第三章 戦艦ビスマルクを追え 第一話 セットアップ
「Tactical Maids & Armory BAR — Bullet & Laceへようこそっ!」
重厚な木製のドアが静かに開くと、心地よい重みを持ったカウベルの音が店内に響き渡った。 壁面にはエアソフトガンや銃器パーツが飾られ、ほのかにオイルと珈琲の香りが漂う店内。秋葉原の2階に潜むそのミリタリーコンセプトカフェの扉をくぐってきたのは、常連客の佐藤だった。
「いらっしゃいませ、ご主人様!」
「いやー、レナちゃんまた来ちゃったよ」
「ふふ、いつでも大歓迎ですよ! 先週の『マーケット・ガーデン作戦』は熱かったですね。朝まで粘ってアーネム橋を死守した甲斐がありました!」
シックな黒のタクティカルベストにミリタリー調のミニ丈スカート、フリルドレスを纏った看板メイドのレナは、サイドテールを揺らしながら満面の笑みで迎えた。
「いやあ、あのパラシュート降下作戦も最高だったんだけどさ。今日はね、ちょっとスケールを変えて北大西洋での戦いをしたくて来たんだ。いいかな?」
「北大西洋ですか? 海の戦いですね!」
「うん。レナちゃん、戦艦ビスマルクって知ってる?」
佐藤のその問いに、レナの瞳がキラリと怪しく光った。彼女はこの店のメイドであると同時に、筋金入りのミリタリー・歴史オタクでもある。
「もちろんです! 1941年5月、ドイツ海軍が誇る最新鋭超弩級戦艦ビスマルクと重巡プリンツ・オイゲンが起した『ライン演習作戦(Operation Rheinübung)』ですね! バルト海を出航して連合国の補給線を断つべく大西洋へ進出しようとしたビスマルクを、イギリス海軍が全力を挙げて追撃した、海戦史上最もドラマチックな大包囲網作戦です!」
レナは流れるような口調で、当時の世界情勢からビスマルクのスペック、さらにはイギリス海軍が受けた衝撃までを淀みなく熱弁してみせた。
「……すごいな、レナちゃん。そこまで完璧に把握してるなんて」
佐藤は思わず目を丸くして感嘆の声を漏らした。
「ふふん、伊達に『Bullet & Lace』の戦史・戦術担当を名乗っていませんから! それで、今日はそのビスマルク戦ですか?」
「そうなんだ。それをこのブラインド式のボードゲームでシミュレーションしたくてね。僕がドイツ海軍で、レナちゃんがイギリス海軍を担当するって形でいいかな?」
「了解です! ということは、私は本国艦隊司令長官のトーヴィー提督ですね。ロイヤルネイビーの栄光にかけて、大西洋への進出は絶対に阻止してみせます!」
やる気満々のレナに、佐藤は満足そうに頷いた。
「よし、じゃあ注文を頼もうかな。今日は腹も減ってるから、定番のナポリタンとジンジャーエールをお願い」
「了解しました! 面舵一杯、厨房へ急行しますっ!」
レナがオーダーを厨房へ通す間に、佐藤はバッグからずっしりと重いボードゲームの箱を取り出した。 テーブルの上に広げられたのは、北大西洋の海図。そしてお互いの視界を遮るための大型パーテーション――そう、お互いに相手の部隊の正確な位置が見えない「ブラインド方式」のシミュレーションゲームだ。
「レナちゃん、これが初期設定の艦隊編成表ね」 佐藤はボックス席に戻ってきたレナにシートを配り、ゲームの基本ルールと各フェーズの手順を説明し始めた。
「これが船体の損害チェックシート。主砲、機関、操舵装置、レーダー……戦闘が起きると、命中した部位ごとにダメージを記録していく。この損害結果ひとつで、巨大な戦艦の運命が一瞬で決まるんだ」
「うわあ……陸戦のボードゲームより、チェック項目も手順もずっと複雑で本格的ですね……」
レナはシートに記された無数の数値や部位チェック欄を見つめながら、ゴクリと唾を飲み込んだ。サイコロの出目だけでなく、どの部位に弾が刺さったかによって艦の速力が落ちたり、主砲が旋回不能になったりするのだ。 駒を黒いマーカーの陰(未発見状態)に配置しながら、レナは思考を巡らせる。
(広大な北大西洋で、たった数隻の艦隊を探し出す……まずは索敵フェーズで、いかに早く戦艦ビスマルクのリュッチェンス艦隊を発見できるかがすべての鍵になるんだわ)
「お待たせしました! 『Bullet & Lace』特製、懐かしのナポリタンとジンジャーエールです!」
「お、きたきた! ありがとう!」
香ばしいケチャップと焦がしバターの匂いがテーブルいっぱいに広がる。
「よし、セットアップは完了。まずは腹ごしらえだ。レナちゃん、食べてる間にルールと手順を確認しておいて。わからないことがあれば何でも聞いてね」
「はい、ありがとうございます! ごゆっくりどうぞ!」
「いただきまーす!」
佐藤は嬉しそうにフォークを手に取り、粉チーズがたっぷりかかったナポリタンを口へ運んだ。
もぐもぐと美味しそうにナポリタンをつつく佐藤の姿を眺めながら、レナはすっと目を閉じ、集中力を研ぎ澄ませた。まるで佐藤の心の中を読み解くかのように、静かに瞑想する。
(佐藤さんの性格からして……彼は史実に忠実で、手堅い作戦を立てるタイプ。奇抜な奇襲や無謀な最短ルートは選ばないはず。とするなら……)
レナの頭の中に、冷たい北海を描いた海図が鮮明に浮かび上がる。
(まずドイツ艦隊は、中立国スウェーデンの目を盗みつつノルウェー沿岸のフィヨルドを潜り抜けて北上する。そして大きく大回りをして、アイスランドとグリーンランドの間に横たわる、あの狭く深い『デンマーク海峡』をすり抜けて大西洋へ躍り出ようとするはず……!)
レナの脳内で、イギリス海軍の戦略データが高速で組み替えられていく。
(佐藤さんが史実通りのルートを通るなら、生半可な戦力では返り討ちに遭う。イギリス艦隊の大半をこのデンマーク海峡周辺に集結させる必要があるわ。……よし、思い切った配置変更をしよう。本来なら大西洋の輸送船団を護衛しているはずの主力艦も、一時的に任務を変更させて迎撃網に組み込む。この時代はまだ航空母艦が海戦の完全な主力とは言えなかった時代……よし、空母『アークロイヤル』などは船団護衛や広域索敵に回し、こちらは戦艦『キング・ジョージ5世』や巡洋戦艦『フッド』といった巨砲を擁する戦艦主体でビスマルクと雌雄を決する!)
史実のトーヴィー提督すら逡巡した大胆な全軍再配置。レナの手によって、歴史とは異なる新たなロイヤルネイビーの陣形が、黒いパーテーションの裏側で静かに組み上げられていった。
「ふぅ、ごちそうさま! やっぱりここのナポリタンは絶品だなあ」 佐藤がグラスのジンジャーエールを飲み干し、拭いた手を合わせて立ち上がった。
「さて、レナちゃん。準備はいいかい?」
「はい、提督! イギリス海軍本国艦隊、全艦配置完了しました! いつでもかかってきてください!」
レナは力強く胸を張り、不敵で可憐な笑みを浮かべた。
「あっ!忘れてたけど、上級ルールも可能にしてドイツ海軍は他の軍艦と空母グラーフチェッペリンも配置するからよろしくね」
「えーっ!そんなバカな!」
(姉妹艦のティルピッツはまだ慣熟訓練中、シャルンホルストはブレスト港で機関の修理中、グナイゼナウは同じく大破修理中、他の艦もドックに入っていたし、ましてや空母グラーフチェッペリンなんて完成もしてないのに・・・・)
「汚ったねー!時代考証無視とは!」
佐藤は面食らった、従順で可憐なコンカフェ嬢がこんな罵声を自分に浴びせるとは思っていなかったのだ。あまりの落差に、佐藤は目を丸くして固まってしまった。
「あ・・・いや・・・だから・・・」
佐藤はおどおどと手をかざしながら弁明する。
「シミュレーションゲームだからさ、IF展開で少し盛り上げようかと・・・ダメなら史実通りにするけど・・・」
その怯えた佐藤の顔を見て、レナはハッと我に返った。自分の両手で慌てて口を塞ぎ、顔をみるみる真っ赤に染め上げる。
史実に詳しいあまり、あまりにも無茶なIF編成を突き付けられてついカッとなって素が出てしまったのだ。ここはご主人様が気持ちよく趣味を楽しみ、癒されるための場所なのに、自分は何と失礼を働いてしまったのだろう。
「あ・・・ご、ごめんなさいご主人様!私としたことが、つい熱くなってしまって・・・!」
レナはドレスのフリルを揺らしながら、深々と頭を下げた。
「いえ、大丈夫です!そういうロマン溢れるIF展開も、シミュレーションゲームならではの醍醐味ですよね!幻の空母グラーフチェッペリンがもし実戦投入されていたらどうなるのか・・・歴史の「もしも」を追体験できるなんてワクワクします!どうなるかわからないですけど、ぜひやってみたいです!」
パッと花が咲いたような営業スマイルを取り戻したレナに、佐藤も「ホッ・・・」と胸を撫でおろした。
「そ、そう言ってもらえると助かるよ。よし、じゃあドイツ艦隊出撃だ!」
レナは当初の作戦を変えて対処しないといけなくなり頭が真っ白になっていた。
史実の歴史を飛び越えた幻の大艦隊と、それを迎え撃つロイヤルネイビー。
誰も見たことのない新たな「戦艦ビスマルク追撃戦」の幕が、いま静かに開けた。




