058 敗北と呪い
完敗だった。
巴絵は有里の後ろを歩きながら、無力感に苛まれていた。
女王の騎士などと呼ばれて、戦場で敵を震え上がらせて、己の力を過信していた。
試合は、巴絵の勝ちということになったが、巴絵自身の判断は違う。
あれは、実質的に巴絵の負けだ。形式的な勝ちを譲られたにすぎない。
打ち込んだ剣に手応えはなかった。全てを巧みにいなされ、一つとしてあの少年を追い詰めることはできなかった。彼が押されているように見えたのは、こちらの剣の威力を殺すために意図的に下がったからであって、巴絵の力に翻弄されたわけではない。彼が本気で反撃に出ていればこちらは為すすべもなく敗北したはずである。
そして、それがもし戦場ならば。有里を守るべきときだったならば。
最悪の想像が、巴絵の頭の中を過った。
「巴絵!」
ちょうど執務室の前まで戻ってきたところで、追いついてきた守子が巴絵を呼び止めた。
「何?」
巴絵より先に、有里が返事をした。その声音には、収まり切らなかった苛立ちが乗っていた。駆け寄ろうとしていた守子が、圧を感じて思わず足を止めるほどだ。
「えっと、巴絵をちょっと借りたいんだけど、いいかな?」
「手短にね」
そう答えて、有里は執務室の中へと入っていく。廊下に残された巴絵は、守子を睨んだ。
「私はあまり話したくないんだけど」
「だーめ」
へらりと笑う守子に、巴絵は舌打ちしたくなるのを堪えた。
二人は有里の執務室から二つ隣の部屋へと入った。そこは守子が仕事のために与えられた部屋だった。彼女は倉庫の一角を私物化しているため、その部屋にはあまりいないが、こういう他人に聞かれたくない話をするときには利用するようだ。
「それで、話は何?」
前にもこういうことがあった。有里が女王として決起してすぐ、有里にありったけの愛を注げと守子は巴絵に呪いをかけた。
「わかってるくせに」
「さっきの試合の件だろう。君は気づいたのか」
「そりゃあ、あんだけ焦った顔してたらね。文乃はもちろん、メレーゲ伯爵とニルバスさんもかな」
巴絵の背後から試合を見守っていた有里には、焦る巴絵の表情は見えなかったのだろう。手加減されたことに有里が気づいていないからこそ、有里はジルト・ヴェルジールを殺そうとしたのだ。
「文乃には感謝しなよ」
「わかっているよ。本当は、私が止めるべきだった」
ジルトの実力が本物であることを巴絵は知っていたのだから、上手く有里を取りなせばもっと丸く収まったに違いない。文乃が身を挺する必要などなかったのだ。
「なんで止めなかったの?」
「それを、わざわざ聞くのかい?」
「そういうのは一人で抱え込まないほうがいいからね」
守子は少しだけ間を空けて、
「有里のためだよ」
とダメ押しした。巴絵は大きく息を吐き、降参の意思を示す。
「それは卑怯だろう」
「私はこの世界に来てからずっと卑怯だよ」
守子は自嘲した。
だが、それを言うなら、巴絵も、そして有里も。互いに不誠実にやってきた。
後で全員、文乃に怒られたほうがいいのかもしれない。
「怖かったんだよ。有里に失望されるのが──違うな。有里を失望させるのが、かな」
藤堂巴絵は最強の騎士たらねばならない。
この世界に来て、有里は女王なんて役目を背負うことになった。それは、有里という人間に本質的に備わった覇気と業とに、運命のいたずらが相互作用した結果である。有里の意志であって有里の意志でないということだ。
きっと彼女もどこかに不安があるのだ。
「女王の剣は、あらゆる恐怖を打ち砕く存在でなければならないんだよ。有里の恋慕に応えられないなら、せめて、この与えられた騎士の力で尽くすしかないんだ」
それは、おそらく有里もわかっている。
だからこそ、巴絵への侮辱に、有里は激怒したのだ。
そして、それなのに、巴絵は敗れた。それを認めたくなかった。
「じゃあ、もっと強くなるしかないんじゃない」
「まったく、軽々しく言ってくれるね」
「でも、巴絵はやるしかないでしょ。それとも、神様とやらに選ばれただけの偽物の騎士には無理だって言うつもり?」
それは、ジルトから発せられた侮辱の焼き直しだった。それが侮辱として重いのは、それが真を突いているがゆえだ。だからこそ、守子はあえてそれを繰り返した。
巴絵はこの世界に来て、女王の騎士の力を得た。
逆に言うと、得ただけだった。
有里に命じられ、力に振るうだけ。己の物だという感覚が全くないのだ。
黙り込んだ巴絵に、守子は容赦なく畳みかける。彼女の隻眼がぎろりと巴絵を睨む。
「情けない顔しないでよ」
「そんなことを言うなら──」
勝手なことを言う守子に、巴絵は言い返しかけた。
だが、それは言ってはならない一言だと気づいて、寸前で言葉を飲み込んだ。
代わってくれなどと、言えるはずがない。
有里と誰よりも長い時間を過ごしてきたのも、有里から恋慕の情を向けられた唯一の人であるのも、女王の騎士としての力で有里と無二の結びつきを得たのも。全部、巴絵なのだ。守子が望んで、得られなかった、有里の人生の一部分たる権利を巴絵だけが持っている。
──有里に同質の愛を返せないなら、ありったけの量の愛を返してあげて
あのとき、守子にかけられた呪い。それが巴絵から逃げるという選択肢を奪ってくれる。
「わかったよ、守子。ありがとう」
巴絵が言うと、守子はいつものへらりとした笑顔を浮かべた。
「お礼を言われることはしてないと思うけど。叩き斬られるならともかく」
縁起でもない冗談を言う彼女に、巴絵は苦笑しつつ、冗談で返す。
「それは有里の命令があったときだけだよ」
「ごもっとも」
けらけらと笑った彼女は、巴絵をしっしと追い出すような仕草をする。
「話は終わり。愛しの女王陛下のもとへ帰りな」




