009 赤と青
いくら巴絵が武道を習っているといっても、あんなあっさりと人を殺せる技術があるわけがない。第一、巴絵は普通の女子高生のはずである。その巴絵が平然と人を殺した。それがどれだけ恐ろしいことか、有里は今になって気がついたのだ。
「巴絵……」
返り血を浴びた巴絵が、有里の傍らに立っている。巴絵はじっと自分の右手を見つめている。彼女自身、自分のしたことが理解できていないのではないか。
巴絵は何でそんなことをした? 有里は先程のやりとりを思い出す。
──やっちゃいなさい、巴絵
今、巴絵が血に塗れている理由は、あまりにも単純だった。
有里が命じたから。
「どうして……」
どうして、自分はそんなことを口走ったのか。あの瞬間、有里はそれが正しいと確信していたし、恐ろしいことに、今だって、それが間違っていたと思えないのだ。
「なんで、どうして……」
震えが止まらなくなる。武器を持った男たちに対峙したとき以上の恐怖が有里を襲う。守子はそっと有里を抱き寄せて、慰めの言葉をかける。
「大丈夫。怖かったのはわかってる。一生懸命だったんだよね。大丈夫だから」
守子がそっと有里の背を撫でる。おかげで、有里の震えは少しずつ引いていく。
玲奈がゆっくりと巴絵に歩み寄って、彼女に声を掛ける。
「巴絵も、必死だったのはわかってる。責めたりはしないよ」
巴絵は玲奈のほうを振り返って、取り繕うように微笑んだ。
「ありがとう。実はかなり混乱しててね。なんであんなことができたのか、全然わからないんだ」
その声は震えていた。
ああ、私はなんてことをしてしまったのだと、有里の胸の奥が淀む。
「有里。君が無事でよかった」
巴絵が有里のほうを見た。その笑顔は紛れもない本物だと、有里は知っていた。だが、有里は安堵することもできず、巴絵の顔を見つめることしかできなかった。
もっと正確には、巴絵の目を。
「巴絵、あなたそれどうしたの……?」
「どうかした?」
どうやら、巴絵にその自覚はないらしいので、有里ははっきりとそれを指摘した。
「あなたの目、真っ赤になってるの」
「あんなことがあって、興奮してるからね。充血してるんじゃないかな?」
「違う。瞳の色が変わってるの」
まるで、ルビーのような赤だ。もともと、巴絵の瞳は明るい茶色だった。それはそれで美しかったが、今の色はもっと美しい。恐ろしさすら感じられるほどに。
「本当かい?」
巴絵が問うと、守子がポケットからさっと手鏡を取り出す。巴絵はそれで自らの瞳を見て、それが見間違いでないことを確かめるかのように何度か瞬きした。
「どうなってるのよ、もう……」
理解が全く追いつかず、有里は思わず頭を抱える。
「有里、すっごく言いにくいんだけど……」
守子がさっと巴絵から手鏡を取り上げて、有里に手渡す。
「有里の瞳の色も変わってるよ」
鏡の向こうから、青い瞳がこちらを見つめていた。
ただでさえ色白だと言われる肌から血の気が引いてもはや蒼白と言ってよく、目を閉じれば死体と見間違えてもおかしくはないほどだったが、精細に作り込まれた人形のように整っていると評される顔立ちは、あまりにも見慣れた自分の顔だった。それなのに、濡羽色の髪と揃いだったはずの瞳の色が、今は青く変わっている。西洋人の碧眼とも違う、濃い青だ。
例えるなら、サファイアのような青。
有里が瞬きしたり、ウインクしたりすると、鏡の中の青眼の少女も同じ動作をする。紛れもなく、彼女は有里自身の鏡像のようだ。有里は鏡から目を上げ、近くの守子の顔を見て、続いて少し離れたところに立っている文乃へ視線を移す。空を見上げて、遠くに浮かぶ二つの月をじっと見つめる。
「視力に問題はなさそうね」
なんなら、以前よりも見える気がするくらいだ。
「もっと驚いたら?」
呆れたように言う守子に、有里は応える。
「驚いてるよ。でも、差し当たって問題にはならなさそうだし、考えたところで原因もわかるわけないし、考えるだけ時間のムダでしょ」
「まあ、そうだけど」
理解の追いつかない事態が連続しすぎて、一周回って冷静になっている自分の存在に、有里は気がついていた。
「巴絵も、視力は大丈夫そう?」
「問題ない」
「文乃、ごめんね。怖がらせちゃって」
「大丈夫です」
他の面々も落ち着きを取り戻しつつあるらしい。有里が自ら選んだ仲間たちである。頼もしいのは当然と言えた。
「お取り込み中、失礼致します」
有里たちの会話に割って入ったのは、賊に襲われていた少女である。幼さを残す見た目からは考えられないほどに気品のある声音。知らないはずの言語で、その言葉が上品であることが理解できるのは、なんとも言えない感覚だ。
「私はこの辺りを治めるレイエン家が長女、ユキニアと申します。この度は危ないところを助けていただき、感謝申し上げます」
「当然のことをしたまでだよ」
有里は自然と返事をしていた。それがユキニアと名乗った少女と同じ言語で行われたことに、有里は気がついた。
「旅のお方とお見受けします。今夜の宿はお決まりですか? よろしければ、お礼も兼ねて、我が家に招待させていただきたいのですが」
それはありがたい申し出だった。なにせ、有里たちは突然見知らぬ場所に飛ばされて、野宿も覚悟していた状況だったのだから。あの三羽の菟を追ったのは、間違いではなかったのかもしれない。
有里は仲間たちとアイコンタクトで同意を取り、ユキニアの申し出を受けることにした。




