079 暗躍する者
スダーフ男爵の執務室を、女はノックした。ドアの向こうから神経質な声がした。
「誰だ?」
「レクアルでございます。シマニエク市に残していた者から急ぎの報せが」
入れ、と指示があって、レクアルが執務室のドアを開けると、スダーフ男爵が落ち着かない様子で、執務室の中を歩きまわっているのが見えた。男爵は三十手前の若い女性だ。顔立ちは整っているのだが、常に顔色が悪いせいで華やかさに欠けている。
顔色が悪いのは、彼女の神経質さゆえだ。小心者のくせに行動力だけはあるので、行き当たりばったりでシマニエク伯爵についたかと思えば、旗色が悪くなるとすぐに逃げ出した。
「シマニエク市内でエンザルト様が殺された件、あなた様の策謀という噂が流れているようで」
「なんだと!」
男爵は手の爪を噛む。長く仕える使用人によると、これは幼い頃からの癖で、特に落ち着かないときに出るという。大人になってからはあまり見なくなったが、彼女が唯一心を許した夫を亡くしてからは、再びよく見るようになったのだとか。
──可哀想な人だ。
とレクアルは思った。望まずして家督を継いだかと思えば、流行り病で夫を亡くし、その上、神託の女王を名乗る女が現れ、世の変化の渦中に放り込まれた。
追い詰められているからこそ、「女王は土地を取り上げるために男爵を始末しようとしている」などと、突然やってきたレクアルが囁くのを、あっさりと信じてしまったのだろう。それで女王からの交渉を蹴り、この町に逃げ帰ってきた。それが裏目に出て、さらに窮地に追い込まれている。
申し訳なく思うが、彼女を扇動するのはレクアルの為すべきことだった。
「情報によると、エンザルトを殺した犯人の裁判で一騒動あったようで」
犯人の女神官が、男に誑かされたとぶちまけたのだ。その男の裏にいるのが、スダーフ男爵ということになっているらしい。
説明を聞いた男爵は青ざめて、
「私は知らないぞ! お前、まさか勝手に……!」
レクアルは首を左右に振る。そんな男のことなど、レクアルも知らない。
「突発的な事件を、女王が利用したのでしょう」
女王とやらは、狡猾さも持ち合わせているということなのだろう。少なくとも、そうした人間を内に入れる度量を持っているのだ。今回の一件は、メレーゲ伯爵あたりの筋書きだろうかと、レクアルは推測している。
「私はこれからどうなる?」
男爵が問うた。
「女王はあなた様を謀反人として討つため、兵を出すでしょう」
「やはり、そうなるか……! ならば、その前に参じて謝罪するほかあるまい」
窮地に追い込まれたからといって、人の性格は変わるとはかぎらない。彼女はずっと神経質で衝動的なままなのだ。
そして、そういう人間を操るのは容易い。
「無駄です。のこのこと出ていっても殺されるだけです」
これは嘘だった。あの女王の目的は、なるべく領主層の不信を買わずに大神殿との土地問題を解決することなのだから、スダーフが大人しく土地を差し出せば和解できる可能性は高いのである。
だが、そんな単純な和解をされては困るのだ。
「ならば、どうすればいい?」
「迎え撃てばいいのです」
「無理だ! 単純に兵力が足りぬ。それに、お前は女王の騎士の強さを知らないのだ!」
それは常識的な判断だった。だが、彼女の焦りにつけこんで、それを歪めてやらねばならない。
「女王の騎士、それこそが狙い目なのです」
レクアルの言葉に、スダーフは目を見開く。
「どういう意味だ?」
「女王の騎士の常人離れした強さこそ、ユウリ・カナムラが神託の女王であるという、最も説得力のある証なのです。逆に、騎士が討たれたならば、女王は神話を失い、領主たちは離反するでしょう。我々は女王の騎士一人を殺せばよいのです」
所詮、女王の権威とはその程度のものだ。神話を笠に着ただけの、どこの馬の骨とも知れぬ小娘に過ぎない。
「理屈はわかるが、如何にする? 女王の騎士は鬼神のごとき強さだぞ」
そこでレクアルは恭しく膝をつく。
「このレクアルにあなた様のお命をお預けいただけないでしょうか。この命を賭して、女王の騎士を討ってみせましょう」
「できるのか?」
「私の強さはご覧になったことがございましょう?」
レクアルの言葉に、スダーフはしばし彼女を見下ろして、
「なにゆえそこまで私に肩入れしてくれる?」
「我が主への忠誠ゆえに。我が主は正統な統治者をお望みです」
スダーフは問う。
「主とは誰なのだ?」
「それは問わぬとの約束のはず」
結局、スダーフはレクアルに女王の騎士を討つように任せるのだった。




