第五話:隠された射撃精度(シグネチャー)と、闇の指揮官
カナとの刺々しい静観戦をスマートに切り抜けた後、フロアの空気は少しずつ落ち着きを取り戻していた。
だが、レナの胸の中には、どこか冷ややかな違和感が澱のように残っていた。キャスト同士のくだらないマウント取り合いや嫉妬は、今に始まったことではない。しかし、いつまでもこんな泥沼に足を足止めされている場合ではないのだ。この『Bullet & Lace』という場所は、誰もが日常の重荷を降ろし、己の偏愛やこだわりを存分に解放できる唯一無二の「隠れ家」でなければならないのだから。
「ふう……」
バックヤードのカウンターで、レナは冷たいタオルで指先を丁寧に拭った。
その時、フロアの奥から、乾いた重厚な金属音が響いた。
――タァン! タァン! タァン!
店内の奥に併設された、アクリル板で仕切られた10メートルの室内シューティングレンジ。 そこから吐き出される射撃音は、店舗で貸し出している一般的なエアソフトガンのガスブローバックの音とは明らかに一線を画していた。鋭く、固く、一切のブレを感じさせない高圧の破裂音。
「……すごいグルーピング(集弾性)」
レナは思わず手を止め、吸い寄せられるようにガラス越しにレンジの中を覗き込んだ。
レンジの中に立っていたのは、一人の男だった。 黒のシンプルなスタンドカラーシャツに身を包んだ、30代半ばほどの体格の引き締まった男性。その手には、完全にカスタムされたヘビーウェイト仕様のブラックガバメント(M1911)が握られている。ガンケースから取り出されたその愛銃は、持ち主によって細部まで研ぎ澄まされた独特の存在感を放っていた。
男は呼吸ひとつ乱すことなく、10メートル先の電子ターゲットに狙いを定めていた。 銃身の揺れはゼロ。トリガーを引く指の動きにも一切の迷いがない。
――タァン!
電子モニターの表示が更新される。 10メートル先の標的の中心、わずか数ミリの円の中に、すべての弾丸が吸い込まれるように着弾していた。満点の「10.0」が連続で刻まれていく。
(完璧なフォーム……。手首の固定、リコイル(反動)の逃がし方、そしてトリガープルの滑らかさ。ただのミリタリー好きの撃ち方じゃない。身体の芯に『叩き込まれた』射撃術だ)
レナの父親の書庫にあった数々の戦術書、そして自身がターゲットシューティングで叩き込んできた目が、その男の底知れない実力を瞬時に看破していた。
「あ、レナちゃん。レンジのお客様、30分の射撃パックでご利用中だから、お冷とおしぼり持って行ってあげて」
先輩キャストのユキに声をかけられ、レナは「了解です!」とトレイを手にした。
レンジのドアを押し開けると、室内にはほのかにシリコンオイルと、摩擦による微かな熱を帯びた空気が漂っていた。
「ご主人様、お疲れ様です。『補給物資』のお冷とおしぼりでございます」
レナが静かに声をかけると、男はスライドをホールドオープンさせた状態で銃を台の上に置き、ゆっくりと振り返った。
鋭い眼光。だが、その奥には底知れぬ静寂が宿っている。
「……ああ、ありがとう」
男の声は低く、落ち着いていた。彼はおしぼりで手を拭うと、ターゲットモニターと自分の持ち込んだ銃をチラリと見た。
「ふう・・・ようやくホップアップとサイトの微調整がまとまったよ。ここのレンジは無風で照明も一定だから、じっくり銃のチューニングをするには格好の場所だな」
「ご自身の愛銃の調整でお越しくださったのですね!それにしても・・・どれだけ調整が行き届いてた銃であっても、射手の技術が伴わなければここまでの集弾性は出せません。10メートルで全弾Xリング(中心点)命中・・・お見事ですね」
レナが手元のガバメントとモニターを見比べながら感嘆の声をあげると、男は一瞬、驚いたように目を細めた。
「わかるのか?」
「はい!銃口の跳ね上がりを抑える手首のロックと、呼吸を吐き切った瞬間にトリガーを絞るタイミング・・・。長年、トレーニングを積み重ねてきた方のアクションです。ただの趣味で撃たれているようには見えません。」
レナの真っ直ぐな言葉に、男の口元がかすかに緩んだ。
「・・・・面白いメイドさんだな。噂通りの店だ」
男はただ静かにグラスの水をごくりと飲んだ。
「俺の名は、桐生だ。・・・まあ、昔ちょっとばかり自衛隊にいてね。今はサバゲフィールドで遊んでる程度だけどね。」
「桐生様、とおっしゃるのですね」
(元自衛官!やっぱり普通の客じゃない)
レナの胸が高揚感で僅かに鳴った。
先ほどまでのカナとの不毛なキャットファイトが、一気に遠い過去の出来事のように吹き飛んでいく。ここには本物の「プロの匂い」をまとった客がいるのだ。
「ご主人様、本日は大会か何かに向けた銃の調整だったのでしょうか?」
「いや……」
桐生は空になったグラスを置き、手元にある自分のガバメントを愛おしそうに撫でながら遠い目をしてレンジの標的を見つめた。
「少し・・・昔の仲間たちのことを思い出してね。近々、大きなサバゲーの大会でかつてのメンバーと再び背中を合わせることになったんだ・・・」
「仲間の方々と、ですか?」
「ああ。精密射撃をこなす歴戦のサバゲーマーである陣内。どんな銃も解体・カスタムしてしまう武器マニアの蓮・・・。個性はバラバラだが、一人ひとりのスキルは本物だ」
桐生が語る仲間の特徴を聞きながら、レナはその情景を鮮明に脳裏に描いた。
「すごい・・・まるで精鋭の部隊ですね!」
「ふっ・・・彼らの実力は信用している。そして俺の役割は、前線で指揮を執り、チームの連携を統率する「頭脳」であり「要」であること・・・」
桐生は調整を終えたM1911のフレームを確かな感触で確かめる。
「だが、ひとつ問題があってね。今回の大会は「5人エントリー」が規定なんだ。だが、いま動けるのは俺と陣内、蓮の3人だけ。
だから・・・あと2人を探しているんだよ。信頼できて、戦線を任せられる猛者をね」
「あと2人・・・!5人チームを編成するためのメンバー集めですね」
「そうだ。だからこうして、自分の銃をベストな状態に調整しがてら、情報を集めている。俺たちの足並みを乱さず、過酷なフィールドで共に戦い抜ける仲間がそう簡単に見つかるかはわからないがね」
桐生の言葉には、リーダーとしての強いこだわりと、元自衛官らしい慎重さが宿っていた。
レナは深々と頷き、胸元のプレートキャリアをギュッと握りしめた。
「わかります・・・!サバゲーの5人編成は、全員の連携と信頼がすべてですものね。特に指揮官であるご主人様にとっては、前線を預ける2人の存在は命綱です。妥協できない気持ち、すごく伝わってきます!」
レナの目には、一点の曇りもない真摯な光が宿っていた。
桐生はレナをじっと見つめた後、ハハッと低く笑った。
「参ったな。コンカフェのメイドさんに、ここまで戦術的な意図を理解されるとは思わなかったよ。・・・いい店だな、ここは。腹の探り合いばかりの日常から離れて、こうして純粋に引き金と向き合える」
「そう言っていただけると、キャスト冥利に尽きます!ご主人様たちが素晴らしい『あと2人』のメンバーと巡り合えるよう、心よりお祈りしております!」
レナがピシッと美しい敬礼を返すと、桐生もまた、照れくさそうに短く敬礼を返してくれた。
ピピッ、ピピッ――。
シューティングレンジの利用終了を告げるタイマーが鳴る。
「さて、今日の調整はここまでとするか。良い『後方支援』をありがとう、レナさん」
桐生は手際よく銃をケースに収めると、スマートにお会計を済ませ、静かな足取りでアジトを後にしていった。
彼が去った後のレンジには、静寂と、冷ややかな集中力の残り香だけが漂っていた。
レナはガラス越しに自分の姿を映し、ふうと深く息を吐き出した。
(戦火の中に身を投じる理由も、ここへやってくる理由も、ご主人様によってそれぞれ違う……)
日常のストレスから逃れて眠りにつく者。 仲間と熱く戦史を語り合う者。 そして、大切な仲間を守るために己の銃を研ぎ澄まし、新たな戦友を探す者。
どんな想いを抱えた客であっても、この『Bullet & Lace』というアジトは、変わらぬ温もりと最高の装備で出迎えなければならない。
「よーし、パトロール再開っ!」
レナは胸のプレートキャリアをポンと叩き、最高の笑顔を取り戻すと、賑わいを取り戻しつつあるフロアへと力強く駆け出していった。




