057 諫言
「女王の騎士様への非礼、心よりお詫び申し上げます! どうか、ご容赦を!」
その場にいた誰もが唖然とした。
敗北し、地面に頭を擦り付けて詫びるジルト。その余りにもみっともない姿と、女王の面前で大言壮語を吐いた姿との落差が酷い。
その場で誰か一人でも、ジルトを嘲笑する言葉を吐けば、むしろ丸く収まったのかもしれない。
だが、それよりも前に女王の言葉が発せられ、その場にいた者の肝を冷やした。
「自分で言った言葉は覚えていますね?」
女王の怒りは、土下座などで収まるものではない。
「ユキニア、巴絵に真剣を」
女王は秘書官であるユキニアにそう命じた。
無論、その意味をその場の誰もが理解した。
有里は、ジルト自身の宣言のとおりに、本当にこの惨めな敗者を殺す気でいるのだ。
「どうか、どうかご容赦を!」
ジルトの無様な命乞いの声が響くなか、ユキニアが巴絵に真剣を手渡す。
あとは女王の命令が下りさえすれば、女王の騎士は剣を抜くだろう。そして、巴絵の浴びた返り血に、ジルトの血が加わることとなる。
「会長!」
気づけば、文乃は叫んでいた。
あえて日本語で、あえてその肩書で、文乃は叫んだ。
ほとんど無意識に進み出て、ジルトの傍らに立つ。
有里の真っ青に燃える瞳に睨まれると、足がすくむ。
やってしまったと思いつつも、文乃の頭の中の冷静な部分が、語るべき言葉を選び出す。
「古の人曰く、『身に忿懥するところ有るときは、その正を得ず』と。まずは心を沈めてはいかがでしょう」
古典を引くなんて芝居じみたことをしたのは、思いっきり冷水をかけるため。まずは、話を聞いてもらわないと話にならない。文乃は言葉をこちらのものに切り替え、周りに聞かせつつ、有里に向けて言った。
「今日、ジルト・ヴェルジールはヴェルジール公爵の名代としてここに来たのです。彼を殺し、陛下とヴェルジール公爵家との関係が破綻することは、この国の民のためになりますか?」
これは方便などではない。
有里が西進して王都に入るにあたって、何の抵抗もない可能性は低い。自称女王への服属を拒むものもいるだろう。東方の雄であるヴェルジール公爵家を敵に回して背後に憂いを作るのは愚策である。
ましてや、直接戦うことになれば、要らぬ血が流れることになる。
それは絶対に避けるべき未来だ。
「では、我が騎士への侮辱を許せと?」
「不問にせよと言っているのではありません。ジルト殿は大言壮語にもかかわらず、あっけなく敗れ、無様に命乞いする姿を晒しています。彼の面目も名誉も丸つぶれ、」
文乃は足元でひれ伏しているジルトの頭を足先で小突いた。その無様さをこれでもかと強調し、彼が既に罰せられていることを印象付けるための演技だ。ジルトがどう思うかは知らないが、おそらく問題ない。
「罰はこれで十分ではありませんか?」
文乃は有里の目を見た。
女王の青い瞳には、いまだに冷たい炎が宿っているようだった。文乃は恐怖を押し殺して、目を逸らしたくなるのを堪えた。
文乃は以前に想像したことがある。女王たる有里に諫言し、首を刎ねられる想像だ。
今がその時かもしれないなと文乃が思った、その直後だった。
「私も、アヤノ殿に同意いたします」
メレーゲだった。
「アヤノ殿の申しますとおり、ヴェルジール公爵家との関係の悪化は避けるべきです。お怒りはごもっともですが、ここは堪えてくださいませ」
有里が軽く呼吸を整えたのを文乃は見た。
彼女の本質は支配者である。それを指摘したのは文乃であるし、今見せていたのは、彼女の本質の苛烈な側面だ。だが、その側面は一側面であって、彼女の支配者としての理知的な側面を否定するものではない。
この世界に来る前からの部下である文乃と、この世界に来てから仕える宰相。その二人に諌められては、彼女の理性が己の怒りの暴走を認めなかったのだろう。
「文乃。次はないと、その男にしっかり言い含めておきなさい」
「承知しました」
女王の命令に、文乃は頭を下げる。有里は踵を返しつつ、
「巴絵、戻るよ」
と巴絵に声をかけた。騒動の中心であるはずなのに、ずっと突っ立ったままだった騎士は、我に返ったように有里の背中を追う。
二人の姿が館の中へと消えると、守子がさっと文乃に駆け寄ってくる。
「私はあの二人のほうをフォローしておくから、文乃はそこの馬鹿をよろしく」
守子は地面にひれ伏したままのジルトを見下ろして言った。そのまま、文乃の返事を聞くことなく、女王を追っていってしまった。
あの様子だと、彼女も気づいたのだろうか。
三々五々にその場の人間が散っていき、中庭に残されたのはジルトと文乃のみ。
「いやあ、アヤノ殿のお陰で命拾いしました。お美しいだけでなく、あれほどに懐も深いとなると、ますます惚れてしまいそうだ。ははは」
まるで機会を伺っていたかのように、ジルトが立ち上がって文乃に礼を言った。
白々しいとはまさにこのことである。文乃はため息をつく。
面倒だが、この男の真意は問いただしておかねばならないだろう。
「どうしてわざと負けたんですか?」




