062 交渉
大神殿からの使者たちとの交渉は、翌日、時を改めて行われた。
女王の政府側からは、メレーゲ、文乃、守子が出席していた。対する大神殿側はエンザルトとキリアスが交渉の席についた。館の一室で、机を挟んでの交渉である。
大神殿への寄付、各地の神殿への保護などの交渉はごく穏やかに行われた。寄付金についての算段を守子が立ててあったからというのも大きいが、大前提として、互いに対立することを望まず、落とし所を探ろうという意思があったからである。
続いて大神殿領の権益についての話に移った。大神殿の領する土地に関しては、民の税を免じて大神殿への寄付に代えさせる。それは王位が空く以前からの慣例であり、女王の政府としては、それを承認するほかなかったし、積極的に拒むだけの強い理由はなかった。
一方で大神殿以下の各地の神殿は、神事などを通じて女王の権威付けに協力する。それが大神殿側から有里たちに供される利益だった。
すれ違いが生じたのは、大神殿の支配権の及ぶ土地がどの範囲かという部分であった。
大神殿周辺の土地は、現在も大神殿の管理下にある。ゆえに、現在もその土地の(寄付という名の)徴税権は神殿が握っている。一方で、乱世の中で犯された大神殿の土地がいくつかあるのだとエンザルトは主張した。
その中で、既に女王が掌握している土地の権益を回復したい、というのが大神殿の立場だというのだ。
「こちらが寄進されたときの記録です」
丁寧に綴じられた書類を提示してくる。なんと三百年も前の古文書だという。
慎重に中身を確認すると、たしかに世継ぎのいなかった貴族が、王の許可を取って領地を寄進したとある。土地の場所の記載を見て、文乃は顔をしかめた。
見覚えのある地名だった。たしかこれは。
「権益を犯しているのは、スダーフ男爵です」
エンザルトが告げた。文乃の記憶と符合する。
スダーフ男爵は亡きシマニエク伯爵の従妹にあたる貴族だった。
先の戦いでは伯爵について戦った──のだが、会戦で伯爵の不利を見て取るや、一門であるにもかかわらず真っ先に撤退し、シマニエク市が陥落するよりも前に服属を申し出てきた風見鶏である(ちなみに、日本語だと「男爵」となりややこしいが、伯爵の従妹であり、女である)。
スダーフ男爵からは領地の一部を没収したが、すぐに服属したこともあって残りの土地の支配権については安堵していた。その件は文乃の名で女王に奏上し、有里が署名をしている。
その安堵した土地の中に、大神殿から横領した土地が含まれているようだった。その旨を、この場の首席であるメレーゲに耳打ちすると、メレーゲも苦い顔をした。彼女は冷静に判断を告げる。
「大神殿の立場は理解いたしましたが、お約束はできかねます。男爵の言い分も聞かねばなりませんので」
すると、凛とした声が響く。
「歯切れが悪くなりましたね。何か不都合でも?」
キリアスだった。こちらの焦りを見透かしているのだろう。
「まさかとは思いますが、保身のために大神殿の権威を軽んじるわけではありませんね?」
それは図星だった。
女王とその政府を支えるのは、この一帯の領主たちが従うと決めたからである。服属の理由としては、付近で大きな勢力を持っているメレーゲ家とシマニエク家の両貴族のうち、片方が女王に従い、もう片方が女王の名において討たれた、というのが大きい。神託の女王という大義名分も重要ではあるのだが、それはあくまで大義名分にすぎない。
領主たちの忠誠を繋ぎ止めるのは、やはり彼らの領地なのだ。
一度、安堵した土地の支配権を、大神殿の主張を丸呑みして取り上げてしまうのは絶対にできない選択肢だった。本人だけでなく、他の領主たちの不信を確実に招く。
少なくとも、互いの主張を聞いて、適切な裁きを下したという体裁は必要だろう。だが、仮に適切な判断をしたとしても、今回の件で大神殿の主張を認める判断をすれば、領主たちからの不信を買う可能性は捨てきれない。
結局のところ、それが最も悩ましいことだった。
結局、メレーゲは逃げの一手を打った。
「この件は、女王陛下のご判断を仰ぐ時間をいただきたい」
キリアスが追い打ちをかけるように口を開こうとしたところに、割り込むようにエンザルトが嗜める。
「キリアス、そのあたりにしておきなさい。土地の権利は世俗の話。その法を定め、その法に則り裁くのは女王陛下の役割です。女王陛下がそれを正しく全うしてこそ、神々の権威も保たれる」
エンザルトの視線がゆっくりと文乃たちを見回した。
「女王陛下は正しい判断をなさる。そう信じてよろしいのですよね?」
そう問われたならば、文乃たちは首肯して返すほかなかった。
結局のところ、エンザルトは文乃たちに助け舟を出しつつ、釘も刺したというわけだ。老練な神官の巧さに、文乃は思わず舌を巻いた。
その他の土地の話は、拗れることなく進んだ。大神殿の領有する土地の多くは、まだ女王の勢力圏になかったためである。空手形を出すようなまねはしなかったが、少なくとも領主に安堵を告げる前の土地であれば、まだ大神殿に返せる余地は十分にあるのだった。
会談を終え、エンザルトたちを館の門まで送ったあと、文乃はどっと身体が重くなった気がした。
自覚していた以上に気を張っていたようで、交渉が一段落して一気に疲れが出たらしかった。
「お疲れ様」
玄関のところで待ち構えていた守子が、へらりと笑いながら文乃の肩を叩いた。
「すみません、例の土地の件は私の失態です」
「まあ、色々やってたら、そういうこともあるでしょ」
「それで済めばいいのですが……」
「ま、最終的になんとかするのは我らが女王陛下だから」
無責任に宣う守子を、文乃が睨むと彼女はふざけた笑みを崩さずに言う。
「睨まないでよ。一応、腹案も考えてはあるんだけどさ」
文乃は直感した。きっと、ろくでもない案だ。おそらくは謀略を巡らせる類の。
「腹の中にしまっておいてください。真っ当な案を考えますから」
その時、割り込む声が一つ。
「あまり、根を詰めすぎるのはよくないですよ、アヤノ殿」
ジルト・ヴェルジールが壁に背を預け、気障ったらしい笑みを浮かべていた。
「うえぇ……」
思わず文乃が漏らした声に、隣で守子が吹き出した。




