065 小さな事件
口の中に甘い味が広がった。日本の甘い菓子に比べれば控えめな甘さのはずだが、甘味が久々だからか特別に甘く感じられた。近くで取れたベリー系の果実を使った焼き菓子で、このあたりの伝統的な形式らしい。
菓子を頬張る文乃を、ジルトがそれはもう楽しそうに見つめているので、文乃はとっさに手で口元を隠し、彼を睨んだ。
「なんですか、その目は」
「私もあなたの素敵な笑顔が見られて嬉しいのですよ」
この男は、すぐにそういうことを言う。あまりにも軽く言うせいで、聞かされるほうは呆れるしかない。
「そういう口説き文句は使いどころを見極めたほうがいいですよ」
「使いどころが良ければときめいてくださると?」
「一般論です。私の感性の話ではありません」
「これは手厳しい」
ジルトはけらけらと笑いながら自身の分の焼き菓子を口にする。どうやら口にあったらしく、眉が大きく動くのが見えた。彼はものすごい勢いで残りを平らげ、屋台の店主に声をかけてもう一つ注文する。
二つ目の焼き菓子をかじる彼に文乃は言った。
「甘い物がお好きなんですか」
「いやあ、お恥ずかしい」
「別に恥ずかしがることないでしょうに。美味しいですから、これ」
ははは、と照れるように笑う彼は年相応の少年だ。もともと見栄えが良いだけにとても絵になる。出かける前も思ったが、彼には無邪気な笑みのほうが似合う。背伸びした気障ったらしさは似合わない。
「そういう笑が──」
文乃が言いかけた瞬間、通りのどこかで怒号がした。
「俺から財布をスろうなんていい度胸してんなクソガキ!」
見ると、通りの少し先で、傭兵らしき大柄な男が、痩せた、幼い少女の腕を捻り上げている。その手には財布らしきものが見えた。男はそれを奪い返すと、少女を地面に投げるように転がす。
そして、躊躇なく蹴りを入れた。
小柄な少女はその蹴りで軽く吹き飛ぶように地面を転がる。
少女はなんとか立ち上がって逃げ出そうとするも、先程の蹴りが効いているのだろう、走ってもふらふらと足取りがおぼつかない。
「おい、逃げんなコラ! 衛兵に突き出してやる!」
とうとう転倒した少女に、男が近づいていく。男が再度の蹴りを入れようとしたそのとき、野次馬の隙間から白い服を着た人が飛び出し、そのまま少女を庇うように抱き寄せた。男の足は痩せた少女にではなく、庇った者の背中を激しく打った。
「なんだテメエ……!」
苛立っている男は、スリの少女を庇った者を威圧する。一方で、野次馬たちがざわめきはじめた。飛び出てきた者が羽織っているのが、神官の白いローブだったからだ。
「乱暴はやめてください!」
神官の声は若い女──というより少女の声だった。そして、その声を文乃は知っている。
「ミゼリアさん……?」
大神殿からの使者の一人で、文乃と同い年の少女だった。
神官相手にも男は怯まずにドスを利かせた声で煽る。
「おい、神官サマはスリを庇って、被害者を悪者扱いすんのか? あぁ?」
まずいなと、文乃は思う。男は今にもミゼリアに暴力を振るいそうだ。
この街は有里の統治下にある。そこで大神殿の神官が大怪我などすれば、大神殿からの信頼を失いかねない。
文乃はちらりと隣のジルトへ視線を向けた。彼は文乃と目があうと、食べかけの焼き菓子を慌てて口に押し込んだ。
「この場は私が預かります」
文乃は男とミゼリアの間に割って入るが、冷静さを欠いた男は激昂するばかり。
「神官の次は誰だよお前は?」
そう叫んで振り上げられた男の腕を、ジルトがあっさりと止める。
「その方は女王陛下の直臣だ。殴ったりしたら確実に首が飛ぶぞ」
あまりに物騒な脅迫と、ジルト自身の武人としての威圧感が男の本能的な恐怖を呼び覚ましたらしい。男はすくみあがって大人しくなる。それを見て取って、文乃は男に告げた。
「財布は取り返したのでしょう? ならば、あの子の詮議はこちらで行います。それと、相手がスリでも過度な暴力は治安を乱すものとして処罰の対象です。今回は見なかったことにしますので、どうか穏便に」
チッと舌打ちをして、男は逃げるようにその場を去っていった。少女がスリなのだとすれば、彼の証言も必要なのだが、わざわざ追いかけてまで証言を取るほどのものでもない。痩せ細ってスリをはたらいた少女に必要なのは処罰ではなくて保護なのだから。
「無茶はやめていただきたいですね、ミゼリア殿」
文乃は背後を振り返り、幼い少女を庇うように覆いかぶさっている神官を見下ろす。
ミゼリアは、スリの少女の手を取って立ち上がると、空いた手で白いローブについた土汚れを軽く払う。
「危ういところを助けていただきありがとうございました」
「お怪我はありませんか?」
「蹴られたところは痛いですが、大した怪我ではなさそうです」
背中をさすりながらミゼリアは苦笑いした。一瞬だけ顔をしかめたから、痛みはあるのだろう。ミゼリアはスリの少女に視線を落とし、
「怪我はありませんか?」
と問いかけた。少女は視線が自分に向いたことに怯えを覚えたらしい。
「痛っ!」
少女は思いっきりミゼリアの脛を蹴り飛ばすと、ミゼリアが思わず手を離したのをいいことに、だっと駆け出した。
ジルトはちらりと視線で追うかを尋ねてきたが、文乃は首を左右に振った。
脛を蹴られたミゼリアはというと、痛みに悶えながらも少女の走り去った方向を心配そうに見つめていた。




