059 女王を滅ぼす者
最初にジルトを通した応接室に戻ると、ジルトは従者二人を廊下に出し、文乃と二人きりで向き合った。
「私が勝ってしまえば、女王の騎士の威光は揺らぐ。それは誰も望まない結果です。違いますか?」
ジルトは先程の問いの答えをあっさりと口にした。
落ち着き払った、公爵家の三男。軽薄な軟派男の時とは違う表情。
「そのつもりなら、なぜあんな侮辱を吐いたのですか? まさかと思いますが、自殺志願者ではありませんよね」
花を持たせるだけなら、もっと穏便なやり方があったはずなのだ。度の過ぎた挑発をして、女王を激怒させる理由などない。つまり、彼の目的は別だ。
「女王の騎士の実力を確かめよというのは父の指示でしたので。ただ立ち会いを求めても全力を出してくれるとは限りません。陛下を怒らせ、そのご命令ならば騎士様も本気を出す。そうでしょう?」
「それで女王陛下と公爵家の関係が拗れたらどうするつもりだったんです?」
「あなたが説いたとおり、我が公爵家との対立は愚行。臣下の諫言を聞き入れずにその道を選ぶ女王は仕えるに値しません」
その理屈はわかる。だからと言って、
「私が庇うことを前提に首を賭けるのはやめていただきたかったですね」
文乃はそう苦言を呈せざるをえなかった。たしかに文乃には先日救われた恩義があったし、ジルトは文乃がセゾを許したのを見ていただろうから、文乃が庇うために動くのは想定できたことだろう。実際、文乃は彼の賭け通りに彼を庇った。
「私の首まで危うかったんですよ」
有里が文乃の説得を聞き入れる保証など、どこにもなかった。
「もしものときは、私がお救いするつもりでしたよ」
その言葉を、ジルトはさらりと言ってのけた。
自分なら女王の命を受けた巴絵を排することができたと言っているのだ。
当然だとばかりに。
そんな考え事に気を取られて、ついうっかり、まじまじとジルトを見つめてしまった。
ジルトの表情が、ぱっと和らいで、どこからともなく、軽々しい空気を呼び寄せる。
「どうしました? あ、もしかして私に惚れましたか? アヤノ殿なら大歓迎ですよ」
「全くもって違います。手を取らないでください」
もはや遠慮は不要と、文乃は伸びてきた手をはたいて払いのける。
「そんな照れなくてもいいんですよ」
「照れてません」
楽しげに笑う姿は年相応の少年に見えた。
それを見つめながら、文乃は自分の選択を疑いはじめていた。
──有里のためを思うなら、この少年は、殺しておくべきではなかったか。
彼は、女王の騎士を倒すことのできる、数少ない武器そのものだ。
この先の未来に、有里に滅びがあるとすれば。
有里を滅ぼす者の傍らには、ジルト・ヴェルジールがいる。そんな光景が文乃の脳裏に浮かんだのだ。その彼を救ったという文乃の選択は、もしかすると、有里の滅びに手を貸してしまったのかもしれないのだ。
想像を振り払うように、文乃は立ち上がり、
「それでは、私はこれで。女王陛下には、改めて取りなしの言葉を伝えておきますので」
と会話を打ち切りに入った。
「無礼をお詫びすると伝えていただけるかな。忠誠の宣誓に嘘はないとも」
「承知しました。女王陛下とヴェルジール公爵家の親密な関係を期待します」
部屋を出て、文乃はため息をつく。
有里とヴェルジール公爵家との間に対立が起きないことを祈るほかなかった。
※
ジルトと別れ、その足で女王の執務室へ出向いた文乃がドアをノックすると、穏やかな声が返ってきた。ドアを開けて執務室に入ると、有里は書類から顔を上げた。どうやら、仕事をして怒りを紛らわせたようだ。
その傍らには巴絵の姿があり、彼女も落ち着いた表情を見せていた。どうやら、守子は上手くやってくれたらしい。
「さっきはありがとう」
有里はまっすぐな目で文乃を見て、率直に礼を言った。
こういうところが、この女王のずるいところだ。
「会長、以後、ああいうのは気をつけてください」
きっぱりと苦言を呈しておく。それが、文乃の仕事だと思っていた。
「わかってる」
「ホントですか?」
「ホントだから」
そんなやりとりをしてから、文乃はため息をつく。
「信じてますからね。それと、ジルトさんから、非礼を詫びると言伝を預かっています。忠誠の宣誓に嘘はないとも」
先ほど預かった伝言を伝えると、有里がじとっとした目でこちらを見た。
文乃は小首を傾げる。
「どうかしました?」
「やけに彼に肩入れするよね?」
「別に肩入れしてませんが……?」
合理的な判断として、彼やヴェルジール公爵家との関係を悪化させるべきではないと思っているだけだ。何やら変な勘繰りをされているらしいと、次の一言で察した。
「文乃って結構面食いなところあるからなあ」
どうやら、からかわれているらしい。ニヤニヤとした有里の表情。
「そんなんじゃないですよ。イケメンは確かに好きですが、あいにく、それは巴絵先輩で十分すぎるほど摂取できるので……」
文乃の答えに、有里がむすっとする。
「あげないよ?」
「会長から巴絵先輩を取ろうなどと、命知らずなことは考えてません。安心してください」
「命知らずて……、私をなんだと……キレる女王か」
「そうです。気をつけてください」
ごほん、とわざとらしく咳払いをして、文乃は話題を引き戻す。
「それで、今回の件の後始末ですが」
「わかってる。ジルト・ヴェルジールには謝罪を受け入れると伝えて」
「承知しました」
有里は付け足すように言った。
「それと、彼に兵士たちの剣の指導を頼めないか聞いてみてくれる?」
なるほどそうきたか、と文乃は感心した。
女王として人前で激怒した以上、有里自ら謝罪するという選択はない。
ジルトの謝罪を受け入れるとしても、彼の名誉が傷ついたままでは遺恨が残りかねない。
そこで、ある種の名誉回復の機会を用意するわけだ。
「それも承知しました」
彼になら、こちらの意図はしっかり伝わるだろう。
文乃からも一つ提案があった。
「ジルト・ヴェルジールはしばらくこちらに滞在するとのことです。私としては、もう少し交流を図ってみたいと思うのですが」
有里がにやっと笑って、
「やっぱ気があるの?」
「ち・が・い・ま・す」
「冗談。ヴェルジール公爵家の内情を探りたいんでしょう? 公爵本人が病気だとしても、名代として三男のジルトが出てきたのが気になってる。違う?」
「そうです。普通なら長子を寄越すはずですから」
巴絵が口を挟む。
「任せていいのかい? 君は仕事が山積みのはずだけど」
それはその通りだった。
元凶たる女王はばつが悪そうに視線を逸らした。
「もちろん、他の仕事を優先します。ジルト・ヴェルジールと直接接触するだけが、公爵家の内情を探る唯一の手段というわけでもないでしょうし」
どうせ、メレーゲが人を使って調査を始めているに違いなかった。彼女が情報を独占するような姑息な手段を取るとも思えないし、この件については、念のため文乃が動くという程度の位置づけでいいだろう。
「それに、嫌な予感がしてるので……」




