007 菟を追いかけて
二つの月。それはここが少なくとも地球ではないことを示していた。
だが、それを見上げて呆然としていられた時間は、ほんの僅かに過ぎなかった。
がさがさと、草を揺らす音が有里たちの耳に届いたからである。ヒトに備わる本能的な警戒心が、視線をそちらへと向けさせた。
「私たちをここに連れてきたのは、あなたたちよね?」
有里は思わずそう問いかけていた。
有里たちの視線の先で、じっとこちらを見つめる白い三羽の菟。
有里を導く、神様の使いであるはずの彼らは、その問いに答えることなく、ただ駆け出しただけだった。有里たちの周りを迂回するように走って反対側へと回りこみ、二羽がそのまま森の草むらへと潜り込む。
残った一羽はその場に留まり、有里たちへ視線を送る。
「付いてこいってこと?」
有里は問うた。それに対して、ぎょっとして声を上げたのは、文乃だ。
「会長、まさか付いていく気ですか?」
「そのまさかだけど」
きっぱりと言ってのけた有里に、文乃が諌めるように言った。
「さっき、まずは周囲の確認って言ってたじゃないですか。私はそっちの案に賛成です」
「計画は柔軟に変更されるべきでしょ」
それが屁理屈だと言うことを、有里は理解していた。だけど、あの菟に付いていくべきだと、直感が告げている。そして、その直感が馬鹿げているのもわかっている。だけど、十年ぶりに現れた彼らが、自分を導こうとしている。そう考えると、従わないという選択肢は有里にはなかった。
「先輩たちも、会長に何か言ってあげてくださいよ。危ないですって」
文乃が他のメンバーに声をかける。それに対して最初に口を開いたのは、守子だった。
「私は有里の決めたことに従うよ。私たちのリーダーは有里だからね」
同じくと、そこに玲奈が同調する。唖然とした文乃は、すがるように巴絵に問いかけた。
「巴絵先輩はどう思います?」
巴絵の答えはシンプルだった。
「私も、あの菟を追うべきだと思う」
有里は自分の口元に笑みが浮かんだことに気がついた。
「さすが巴絵」
有里は菟に向けて歩き出す。ある程度近づいたところで、菟は草むらの中へと入っていく。有里はそれを追うようにして森へ分け入った。後ろをちらりと振り向くと、巴絵たちも付いてきているのがわかった。反対していた文乃も、置いていかれるわけにはいかないのだろう。しぶしぶといった様子で最後尾につけていた。
森は人の手が入っていないのは明らかだったが、その割には歩きやすい。獣道になっているのか、下草や木々の枝が伸びていないのだ。そのおかげで、菟の姿を見失うことなく歩くことができた。
「引き返しましょうよ。戻れなくなる前に」
後ろから文乃が言ったが、有里は聞こえなかったふりをして進む。菟は相変わらず、少し進んでは有里たちを振り返り、こちらがある程度追いつくのを待ってから、再び進むを繰り返している。あのときと、全く同じだ。
そのまましばらく進んだあとのことだった。
森の中を、一陣の風が吹き抜ける。どこからか飛んできた木の葉が顔に当たって、有里は一瞬だけ目を閉ざす。
「あれ……?」
忽然と。そう表現するのが正しいのだと思う。三羽の菟がその姿を消していた。
「巴絵、菟たちがどこ行ったか見てた?」
「いいや。風が吹いたと思ったら、消えてたよ」
有里が振り返ると、他の三人も似たような様子だ。
あの菟があっという間に消えてしまうのも、十年前と同じだが、ここはまだ森の中。前みたいに、帰り道の分かる場所まで導いてくれたわけではなさそうである。
「どうする? 戻る?」
守子が有里に問うた直後、
「静かに!」
巴絵が人差し指を唇に当て、耳を澄ませるように促した。
「人の声みたいなのが聞こえた。たぶん、このまま真っ直ぐ」
有里の耳にも微かにそれが聞こえた。男の声のように思える。有里は瞬時に決断し、再び前へと進む。少し進んだところで、木々の隙間に開けた空間が見えた。その場の状況を見て取って有里は後ろを振り向いて、ジェスチャーで静かにするように指示を出す。木々に隠れるようにして、有里たちは様子を伺った。
開けた場所は、人の手で切り開かれた道のようである。そこにいたのは、少女が一人と男が五人。男たちのほうはボロボロで汚れた布をまとった粗野な姿で、手には短剣のようなものを握り、二人と三人に分かれて少女の逃げ道を塞いでいた。
少女のほうは、有里たちより少し年下だろう。男たちに比べるとずいぶんと身綺麗で、淡い色合いのワンピース姿だ。散歩の途中のお嬢様、という第一印象はたぶん間違っていない。
「嬢ちゃん、大人しくしてれば痛い目には遭わなくてすむ。俺たちと来い」
男の言葉は日本語ではなかった。聞いたことのないはずの、不思議な響きの言語だった。
もっと不思議なのは、その言葉がまるで生来の言語のようにすっと理解できたことだ。
「ああ、噂の人攫いですか。こんなに村の近くで出くわすとは思いませんでした。我がレイエン家も舐められたものです」
毅然とした態度で言い返す少女。男の一人がへらへらとした態度で言う。
「ほう。あんた領主の娘か。売り飛ばすより身代金を取ったほうが儲かるな」
「何言ってんすか、兄貴。身代金を取ったあとに売り飛ばしたほうが儲かりますよ」
「それもそうだな」
会話から察するに、少女はかなりのピンチである。おそらく、このままだと彼女は男たちに攫われて、酷い目にあうことだろう。
だとすれば、有里に迷う理由はなかった。




