064 経緯
「羨ましい」
書類への署名に一段落着いたところで、有里はつぶやいた。もちろん、文乃のことだ。今頃、祭りに浮かれる街でのデートを楽しんでいるはずである。
「計らったのは陛下ご自身ではありませんか」
署名された書類を受け取ってまとめながら、秘書官であるユキニアが指摘する。
「それは、ほら。必要なことだと思ったから」
「そうですね。少々、働きすぎでしたから」
有里が女王になってから、文乃には手足のように働いてもらっている。そのせいでかなり負担をかけているところがあった。少し休ませてあげたいと思っていたところに、ジルトという存在の出現は渡りに船だった。
「文乃にはまともでいてもらわないとね」
文乃は有里たちのブレーキ役だ。女王の臣下としての仕事に、彼女までのめり込みすぎては、有里としては困る。彼女の正論が有里にとっては必要なのだ。それは、こんなことに巻き込んだ側である有里のわがままでもある。
そのとき、執務室のドアがノックもなく開かれる。
「まるで、私たちがまともじゃないみたいな言い方だね」
ふざけた笑みを浮かべた守子が入ってくる。有里は生徒会の面々には、有里の執務室にノックなしで入ることを認めていた。特別待遇を示して、彼女たちの立場を確保するためだ。
守子の言葉に返事をしたのは、有里でなく巴絵だった。
「今更言うにはつまらない冗談だよ、守子」
最近、というかこちらの世界に来てから、二人はやけに通じ合っているように見える。その理由は察しているから、有里がむかっとするのは、おそらく理不尽の類だろう。
「巴絵、今度、街へ出かけましょうか」
「もちろん、君が望むなら」
巴絵は穏やかな笑みでそう応えてくれた。ただ、続けてこうも言う。
「でも、時間は取れるのかい?」
女王というのは意外と多忙だ。決済すべき書類は多いし、空いた時間には次々と人と会う予定も入る。その上、今回、更なる厄介事が増えたのだ。
「そのために、面倒な仕事をさっさと終わらせたいの。例の土地の件、概要はさっき聞いたけど、詳しい状況を教えて」
はい、とユキニアが資料に目を落とす。
「領地の安堵ではそれぞれの土地の領有の正当性を申告させていますが、問題の土地については、八十二年前、スダーフ男爵家初代当主、すなわち、現当主の曽祖父の代のときに得た土地だと申告されています」
八十年強となるとかなりの年月だ。当時のことを直接に把握している人を探すのは困難だろう。とりあえず、記録を辿るほかない。
「土地の治安を守る主がいなくなり、盗賊の跋扈する土地になっていたところ、一部の住民たちが隣接するスダーフ男爵領に逃げ込み、援助を求めたということになっています。初代男爵は兵を出して治安を回復。以後、事実上の統治者となったようです」
「その主張を信じるなら、男爵家に正当性があるわけか」
王国の法では、領主は領地の治安を維持する義務がある。統治を行わずに放置した場合、十年で土地の領有権を失うことになっている。近隣の領主は放置された土地の民を保護するためなら出兵し、その土地を自らの統治下に置いてよいとされている。もちろん、本来の領主が領有権を失うまでの間に返還を求めたならば返還の義務を負う。
「大神殿は放置していなかったと主張するか、もしくは返還を求めたと主張するだろうね」
守子がやれやれと両手を広げながら言った。
「おそらく前者でしょうね」
有里が言うと、ユキニアが小首を傾げる。
「どうしてそちらだと?」
「当時、土地の返還を求めたのならば、その記録があるはずでしょう。そんなものがあるのなら、最初から提示するはず」
その点、統治をせずに放置したという条件は曖昧だ。ごねようと思えば、いくらでもごねられる。
「こちらとしては統治の記録の提出を求めることになるだろうけど」
法の建前を考えると、治安維持をしていた証拠、たとえば、罪人を裁いた記録などが望ましいが、徴税などの記録でも構わない。大神殿が何かしらの記録を出せなければ、男爵家の主張に分があることになろう。
有里はユキニアに問う。
「男爵はまだこの街に?」
「そのはずですが」
男爵のほうの言い分も改めて聞く必要があるし、最も穏便な解決策の可能性を探る必要があった。
「男爵自ら土地を大神殿に返してくれないかな……」
有里が願望を口にすると、守子が首を振る。
「そんな簡単に行くわけないでしょ」
「ですよねー」
有里もそんな甘い期待はしていない。
「応じなかった場合はどうするか、守子、何か考えはある?」
守子に問うと、彼女はその腹にあった案を言葉にした。有里はそれを聞き、顔をしかめることになった。
「あまり気持ちの良い策じゃないかな。それに、文乃は絶対に反対するでしょうね」
「だからいないときに話したんだよ。文乃にはまともでいてもらわないとね」
それには有里も同意するほかないが、そもそも有里自身が乗り気ではない。それに、上手く条件も揃っていないように思われた。
「当面は別の方策を考える。でも──」
有里は隣の巴絵に視線を向ける。
「いざとなったらよろしくね、巴絵」
「それを君が望むなら」
女王の命令に、巴絵は恭しく頭を下げて見せた。




