072 自由研究
「どうして守子先輩がこちらに?」
文乃たちがエンザルトの死体を見つけて、有里に報せを送り、しばらくの時間が経っていた。驚くべきことに、守子が現場にやってきたのである。緊急事態とはいえ、有里の側近は文乃が既に現場にいるのだから、守子を追加で派遣してくるのは何か重要な思惑があるのだろう。
「ちょっとした自由研究さ」
殺人事件を前にして、守子は不謹慎な言い回しで何やら荷物を見せる。日本語だったから、他の面々には何を言ったかは聞き取れていないはずだが、彼女のふざけたニュアンスは伝わってしまったらしい。ミゼリアがむっとした表情で守子を睨んだ。
「ふざけるのは場を弁えてください」
文乃の苦言に、守子はごめんごめんと、軽く謝るだけだった。
「それで、その荷物は何です?」
守子が抱えてきた荷物。わざわざ彼女がやってきた理由がその小箱の中身であろうことは想像するまでもない。
「ああ、これ? 見たらわかると思うよ」
守子は箱を開ける。箱の中の物で真っ先に目についたのは筆だった。他には紙、布、そして──
「化粧道具にセロハンテープですか」
転移のときにたまたま持っていた荷物という形で、文乃たちは元いた世界の物品を多くこの世界に持ち込んでいた。スマホのようなこの世界にとってオーバーテクノロジーすぎるものはもちろん、鉛筆一本でさえ、この世界には高品質なものだ。余計なトラブルを避けるため、持ち込んだ物はなるべく使わない、という方針で過ごしてきた。
その方針に反してまで、守子はこんなものを持ち出してきたのである。
「代用品を作ってる暇はなかったからさ。有里の許可は取ったよ」
文乃は彼女が何をしようとしているのか理解して、
「確かに必要ですね、この場合」
と追認の意思を示す。
必要なのは、細かい粉末、粘着性の糊と透明な膜である。粉末のほうはいろいろ代用品がありそうだが、十分な細かさのものを確保するのは面倒だろう。透明な膜も、樹脂か何かを使えば代用できそうだが、まだまだ土地勘の足りない文乃たちに、手頃な材料を見つけるのは難しい。今回のような緊急事態ならば、なおさらだ。
「それで、ご遺体は?」
「こっちです」
文乃の指示でエンザルトの遺体は動かされていない。もちろん、その胸に突き刺さった刃物も。死人の顔には布がかけられていた。歪んだ最期の表情を晒し続けるのは忍びないと、捜索にあたった衛兵の一人がかけたものだ。
「じゃあ、失礼して」
なるべく柄の部分に触れないようにして、守子は刃物を抜き取る。布を敷いた地面に刃物をそっと置く。守子はアイシャドウを刃物の柄にふりかけた。日常では絶対にしない行動だが、それに躊躇が見られないあたり、本当に自由研究でやったことがあるのかもしれない。
守子は筆で余計な粉を払い落とす。
「思った以上に上手くいったよ。ほら」
守子が笑みを浮かべて刃物を見下ろす。文乃がその背中越しに覗きこむと、刃物の柄にはくっきりと指紋が浮かび上がっていた。
人を刺したのだから当然だが、かなりしっかり握りこんでいたらしい。親指がまっすぐ触れなかったせいで欠けた指紋になっていることを除けば、五本の指の指紋がしっかりと取れている。細かい鑑別は不可能だが、大まかな型くらいは調べられそうだ。
そして、指紋はそれ以外にも重要な情報を語っていた。
「左利きだね」
五本の指の跡の配置は明らかに左手だ。
「しかも、手は小さめですね。まだ子どもか、もしくは女性でしょうね」
「刺さってた角度は水平に近かった。背丈はあるから、子どもじゃないよ」
つまり、犯人は女性の可能性が高く、左利きである。一つ目の条件で人口の半分が除外された。そして、この世界でも左利きは珍しいから、地球と同じくらいと思えば、さらに十分の一くらいにまでは絞り込めたことになる。
守子はおおよその位置を記録すると、指紋をセロハンテープに写し取って紙に貼り付けた。証拠の保存もばっちりである。
「あとは、ここからどうやって犯人を探すかだけど。左利きの女性を片っ端から尋問するわけにはいかないし」
「そうですね──、ん?」
文乃はエンザルトの右手に目を向けた。小指に指輪がはまっていたのだ。いまだ憔悴して泣いているミゼリアに、エンザルトの指輪について尋ねると、いつもしているものだから、特別というわけでもなさそうだ。だが、
「物盗りなら、真っ先に持っていきそうですね」
つまり、強盗に襲われて死んだのではない、というのが文乃の判断だった。守子も頷いて、
「となると、暗殺の可能性もあるか……」
「その可能性も否定できませんね」
暗殺なら犯人はもう街から逃げ去っているかもしれない。そう思うと、捜査が大幅に後退した気がする。げんなりしつつも、文乃と守子は状況を有里に報告するために領主の館へと戻った。
執務室で報告を聞いた有里は、
「私怨かもね」
と一言告げた。
「へ?」
面食らう文乃に、有里は淡々と告げた。
「左利きの女性の可能性が高い。強盗じゃないとなると、いくつか可能性は考えられるけれど、容疑者を街全体に広げる前に、まず調べるべき人がいるでしょうに。いたでしょう、エンザルトのすぐ近くに、左利きの女性が」
文乃はある場面を思い出す。確かにと、文乃は絶句する。
「でも、そんなことあるかな?」
と守子が疑問を口にして、
「さあ。私の知らない何かがあったのかもしれないし、私の失礼な憶測に終わるかもしれないし。文乃、細かい調査は任せた。巴絵、いざというときはあなたの剣に頼るから」
女王は冷たく指示する。文乃は承知しましたと、執務室を出た。




