081 陣中にて
有里は周辺の領主を動員しつつ、スダーフ男爵領へと兵を進めた。男爵が大神殿の神官を殺したという噂は、既に領主たちの間でも信憑性を持って受け取られていたおかげで、領主たちはすんなりと陣列に加わってくれた。
スダーフ男爵に付く者は全く現れず、女王軍は何の抵抗も受けずにスダーフ男爵領内に入ることができた。 スダーフ男爵の根拠地である町はもう目と鼻の先にある。不用意に近づく前に、斥候を出して様子を見つつ、兵に休息を取らせているところだった。
まずは一安心、というところだろうか。
「今回のやり方、気に入らないのかい?」
休止の最中、傍らに立つ巴絵が、有里に日本語で問うた。文乃と守子には、メレーゲとともにシマニエク市で留守居を任せているから、この場に日本語を解する者は有里と巴絵の二人だけだった。
「現状で最も合理的だとは思っているけれど」
と有里は日本語で応える。
「あの男もゼノヴァ人だったのは聞いた?」
あの男とは、キリアスの「恋人」の役を演じた男である。困窮している者から使えそうな人間をメレーゲが見繕っていた中の一人だという。宗教を捨て、シマニエク市の商会で働いていたらしいが、仕事仲間とともに深酒した際に自身のルーツを語ってしまい、それがきっかけで嫌がらせを受け、仕事を辞めるはめになったのだという。家族を養うべく裏の仕事に手を出していたところに、メレーゲが目をつけたようだ。
あの男も、エンザルトも、キリアスも、暮らしている社会に同化することを選んだマイノリティという意味では、日本にいたころの有里と重なる面がある。そんな彼らの不幸をいわば利用して、有里は自らの権力を築こうとしている。
落ち着かなさを覚えるのは、避けようがない。
「彼の為人は聞かないほうがいいと、メレーゲ伯爵から忠告されていただろう?」
メレーゲの忠告は、ある意味で正しい。切り捨てる者がどんな人生を歩んだかを知ってしまえば、余計な苦痛を背負うだけなのだから。そのくせ、メレーゲはすぐに報告できるように情報はしっかりとまとめて用意していた。おそらく彼女には、有里がそれを尋ねることは予想済みだったのだろう。
「女王なんて立場になった以上、私のせいで死ぬ人を全員把握するなんてできなくなるんだろうけど、自分が殺すと決めて殺した人間のことくらい、知っておくべきでしょ」
これは矜持というよりは、我が儘にすぎないのかもしれない。
巴絵は、その端正な顔立ちに優しい笑みを浮かべて、
「君のそういうところ、本当に素敵だと思うよ」
と、そのまま有里を抱きしめた。有里は人目を憚ることなく、それを受け入れ、彼女の背に腕を回す。温かい身体に包まれて、有里は安らぎに身を委ねるように目を閉じる。巴絵の手が有里の頭をゆっくりと撫でる。
巴絵が穏やかな声で囁く。
「だけど覚えておいて、君の重荷は私も背負うよ。もちろん、守子も文乃もね」
そんなことは言われずともわかっている。
彼女たちをそうさせてしまうことが有里の最大の罪なのだから。せめてもの言い訳に、有里自身がどんな罪を背負っているのかは知っておかなければならない。
そして、重要なことがもう一つ。
「この醜い戦をさっさと終わらせよう」
有里が巴絵の腕の中で宣言すると、巴絵はすっと離れて有里に跪く。女王の騎士たる証である赤い瞳が、有里を見上げる。
「私にお任せください、女王陛下」
その目を見ると、有里の気持ちも切り替わる。
金村有里は、このリナリア王国の女王なのだ。
「頼りにしてるよ、私の騎士」
折良く、斥候が戻ってきて、報告を述べる。
「申し上げます! スダーフ男爵は町の防衛は放棄。山中の館を拠点に籠もったようです」
予想通りの行動だった。
拠点となる町は防衛設備が整っていないことは既に把握していた。兵力差が歴然である以上、町全体を守る力はスダーフ男爵にはない。ましてや、野戦でスダーフ男爵に勝ち目は万に一つもないのである。砦としての機能を持つ自身の館に籠るというのは、ごく自然な作戦だった。
「ニルバス!」
今回の戦の実質的な指揮官であるニルバス・レイエンを呼ぶ。控えていた初老の武人は有里に膝を付く。
有里は大きく息を吸ってから命令を下す。
「予定通り進軍し、館を包囲する。出発の用意をせよ」




