069 早朝の寝室
早朝、女王の寝室で巴絵は目を覚ました。隣では、まだ有里が寝息を立てている。
眠っているときの有里は、普通の少女──というには美人すぎるが、少なくとも、周囲を飲み込むかのような覇気を撒き散らしてはいなかった。ただ、穏やかな眠りに身を委ねた、一人の女の子だった。
女王と騎士の契りを結んで以来、有里は巴絵に寝室を共にすることを命じていた。
巴絵には、その有里の行動の意味がはっきりとわかる。藤堂巴絵を支配し、我が物にしたと自分を納得させるための行為なのだろう。自分自身の中の恋心を捻じ曲げて、女王たる自分のあり方を受け止める。
ある意味では自傷行為だが、彼女には必要なことなのだ。
だから、巴絵はそれに寄り添い、従う以外の選択肢を持たない。
「それを君が望むなら」
有里の頭を軽く撫でてから、巴絵は身体を起こした。有里を起こしてしまわないよう、ゆっくりとベッドを抜け出す。
カーテンの隙間から外を確かめる。うっすら明るくなってきてはいるものの、まだ日の出前だった。夏至が近い今の時期なら、有里はまだゆっくりと眠ることができるだろう。
巴絵はもともとの生活習慣でもそもそも早起きだったが、こちらに来てから目覚める時間がますます早くなってきている。夜は遅くまで有里の仕事が終わるのを待ち、共に寝室に入る。巴絵は毎晩、有里が眠りに落ちるのを見届けている。
単純に巴絵の睡眠時間だけを数え上げれば、明らかに寝不足だった。
だが、身体に不調は感じられない。眠気は全くなく、頭の中もすっきりしている。昼間に眠くなるなんてことも起きてはいなかった。
つまり、眠れないのではない。
「眠る必要もなくなってきているのか……」
巴絵は独りごちる。おそらく、これも女王の騎士としての力なのだろう。自分自身が人間でなくなっていく、そんな気がする。それが恐怖である一方で、有里を守るという役割を考えると都合がいいと考える自分がいて、巴絵は苦笑する。
藤堂巴絵というのは、本来的にそういう人なのだ。
勝手に安心しつつ、巴絵はベッドで眠る有里を見る。このことは、有里には黙っておかなければならない。有里はいい気分はしないだろうから。
さて、と巴絵は椅子に腰を下ろす。
有里が眠るベッドの脇の椅子だから、有里の寝顔がよく見えた。昔に読んだ恋愛マンガでヒロインが恋人の寝顔を愛おしげに眺めるシーンを思い出す。だが、そのときのヒロインの気持ちとは、巴絵の内面はどこかずれている。
有里のことは、美しいと思う。整った顔立ちは芸術品のようだ。美術館で美しい絵画の前でずっと座っていられるように、有里のことは何時間でも眺めていられるだろう。
結局のところ、それだけだった。
あのヒロインの気持ちに共感できたのなら、有里が巴絵に向けるのと同じ気持ちを有里に返せただろうに。
巴絵は目を閉ざして、体重を椅子の背もたれへと預ける。眠くはないが、こうして目を閉じていることはできる。聞こえてくるのは、有里の寝息の音のみ。じっと、巴絵は瞼の裏を見つめつづけた。
しばらくそうしているうちに、どれくらい時間が経ったのか、わからなくなった。
やがて、衣擦れの音で巴絵は再び目を開けた。いつの間にかカーテンの向こうは明るくなっており、日が登り始めたようだ。
「おはよう、巴絵」
巴絵の愛する女王が、その身を起こしていた。美しい黒髪が流れるように揺らめいた。閉ざされていた瞼が開き、女王の証である青い瞳がこちらを見つめている。
「おはよう、有里。もう少し寝ていても大丈夫だよ」
巴絵が言葉を返すと、
「大丈夫。目が覚めちゃったし、二度寝する気にはならないの」
そう言うと、有里はベッドの端に座り、手で巴絵を招いた。いつもの命令だと、巴絵は理解した。
巴絵は有里の隣に腰掛けると、有里の唇に、自らの唇を重ねた。
毎朝そうするように、有里から命じられていた。
忠誠の表明であり、支配の確認。そのためのささやかな儀式。
唇の重なっていた時間は、ほんの僅か。唇を離すと、有里は微笑んだ。
「今日もよろしく、私の騎士」
巴絵はベッドから降りて、床に跪く。
「女王陛下の仰せのままに」
そのとき、ドアをノックする音がした。まだ人が訪ねてくるには早すぎる時間だ。巴絵は念のため剣を手に取って、ドアの前へ。いつでも剣を抜けるようにしつつ、ドアの向こう側に問いかける。
「誰だ、こんな早朝に」
「ご無礼をお許しください。ユキニアです。陛下に至急、お伝えしたいことが」
ドアを開けると、秘書官がまだ眠そうな目で立っていた。彼女とは付き合いは短いが、ユキニアが事の大小を取り違えて、どうでもいい用件で早朝に訪ねてくるような人間でないことはよくわかっていた。
実際、慌てて来たと見え、服装こそ整えているが、いつもは丁寧に櫛の入っている髪が乱れている。
「何事だい?」
「先程、神殿から報せが参りました。エンザルト様が行方不明だそうです」
思わぬ報せに、巴絵は有里と顔を見合わせることとなった。




