008 鮮血は舞う
少女の危機に、迷う必要はなかった。
有里はちょうど足元に落ちていた大きめの石を拾いあげる。
「ちょっと何し──」
またしてもぎょっとする文乃が何かを言い終わる前に、有里は石を思いっきり男のうちの一人に投げつけていた。運良く石は男に直撃。有里は木陰から躍り出る。
「女の子を攫おうなんて、人の道を外れたことはやめなさい」
精一杯の勇気を振り絞って、有里は男たちに向けて言い放った。声も足も震えているのが自分でもわかった。もう少し余裕があれば、自分の口を突いて出た言葉が日本語でなかったことにも気がついたのかもしれない。
「おい、貴様。何してくれんだ!?」
どすの利いた声で、石をぶつけれられた男が有里のほうを見た。目には明確な敵意が宿っていて、有里はすくみ上がるが、怯んでばかりもいられない。
「馬鹿げたことはやめなさいと言ってるんだけど、聞こえなかった?」
「それはこっちのセリフだぜ、嬢ちゃん。見たところ、丸腰だな」
男たちは刃物を軽く振って、その存在を見せつける。そして、リーダーらしき男は有里の全身をざっと眺めた。女を値踏みする男の目だと、有里は察する。
「かなりの上玉じゃねえか。変な服だが、見た感じ上等そうだし、どっか他所の国のお貴族様かい?」
いい獲物が飛び込んできた。そんな喜びが、男たちの歪んだ口元に浮かぶ。男の一人がじりじりと有里ににじり寄る。
逃げ出したいのを堪えて、有里はその場に踏みとどまる。一応、有里は合気道の心得があるのだが、武器を持った男たちを前に身体が動かない。
「大人しくしてたら殺しはしねえよ。石をぶつけてくれた分はきっちり楽しませてもらうけどな」
男の腕がこちらへと伸ばされる。恐怖と後悔が勇気を上回りかけた、そのときだった。
「汚い手で有里に触らないでくれるかい?」
巴絵が、男の腕をひょいと捻り上げていた。巴絵は武道をいくつも修めているので、大柄な男相手でも、それなりに身を守れるはずだ。巴絵の長い脚が動いて、男の腹を蹴り飛ばす。細身の少女の蹴りを食らったにしては、男は派手に吹き飛び、手にしていた短剣を取り落とす。
巴絵は自然とそれを拾い上げていた。
「おいコラ。てめえ、覚悟はできてんだろうな?」
男たちが殺気をまとってこちらを見据えた。先程よりも明らかに危険な状況に陥ったにもかかわらず、有里の恐怖心は霧散していた。それが何故なのかは、はっきりとわかる。隣に、巴絵がいるからだ。
短剣を握った巴絵は、有里に視線を送り、何かを促す。
有里は自分が何をすべきかを知っていた。
「やっちゃいなさい、巴絵」
「仰せのままに」
二人の間で交わされた言葉は、それだけだった。
巴絵の言葉とほぼ同時に、剣を持った男の一人が有里たちに襲いかかってくる。だが、その刃が二人に届くことはなかった。
巴絵の振るった剣が、男の利き腕を吹き飛ばしたからだ。それに続く二撃目で巴絵は男の首筋を切り裂く。生まれたときから知っている動作であるかのように、滑らかに。
「貴様!」
男たちが三人がかりでかかってくるが、巴絵の動きは素早かった。目にも止まらぬ速さで、男の間を掻い潜ると、次の瞬間には二人の男の首から血が吹き出す。怯んだもう一人相手に巴絵は一瞬にして距離を詰め、その胸を突き刺す。びくりと身を震わせた男から剣が引き抜かれると、返り血が巴絵の美しい顔を赤く染める。
「あと一人」
巴絵がリーダーの男を見据える。男の顔は恐怖で歪み、全身をガタガタと震わせていた。巴絵が一歩を踏み出すと、男が恐怖のあまり失神し、地面に伏した。巴絵はゆっくりと男に近づき、足で男を仰向けにひっくり返すと、手にしていた剣を男の左胸へと突き刺す。
「ご苦労さま」
事が終わったことを見届けて、有里は巴絵をねぎらう。そして、隠れている三人に呼びかける。
「みんな、もう大丈夫だよ」
木陰に隠れていた三人が姿を見せる。三人とも顔が真っ青だ。突然見知らぬ場所に放り出されても冷静だった彼女たちにしては、明らかに狼狽しすぎている。いや、違う。彼女たちは明確に怯えていた。
「そんな怯えなくても、もう大丈夫だから」
三人は信じられないものを見るように目を見開く。
「何で……」
震える文乃が、口を開いた。
「何で平然としてるんですか!?」
いつも冷静な文乃から発せられたとは思えない金切り声に、有里は面食らう。何か、致命的におかしいことが起きていることは、さすがにわかった。
「ちょっと文乃。怖かったのはわかるけど、落ち着いて。守子も玲奈も文乃を落ち着かせるのを手伝って」
有里の言葉に、守子と玲奈が顔を見合わせる。二人とも顔から血の気が引いたままだ。守子が恐る恐るといった様子で有里を見て言った。
「有里。たぶんだけど、落ち着いたほうがいいのはそっちだよ」
「え?」
有里が首を傾げると、守子は有里の背後を指差す。
「落ち着いて、今の状況を見て」
有里は守子の指先に視線を送る。そこにあったのは、血の海に横たわる男の死体。
死体──?
途端に有里は吐き気を覚える。どうして、こんなことになっている?
襲われている少女を見つけて、有里は助けに入った。
有里一人では無力で、さらに巴絵が助けに入ってくれた。巴絵があっさりと男たちを倒したのだ。それだって落ち着いて考えたら異常なことだったのだが、今はいい。もっと恐ろしいことが起きている。
巴絵が彼らを平然と殺したということだ。




