーブルの上の「陣形」を見つめ直した。
「うん……史実通りの第3SS装甲師団『トーテンコップ』と第5SS装甲師団『ヴィーキング』を中核としたSS第4装甲軍団の戦力だけじゃ、やっぱりどうあがいてもソ連軍の三重の防衛線を突破するのは無理なんだよ。それどころか、作戦に『IFルール』を適用して若干の戦力を増強してみたんだけど……それでも決定的な突破口を開くのはかなり厳しい感じなんだよねぇ」
ソ連側の第三ウクライナ戦線が構築した重厚な対戦車陣地と、絶対的な数を誇るT-34やIS-2重戦車の壁。それに加えて、ドイツ軍を苛む壊滅的な燃料不足。机上のシミュレーションであっても、1945年1月のハンガリー戦線が提示する絶望的な現実が重くのしかかっていた。
「史実通りの兵力と補給状況では、ドナウ川の屈曲部からブダペスト市内までの距離が、あまりにも遠すぎますものね……」
レナが溜息まじりに呟くと、今まで静かにふたりのやり取りを見守っていたセリカが、ふっと艶やかな笑みを浮かべた。細くしなやかな指先で、テーブルの端に置かれていた黒いコースター——ドイツ軍の予備兵力を表すコマ——を静かに中央へ引き寄せる。
「それでしたら……ゼップ・デートリッヒ率いる『第六SS装甲軍』が、史実よりも早い段階でこの戦域へ投入されていたとしたら、どうでしょう?」
「え……!? 第六SS装甲軍を……!?」
鈴木が目を見開いた。
「はい。史実において、アルデンヌの攻勢(バルジの戦い)で消耗した第六SS装甲軍は、再編を経た後に1945年3月の『春の目覚め作戦』でハンガリーへ投入されました。ですが……もしも西部戦線での消耗を最小限に抑え、あるいは再編を前倒しして、1月上旬の『コンラート作戦』の段階で丸ごとこちらへ連れてくる、という『IF』ですわ」
セリカの声には、迷いがなかった。彼女は流れるような所作でコースターをさらに3枚、中央の突破軸へと配置していく。
「第六SS装甲軍の中核……第1SS装甲師団『ライプシュタンダーテ』と、第12SS装甲師団『ヒトラーユーゲント』。これら最強を誇るふたつの装甲師団、さらに第9SSおよび第10SS装甲師団の残存戦力までもが、ギレSS大将のSS第4装甲軍団と足並みを揃えて一斉に南方から襲いかかったとしたら——」
「ちょっと待ってくれ、セリカちゃん!」
鈴木は前のめりになり、マップ上のコースターを食い入るように見つめた。
「そ、それってつまり……第1SSのキングタイガー(重戦車大隊)やパンターの群れが、そのままブダペスト救出の槍頭として突撃するってことかい!? トルブーヒン元帥の第三ウクライナ戦線は、まだ春の目覚め作戦の時のように完全な縦深陣地を完成させていない。1月の時点でその重装甲集団が殴り込んできたら……!」
「ええ、まさにその通りですわ、ご主人様」
セリカは静かに頷き、細部に行き渡った作戦推移をすらすらと解説し始めた。
「ソ連軍の防衛線は一気に破綻します。史実では燃料切れと敵の強固な抵抗に阻まれた『コンラートI』『コンラートII』の段階で、ドイツ軍はビスケの線を軽々と突破し、ブダペスト市内に閉じ込められた約7万の包囲陣形へと到達できる公算が極めて高くなりますわ。さらに言えば、ヴァイツェン方面からの第8軍の牽制攻撃と連動させれば、ソ連軍第4親衛軍を挟み撃ちにして大包囲網を逆形成することすら不可能ではありません」
年号、部隊名、指揮官の姓名、地理的関係、さらには当時の燃料補給トン数や戦車稼働率の数値に至るまで——。セリカの口から放たれる情報は、まるで精密なデータベースから直接取り出されて読み上げられているかのように完璧だった。一切の淀みがなく、計算され尽くした論理の組み立て。
あまりの見事な戦史講義に、鈴木は口を半開きのまま絶句していた。横で聞いていたレナも、息をのんでセリカの横顔を見つめてしまう。レナ自身、ミリタリーや戦史にはかなりの自信があったが、ここまでの精度と速度で膨大なデータをアウトプットする芸当はとても真似できるものではなかった。
やがて、鈴木がぽつりと呟いた。
「すごい……すごすぎるよセリカちゃん……。なんだか話を聞いていると、人間と喋ってるっていうより……まるでAIと話してるみたいだな」
悪気のない、純粋な感嘆と驚きから出た言葉だった。
しかし、その言葉を聞いた瞬間——。
セリカの肩がビクッと跳ね上がった。
これまで保っていた優雅で完璧な微笑みが一瞬にして崩れ去り、その整った顔立ちに明らかな動揺の色が走る。
「ち、違いますよーっ! AIだなんて、そんな……! 私はれっきとした生身の人間ですわ! ほら、ちゃんとお肉もありますし、血も通っていますし……っ!」
セリカは慌てふためきながら、自分の両頬をペチペチと叩いたり、両手をブンブンと振ったりして、必死に否定してみせた。そのあまりの焦り様は、先ほどまで冷徹なまでに完璧な戦史解説を披露していた人物と同一人物とは思えないほど、コミカルで人間味にあふれていた。
「あ、いやいや! けなしたわけじゃないんだよ!? あまりにも知識が正確で、レスポンスが完璧だったから例えとして言っただけで……ごめんね、変な言い方して!」
鈴木が慌ててフォローを入れると、セリカは胸に手を当て、小さく「ふぅ……」と安堵の息を漏らした。
「もう……驚かせないでくださいな、ご主人様。私、びっくりしてしまいましたわ……」
引きつった笑顔を浮かべるセリカ。だが、その一連のやり取りを隣で見ていたレナの胸の中には、小さな違和感の種が芽生えていた。
(AI……か)
レナはセリカの綺麗な横顔をじっと見つめた。 ただの戦史オタクや歴史マニアの知識量を超えているのは確かだ。質問に対する回答の早さ、一切の言い間違いがない滑らかな暗唱、そして「AI」という言葉に対する過剰なまでの拒絶反応。
(まさか……ね。いくらなんでもそんなSFみたいな話があるわけないし……)
頭の中で疑問がぐるぐると渦巻きかけたその時、レナの脳裏に、今朝の開店前にチーフのユキが言っていた言葉が鮮明に蘇ってきた。
『今日から新しく入るキャストのセリカちゃん、21歳よ。みんな、仲良くしてあげてね。……あと、彼女はみんなより少し変わってるけど、うまく気遣ってあげるように』
(「少し変わってる」って、そういうこと……?)
ユキの意味深な言動と、セリカの浮世離れした雰囲気。点が線で繋がりかけたような気がしたが、レナは首を振って思考を打ち消した。どんな事情があるにせよ、セリカが店のために一生懸命接客し、目の前のお客様をこれ以上ないほど楽しませているのは紛れもない事実だ。
「ふふっ、ご主人様ったら失礼ですよ! セリカさんがこんなに綺麗で可愛いAIがいるわけないじゃないですかっ」
レナは明るい声で割り込み、場を和ませるように笑った。
「そうだよなぁ! ごめんごめん、セリカちゃん。あまりに凄くて感動しちゃったんだ。よし、この『第六SS装甲軍投入ルート』で、もっと詳しくブダペスト脱出のシミュレーションを進めようじゃないか!」
「はい、ご主人様! 喜んでお供いたしますわ」
セリカは安堵したように微笑み、再び優雅な佇まいを取り戻した。
コンクリート打ちっぱなしの壁に飾られたエアソフトガンが鈍い光を放つ中、2番ボックス席の熱い東部戦線談義は、更なる深みへと突き進んでいくのだった。




