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第五話 大西洋かブレスト港か!

パーテーションを挟んだ静寂の中で、運命の歯車が急速に回り始めていた。

北大西洋を覆う深い濃霧と悪天候。佐藤が動かす絶対王者・戦艦『ビスマルク』と重巡『プリンツ・オイゲン』は、その荒天を最大限に味方につけていた。無数の触角を張り巡らせるロイヤルネイビーの網の目を潜り抜け、危険極まりない機雷原の目と鼻の先を、限界に近い高速で一気にすり抜けようと突き進む。

だが、ロイヤルネイビーの執念もまた、霧を切り裂く刃となっていた。


フェロー諸島西方の哨戒線に配置されていた重巡『サフォーク』の艦橋で、緑色に光る初期型レーダーのブラウン管が鈍く明滅した。 画面の端に、捉えた――。

「レーダーに反応あり! 輝点ふたつ! 左舷前方!」

「見張り員、双眼鏡で確認! 面舵回頭! 直ちに『ノーフォーク』へ連絡せよ!」


一斉に双眼鏡を覗き込んだ見張り員の視界の中で、濃霧の切れ間から不気味で重厚な巨大な影が浮かび上がった。巨大な二条の波頭を立てて突き進むその姿――ついに、追い求めていたビスマルク艦隊の姿を捉えたのだ!

初期型ゆえの精度の粗さはあるものの、レーダーの存在は圧倒的だった。仮に目視で濃霧の中へ見失ったとしても、電波の糸で敵の背後をしっかりと追尾し続けることができる。

「触接成功! トーヴィー提督へ大至急打電! 『敵主力を発見せり』!」

通信を受けたレナは、間髪入れずに盤上の駒を滑らせた。 アイスランド南方で待機させていた巡洋戦艦『フッド』と、最新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』の二隻を、全速力でインターセプトに向かわせる。


(頼むわ……間に合って……! ここで阻止しなければ大西洋へ出られてしまう!)


だが、佐藤提督は触接を維持して背後についてくるノーフォークとサフォークの存在など歯顧にもかけず、ひたすら南下を継続した。 一刻を争う緊迫感の中、ゲームのターンだけが刻一刻と過ぎていく。しかし、追撃戦の状況は依然として膠着したまま、なかなか劇的な進展を見せない。

ターンが重なるにつれ、両者に重くのしかかってきたのは「燃料消費」のリスクだった。広大な海を全速で駆け回る戦艦たちの全速航行は、限界を超えて燃料を喰らい尽くしていく。


(このままフッドたちが到着するのを待っていては、敵に振り切られるか、こちらの燃料が底をつく……!)


レナは悲壮な決意を固めた。一か八か、足止めのためにノーフォークとサフォークの二隻を敵艦隊へ肉薄させ、果敢にも砲撃戦を挑ませたのだ。

「目標、二番艦! 打てぇっ!」

重巡の20.3センチ砲が一斉に火を噴く。 だが、巨大な怪物たちはすぐさま反撃に移った。ビスマルクとプリンツ・オイゲンは後部砲塔を旋回させ、追撃者へ向けて激しい返礼射撃を叩き込んでくる。

――ズザーーーッ!

ノーフォークのすぐ至近の海面が巨大な水柱で覆われた。いきなりの夾叉(きょうさ)である。水柱の圧倒的な高さと巨大な弾着音から、レナは即座に察知した。


(この弾着の大きさ……敵の二番艦は重巡『プリンツ・オイゲン』ね!)


狙い過たず放たれたプリンツ・オイゲンの第四斉射目が、ついにノーフォークを完璧に捉えた。 前甲板へ容赦なく突き刺さった大口径砲弾が第一砲塔を叩き割り、その直下に位置する弾薬庫へと火災が達した。

ドォォォォン……!!

盤上で、ノーフォークの駒が取り除かれる。一瞬の爆発による轟沈だった。 これを目撃したサフォークは、全滅を避けるべく直ちに舵を切り、触接を保てるギリギリの射射程外へと退避した。


だが、ノーフォークが稼いだそのわずかな「時間」こそが、運命を引き寄せた。

濃霧を突き破り、ついに英海軍の誇る巡洋戦艦『フッド』と最新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』が、ビスマルクたちの行く手を阻むように前方へと躍り出たのだ!

「よし……! 大砲撃戦開始です!」


レナと佐藤は、メインの海図から戦術用の『戦闘ボード』へと意識を移し、互いの艦艇駒を配置した。 ビスマルク、プリンツ・オイゲンの整然とした単縦陣に対し、フッドとプリンス・オブ・ウェールズは敵の頭を抑え込む『T字戦法』の形をとる。全主砲を指向できる反面、自艦の長い艦幅を敵の砲口の前に晒すという、諸刃の剣の決戦陣形だ。

「ビスマルク、全主砲開火!」

佐藤の宣言とともに、ビスマルクの一番・二番砲塔が凄まじい砲声とともに火を噴いた。 しかし、そのあまりに強烈な主砲発射の爆風と衝撃により、ビスマルク自慢の前部レーダー装置が内部破壊を起こして機能障害に陥ってしまう。ビスマルクは艦首方向に対して「盲目」となったのだ。


艦隊司令官佐藤提督はこの事態を不利と判断し、瞬時に航行序列を変更。先頭を走らせていたビスマルクを下げ、プリンツ・オイゲンを新たな先頭へと繰り出した。

だが、ビスマルクが後方へ下がりながら放った第五斉射目が、歴史の悪戯のような悲劇を引き起こす。

狂いなく放たれた巨弾が、フッドの中央甲板へと突き刺さった。

――ドカァァァァァン……!!

フッドの艦体中央から、天を突くような巨大な火柱が立ち昇った。薄い甲板装甲を貫通した砲弾が、副砲兼高角砲の火薬庫を誘爆させたのだ。巨艦は一瞬にして真っ二つに割れ、波間に呑み込まれるようにあっという間に沈没していった。

「くっ……! そんな……史実通りなんて……!」

レナは悔しさに唇を噛み締め、思わず唸り声をあげた。ロイヤルネイビーの象徴であり、人々に愛された『フッド』が一瞬で消し飛んだのだ。


遺された最新鋭艦『プリンス・オブ・ウェールズ』もまた、試作段階ゆえの深刻な電気系統の故障に見舞われていた。主砲が思うように旋回せず、ビスマルクとプリンツ・オイゲンという二隻の怪物から浴びせられる正確無比な砲撃の前に、完全に袋叩きにされていく。 間一髪で沈没こそ免れたものの、満身創痍となったプリンス・オブ・ウェールズの攻撃力は激減し、戦線離脱を余儀なくされた。


一方のビスマルクも無傷ではなかった。第一砲塔と一部の上部構造物に損傷を受け、煙を上げていたが、佐藤からしてみれば「軽微な損害」の範囲内であった。

佐藤は興奮気味に膝を叩き、勝利を確信して声を張り上げた。

「よしっ! これで邪魔者は消えた! 大西洋へ躍り出るぞ!」


囮としての役目を完璧に果たし終えた北方のティルピッツ、ヒッパー、そして空母グラーフ・ツェッペリンの艦隊は、静かに反転し、安全なノルウェーのフィヨルドへと戻っていった。

レナは青ざめた顔で、大急ぎで本国艦隊の旗艦『キング・ジョージ5世』と戦艦『レパルス』の舳先をビスマルクの予測進路へと向けた。だが、一度広大な大西洋の真っ只中にビスマルクが躍り出てしまえば、無限の海原に姿を消され、追跡は万事休すとなる。ロイヤルネイビーの絶望的な敗北が目の前に迫っていた。

――しかし、神はまだイギリスを見捨てていなかった。


佐藤が次のターンの準備のため、手元の『艦艇損害シート』を記録していた時のことだ。特定のダメージ箇所のダイス目をシートの図面と照合していた佐藤の手が、ピタリと止まった。

「……あ、あれ? これ……燃料漏れが起きてる……!?」

佐藤の口から、困惑の声が漏れた。 プリンス・オブ・ウェールズが戦線離脱の間際に放った最後の一発――それが、ビスマルクの艦尾装甲を激しく撃ち抜き、内部の燃料タンクを破壊していたのだ。海水が混入し、大量の重油が海面へと漏れ出している。


(これはマズイぞ……! 燃料が足りない! この状態で大西洋へ出ても、満足に暴れ回るどころか通商破壊作戦そのものが立ち行かなくなる……!)


佐藤は冷や汗を流しながら海図ボードを凝視し、必死に新たな航路を模索した。 大西洋への長期進出は不可能。ならば、目指すべき目的地はひとつしかない。占領下フランスの『ブレスト港』だ。


(だが、ただ逃げるだけじゃ面白くない。行き掛けの駄賃だ……南下して輸送船団『WS8B』を攻撃し、そのままブレスト港へ駆け込む! さらに、イギリス艦隊の目を逸らすために、ブレストにいるグナイゼナウとシャルンホルストを出撃させて海を掻き回す……!)


佐藤は持ち前の勝負勘で、瞬時に新たな電撃作戦を打ち立てた。

一方、パーテーションの向こうで佐藤の挙動と海図上の微妙な位置取りの変化を察知したレナは、即座に思考を切り替えた。


(ビスマルクのスピードがわずかに落ちている……? それに進路を微妙に南西へ取っているわ。……そうか、燃料をやられたんだわ! 目指すはブレスト港ね!)


レナは目つきを鋭く変え、持てるすべての戦力を盤上で躍動させた。

「キング・ジョージ5世、レパルス、全力全速! ジブラルタルのH部隊も即座に北上! 輸送船団WS8Bの護衛を最優先しつつ、ブレストから出てくるグナイゼナウとシャルンホルストを叩き潰します!」


大西洋の広大な海原を舞台に、生き残りをかけたビスマルクの逃走劇と、全戦力を結集したロイヤルネイビーの執念の包囲網。 勝利の行方を握る最終決戦の幕が、静かに切って落とされた。



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