060 居座る貴公子
「なんであなたがここにいるんですか、ジルト殿」
翌日。自身の執務室で、文乃はジルトを睨みつけた。彼は、どこからか持ってきたボロ椅子に腰掛けて、文乃が事務作業をこなすのを眺めているのである。彼のほうから頻繁に接触してきそうだと予想はついていたが、まさかここまで強引な手段を取ろうとは。
「兵士たちに剣の稽古をつける件、お引き受けすると伝えに来たのですが」
「それはさっき聞きましたよ。なぜそのまま居座っているかと聞いているんです。そもそも、その程度の用件なら、あなたが直接来る必要もないでしょうに」
ジルトは気障な笑顔とともに、前髪をかきあげる。
「私はあなたに興味がありまして」
「暇なんですか?」
「はっきり言うと、その通りですね。強いて言えば、女王陛下の陣営の内情を探ることくらいしかすることがありません。あなたに会いに来れば、一石二鳥というやつですね」
一石二鳥の二羽目が何かは置いておいて、要するに、女王の側近である文乃の側に居座るというバカげた手段によって、女王陣営の内情を探ろうとしているわけである。
「だったらさり気なくやってください。馬鹿なんですか」
「男というのは、美女の前では馬鹿になる生き物なのです」
ジルトの冗談とも本気ともつかぬ言葉に、大きなため息をつきそうになる。
とはいえ、こちらとしてもヴェルジール公爵家の内情を探りたい。適当な理由をつけて追い払ってしまってもいいのだが、どうせなら機会は活かしたほうが今後のためだろう。文乃が仕事に集中するのを邪魔するわけでもないし、部屋で二人きりでも変なことをしてくるような人間でもなさそうだ。
自分の護衛だとでも思っておこうと、文乃は決めた。しかも、最強の。
「邪魔しないでくださいよ。私に手を触れるのも禁止です」
一応、釘を刺しておく。
「もちろんですとも」
と、ジルトは笑顔で答えた。
そのとき、ドアがノックされた。
文乃の許可を得て入ってきたセゾは、ジルトを一瞥し、
「なにゆえ、ジルト様がまだこちらに?」
「追い返しそびれました」
「なるほど。それは災難ですね――で、例の件ですが」
セゾがちらりともう一度ジルトを見る。ジルトはひょいと立ち上がり、
「私に聞かれてまずいことなら、一度出ますが」
と言ってのけた。
しぶとく居座っていたくせに、弁えている部分はきちんと弁えているようだ。変なところでちゃんとしている男だと、文乃は呆れが一周回って感心してしまった。
「ちょうどいいです。あなたも聞いてください。神都からの使者の件ですね」
神都からの使者。彼らからお墨付きをもらうことが、目下の女王陣営の最優先事項と言っても過言ではない。女王の権威が神託に依存している以上、彼らの支持は必須だ。
「まもなく到着すると、先触れがありました。今夜は近隣の村に一泊し、明日の昼には着くとのことです」
彼らの支持を得るのに必要な条件はいろいろとあるだろうが、まずはまともに彼らを迎え入れるのが最初の条件である。
「この街での宿は、街の神殿の施設を使うのでしたね?」
「その予定だそうです」
そのほか、事務的に確認すべきことを上げてセゾに指示する。その多くは既にセゾが済ませていたので、追加の指示はほとんど不要だった。彼らの到着早々に怒らせるようなことはないだろう。
むしろ重要なのは、その後、ジルトに対する頼み事のほうだった。
文乃が彼に視線を向けると、
「その使者とやらと、どこかで私も同席すればよいのですね」
意図を察したジルトが言った。
「その通りです。東方最大の武門が従っていると示すことは、女王の能力を示す上で重要ですから」
文乃は軽く説明を加えたあと皮肉を込めて言う。
「お暇なようですし、ご協力いただけますね」
ジルトは取り繕ったような微笑みを浮かべ、恭しく頭を下げる。
「女王陛下の御為ならば喜んで」
ジルトは顔を上げると、人懐っこい笑みに戻った。
「そして、それがアヤノ殿の頼みならば、なおさら張り切るというものです」
ジルトの軽薄な言葉に、文乃は苦笑いで誤魔化すほかなかった。




