061 神官たち
神官は世俗の王に跪くことはない。
彼らが仕えるのは、神々であって人間ではないからである。
神都からの使者たる上級神官のエンザルトも、その規律に従っていた。代わりに、右腕を前に出して手のひらを上に向けた。武器を持たぬことを相手と神に示す、神官の行う挨拶の儀礼である。
エンザルトが身に纏うのは身分を示す紫紺のローブ。白髪交じりの髪、皺を刻んだ顔と穏やかな微笑。
人格者として知られる聖職者だと事前に聞いていたこともあって、エンザルトの立ち居振る舞いはその徳の高さを伺わせているような気がした。
そう思ったのは、文乃だけではないらしい。
領主たちとの面会では、威厳を持って椅子から立ち上がろうとしない有里が、彼を見た瞬間にするりと立ち上がったのである。それは素直な敬意の表明だった。
だが、それは同時に、自分が小物に見えないようにするための計算でもあったのだろう。有里は自然と立って応じたことで、地位と徳と年齢とを兼ね備えた宗教者と、しっかりと渡り合っているような印象を周囲に示すことに成功していた。
そういう演出を、息をするようにやってしまうのが、金村有里という少女だった。
エンザルトは有里の顔を見て、ほう、と声を上げた。
有里は穏やかに問いかける。
「どうかしましたか?」
「失礼。若いと聞いてはおりましたが、思っていた以上に若かったものですから。ミゼリアも連れてきて正解でしたかな」
エンザルトの背後に、あと二人の神官が控えていた。白いローブは下級の神官であることを示すものだ。フードから覗く顔は、二人とも若い女だった。一人は有里たちよりも少し歳上だろう。そして、もう一人はあどけなさの残る少女だ。有里たちと同年代だろう。
文乃は、若い女二人を伴っているのは厳格な宗教者に似合わぬ振る舞いだと思ってもいたのだが、今の言葉で彼の意図を理解した。女王と歳の近い女性を連れてきて、親交を結ばせるためだろう。女王が気楽に接することができる相手として。
意図を察した有里は、二人の神官に視線を向けた。
「お名前をお聞きしても?」
エンザルトは視線で二人に答えるように指示し、年長のほうが左手を前に示して応える。
「この度、副使を務めております。キリアスと申します」
美しい声だった。鈴が鳴るような声というのは、こういうのを言うのだろう。
副使、と名乗ったので、若いわりにそれなりの地位にあるらしい。
もっとも、それを言ったら女王とその周辺は若者ばかりだ。メレーゲでさえ、重鎮となるには若すぎる歳と言ってよく、地位に相応しい歳を重ねているのはニルバスくらいのものだ。エンザルトには、女王の政府はどのように見えているのだろう。
「キリアスは優秀な若手でして。将来のことを思えば、私よりも彼女と親しくなっておくべきでしょうな」
そう語るエンザルトは娘を自慢するような笑みを浮かべていた。
おそらく、本当の娘のように可愛がっている部下なのだろう。
無論、今の言葉はただの親バカなどではない。
将来のこと、という言葉は少なくとも、第一印象で切り捨てることはしないということを含意していた。有里たちにとっては、一安心といったところだろうか。
有里は軽く相槌を打ったあと、もう一人に問うた。
「ということは、あなたがミゼリアさんですか」
「は、はい!」
ミゼリアという名前らしい少女は、上擦った声で返事をした。緊張しているせいか、儀礼のしぐさをしそびれ、慌てて右手を前に示す。
有里はさっと彼女の側へと寄り、その手を取った。
「緊張しなくて大丈夫。歳も近いでしょう? おいくつですか?」
少しだけ砕けた口調。ミゼリアは慌てて答える。
「えっと、この前、十七になったばかりです」
「じゃあ、文乃と同い年だ。文乃も明日に十七だから」
言われて気がつく。この世界に来る前の文乃は誕生日を控えていた。そういえばと日数を数えてみると、ちょうど明日が誕生日にあたることになる。
文乃は一歩進み出て一礼する。ミゼリアはじっとこちらを見ていた。
「仲良くしてあげて」
と有里はミゼリアに囁いた。ミゼリアは緊張が残っているものの、
「はい。ありがとうございます」
と落ち着いて返事ができていた。
それを聞くと、有里は口の動きで文乃に「よろしく」と伝えてきた。
誕生日のプレゼント代わりに、社交の仕事が増えたようだ。
文乃がげんなりしていると、
「さて」
と有里が女王の表情に戻る。
「我が騎士の紹介がまだでしたね」
女王の青い瞳につられるように、その場の全員の視線が、巴絵へと向いた。
赤い瞳の騎士は無言で進み出て、一礼する。
「我が騎士の巴絵です。我が身とこの国に迫る災いは、彼女が全て斬り捨ててくれましょう」
神官たちの巴絵を見る目は様々だ。
ミゼリアは巴絵の凛々しい美貌に見とれてしまったように見え、ぽかんと口を開けてしまっている。対して、キリアスの反応は薄い。表情から心情は読み取れず、あくまでも事務的な対応をしているようだ。
彼女たちと比べ、エンザルトの表情は異質だ。
観察するような目だった。
値踏みしている冷徹な目ではない。本質を見抜こうとしているような温かい目だ。
「いい目をしていますね。苦悩する者の目です。神々は苦悩する者にこそ、救いを与えるものです。神々の導きを欲するならば、いつでもお手伝いいたしましょう」
文乃はヒヤリとした。
有里がまたしても激怒するのではないかと思ったのだ。実際、文乃の目には、有里の表情がほんのわずかに歪むのが見えていた。
しかし、
「ご厚意をいただき、ありがとうございます」
巴絵が口を開いた。
「ですが、私を導くのは、女王陛下のみ。神々ではございません。私の人生は、有里とともにあることなのです」
エンザルトはふむと頷き、その穏やかな目で女王を見つめた。
巴絵の答えを聞いた有里は、理知的な女王の表情に戻っていた。
「女王陛下、あなたが進むべき道を見失ったときは、神々に仕える者として、私がお手伝いしましょう」
有里はエンザルトの言葉に一礼で返した。
「感謝いたします。エンザルト様」




