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第四話 追尾

非常ベルの甲高い余韻と騒々しい避難劇が嘘のように去り、店内に静寂が戻ってきた。火災騒ぎの影響で、佐藤を除くほとんどのお客様が帰路についており、手空きとなったキャストたちも客引きのために店外へと出て行っていた。広々としたフロアには、パーテーションを隔てて対峙するレナと佐藤の二人だけが取り残されている。


レナは深く息を吐き出し、乱れたフリルのドレスを軽く整えると、海図ボードの上に集中的に意識を注ぎ込んだ。

「索敵フェーズに入ります。フェロー諸島北方の敵艦隊へ集中索敵を行います!」

集中索敵のサイコロが振られ、出目が確定する。 得られた確実な情報によって、霧の合間に捉えられた巨大なシルエットの正体が鮮明に浮かび上がった。


「特定成功……! フェロー諸島北方にいるのは、戦艦ティルピッツと重巡アドミラル・ヒッパー!」

レナの口から漏れた言葉に、彼女自身の緊張が混じる。

史実において戦艦ティルピッツは当時まだ完熟訓練中であり、ヒッパーは本国で大規模なオーバーホールを行っていたはずだった。だが、このIFの世界ではそれらが完璧な状態で稼働している。ロイヤルネイビーにとって、それは十分すぎるほどの巨大な脅威だった。


(ティルピッツ……ビスマルク級の二番艦。装甲も火力もビスマルクと同等。ほっておけば、間違いなくイギリスの海上輸送網が壊滅する!)


レナは躊躇することなく駒を動かした。旗艦『キング・ジョージ5世』を筆頭とする主力艦隊を北方へ向かわせる。

しかし――依然として本命であるはずの戦艦『ビスマルク』と重巡『プリンツ・オイゲン』の行方は未だ不明のままだった。

その頃、パーテーションの裏側で佐藤はほくそ笑んでいた。ウィスキーのグラスを手元で弄びながら、心中で思惑の成就を確信する。


(よし……! ロイヤルネイビーは囮のティルピッツ艦隊に見事食いついた)


佐藤の盤上では、完璧な計算のもとに駒が配置されていた。 空母『グラーフ・ツェッペリン』は、ティルピッツ艦隊を後方から空中護衛できる絶妙な間隔を保って追随している。 そして、肝心のビスマルクとプリンツ・オイゲンは――ノルウェーの極北、ボードの最北端のセクターにて、密かに待ち合わせた給油艦からたっぷりと燃料補給を行っていた。


(ここから経済速度16ノットで海峡へ向かい、濃霧を突き破って24ノットの高速で一気に機雷原を突破する……! 完璧な作戦だ)


 レナと佐藤が衝立越しに静かに視線を交わし、目に見えない火花を散らしているところへ、荷物をまとめた舞がトコトコと歩み寄ってきた。二人の盤面を交互に覗き込む。

「へー、これがブラインドゲームか……。チェスみたいに同じ盤上じゃないから、相手を探り合わなきゃいけないのはかなりの心理戦ゲームね。なんだかサバゲのクリアリングや裏取りの読み合いと共通するかもね」

舞は感心したように頷くと、レナに向かって小さく手を振った。

「レナちゃん、私は帰るから頑張ってね。来週、姫ロリさんの時はよろしくね!」

「えっ、マイちゃん、もう帰るの?」

「うん、今日は火事騒ぎもあったし、さすがにちょっと疲れたから帰るわ。じゃあね!」

「そっか……気をつけてね! わかった、また来週ね!」

舞がドアのベルを鳴らして去っていくと、店内は再び完全な静寂へと包まれた。


 レナは思考を巡らせる。 フェロー諸島北方のティルピッツ艦隊に対し、レナは先手を打った。快速を誇る軽巡洋艦『マンチェスター』と『バーミンガム』を先行させ、ついにティルピッツへの完全な「触接」に成功したのだ。

「触接維持! 敵は依然として南下を続けています。このまま行けば、数ターン後にわが『キング・ジョージ5世』艦隊と正面衝突します!」

「ドイツ軍の移動フェーズです。佐藤提督、どうしますか?」

レナの鋭い問いかけに、佐藤は「うむ……」と顎を撫でた。

「ちょっと深く突っ込みすぎたかな……」

佐藤は呟きながら、衝立の裏でなにやら忙しなく駒を動かし始めた。 続く索敵フェーズ。佐藤がダイスを振る。その直後、佐藤の口元が吊り上がった。

「索敵成功。フェロー諸島へ向かうイギリス海軍旗艦『キング・ジョージ5世』の正確な位置を特定したよ」

レナは「あらま!」と思わず声を漏らし、ハッと息をのんだ。


(ここで位置が確定した……!? 陸上基地のドイツ空軍の行動圏外のはず。ってことは……空母グラーフ・ツェッペリンの艦載機による索敵だわ!)


レナの脳裏に後悔が走る。


(これはしまったかも……!一点集中と言っても、空母ヴィクトリアスをWS8B船団の護衛で分離してしまったのは失策だったわ……)


レナは手元のスペック表で『グラーフ・ツェッペリン』の数値を急いで確認した。 戦闘機12機、爆撃機12機、雷撃機10機――。 十分すぎる航空打撃力だ。直衛空母を欠いた現状の『キング・ジョージ5世』艦隊にとって、この存在は圧倒的な脅威でしかない。

しかし、レナは強く唇を噛み締め、視線を前に向け直した。


(だが、今更艦隊を引くわけにはいかない……なるがままよ!)


「キング・ジョージ5世、巡航速度でそのままティルピッツへ向けて前進させます!」

決断の行方は次のターンへと持ち越された。

続く追尾フェーズ。軽巡『マンチェスター』と『バーミンガム』は、見事にティルピッツとヒッパーの追尾に成功する。しかし、送られてきた報告にレナは目を見開いた。

「なに……!? ティルピッツ艦隊が反転……北上している!?」

しかも、それは巡航速度を遥かに超えた高速移動だった。 触接を維持する軽巡からの報告を精査しながら、レナの頭脳は高速で回転する。


(イギリス艦隊は今、完全に北方に吊り上げられている……。そして、索敵フェーズに入っても本命のビスマルクとプリンツ・オイゲンの姿はどこにも見当たらない。この不気味な気配……)


レナの綺麗な眉間に、深々と皺が寄った。


(これは……まさか、ティルピッツ艦隊はただの『囮』……!?)


盤面全体を俯瞰するように見つめ、レナは相手の真意を探る。


(もし次の索敵でもティルピッツが北方へ移動し続けていたら、囮と確定して間違いないわ。ロイヤルネイビーの主力を北に引きつけ、哨戒網にできた一瞬の隙間をついて、ビスマルク艦隊が大西洋へ突破する気だ……!)


だが、レナは怯まなかった。


(だとしても……甘く見ないで佐藤さん。まだフェロー諸島の出口には軽巡『アレスーサ』、そして南方のアイスランド沖には巡洋戦艦『フッド』と最新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』が控えているわ!)


 パーテーションの向こうで、佐藤が優雅に駒を動かした。 移動を終えた佐藤は顔を上げると、心底余裕といった表情で、琥珀色のウィスキーをゴクリと喉に流し込んだ。

「ふう……美味い! レナちゃんの番だよー」

「追尾成功……やはり北上していますね。これは罠だわ」

レナは冷徹に状況を分析すると、『キング・ジョージ5世』艦隊の無理な追撃をピタリと止めた。

「キング・ジョージ5世艦隊、フェロー諸島を回り込んだ位置で『哨戒モード』へ移行! 待機させます!」

これ以上の釣り出しには乗らない――レナの固い意志が示された瞬間だった。


だが、緊迫した盤面にさらなる激震が走る。 レナの手元にある暗号解読記録――huf-daf(ハフダフ:高周波無線方向探知)および通信解読データに、異常な数値が記録された。

「暗号解読データ受信……! フランスのブレスト港に潜伏していた戦艦グナイゼナウ、シャルンホルスト艦隊に、出港の兆候あり……!?」

レナの顔から血の気が引いた。

「えっ……ここで動くの!? 嘘でしょ!?」

南からの脅威が突如として芽吹いたのだ。 このままでは、ジブラルタルから出撃させたH部隊(レナウン、アークロイヤル、シェフィールド)を、輸送船団護衛からブレスト艦隊のインターセプトへと回さざるを得なくなる。北のビスマルク、北東のティルピッツ、そして南のシャルンホルスト級――多方面での同時対処を迫られる極限状態。


(いやー……めんどくさいわー……!!)


 あまりの重圧と煩わしさに、思わず声に出して叫びそうになったが、レナは間一髪でその言葉を呑み込んだ。 さっき熱くなりすぎて客に罵声を浴びせてしまった苦い失敗が脳裏をよぎる。いくらゲームが白熱しているとはいえ、大切なご主人様に失礼な口を利くわけにはいかないのだ。

レナは深呼吸をし、プロの笑顔を取り戻そうと必死に表情を整えた。


 一方、パーテーションの向こう側では、佐藤がレナの困惑と葛藤を察してか、実に楽しそうな表情でグラスのウィスキーの香りを愉しんでいた。静かな店内で、二人の軍略と心理が複雑に絡み合い、盤上の海はいよいよ暴風雨の渦中へと巻き込まれていくのだった。



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