056 挑発と剣
館の広間の奥に、有里が泰然と腰かけている。女王の騎士たる巴絵を傍らに従え、部屋にはメレーゲ伯爵と文乃に加えて、ニルバスとユキニアのレイエン父娘も伺候していた。
よくそんなに堂々と女王面ができるものだと呆れ半分に感心してしまうのも、もう何度目だろうかと、文乃は思った。そろそろ慣れるべきは文乃のほうなのだが、この違和感だけは永遠に拭えないのではないかとさえ感じてしまう。
その正面で、ジルトが跪いていた。彼は顔を伏せたまま、ヴェルジール公爵家が女王に従うことを誓約した。
「面を上げよ」
と有里が声をかけると、ジルトは顔を上げるやいなや、思わぬことを言った。
「ご無礼をお許しください。父の名代としてではなく、ジルト・ヴェルジール個人として、陛下にお願いしたきことがございます」
「言ってみなさい」
「女王陛下の騎士様と、お手合わせさせていただけないでしょうか」
文乃は巴絵の様子を伺った。
巴絵は突然の申し出に驚いてはいるらしい。だが、特に動揺する様子も見せず、ただ有里の隣に立つのみである。
有里が言った。
「たしか、あなたは剣の腕は王国随一とか」
文乃は既にその一端を見ている。
剣の道に生きる者ならば、先の戦で一騎当千のはたらきをしたという女王の騎士と手合わせしてみたいと思うのは、道理かもしれない。
ジルトは無邪気な笑みを浮かべて、
「はい。私は貴族の三男ゆえ、家を継ぐこともできません。叶いますなら、女王陛下のお側でお仕えしたく思います。どうか、我が剣技を披露する機会を賜ることはできないでしょうか。厳しい鍛錬を積んだ身ゆえ、神の加護とやらで無双を気取る者よりは、ものの役に立つかと」
それは明らかな挑発だった。
自分のほうが巴絵よりも強く、巴絵は女王の側に仕えるに値しない。
そう言ったのである。
そして、少し違う捉え方をした者が一人いた。その場の温度が下がったかのような錯覚が文乃の皮膚を撫でた。
「それは、我が騎士への侮辱とみなすけれど?」
ぞっとするほど冷ややかな声音とともに、女王たる有里の青い瞳がジルトを見下ろした。
なるほど、と妙な納得感がある。
この世界に来る前から、有里が秘めた苛烈さを、文乃は薄々感じ取ってはいた。その苛烈さが表に出るのは、こういうときなのだ。巴絵が有里を守るときに修羅となるように、有里は己の所有物たる巴絵への侮辱を許さない。
「事実を言ったまでです」
普通なら怯えて言葉を引っ込めるところだ。それなのに、ジルトは何の躊躇いもなく言い切った。
「ならば、巴絵と手合わせして、その実力を証明しなさい。できなければ、」
その先を、有里はあえて言わなかった。代わりに、恫喝される側のジルトが引き受けた。
「承知しました。私が敗れたならば、この首を陛下に献上いたします」
何を言っているのだこいつはと、文乃は絶句する。それは武人の矜持なんてものではない。もっとふざけた、理解しがたいものだ。
「その言葉、確かに聞いたから」
二言は許さぬとばかりにジルトに念を押してから、有里は傍らの巴絵に視線を向けた。
「巴絵、この無礼者を叩き潰しなさい」
女王の命令が下り、騎士の赤い瞳が妖しく光った気がした。
※
剣を交えるのには手狭な広間から、館の中庭へと場所が移された。
二人の剣士が、女王の前で向かい合っていた。
彼らを囲むように、女王の側近たちが集まっていた。広間にいた面々に加えて、騒ぎを聞きつけて、館に出仕していた官吏や、謁見前後の貴族、さらには使用人まで混ざっている。
「大変なことになってるね」
守子も、野次馬のように現れた一人だった。へらりと笑って文乃に囁いた彼女は、本当に事態の大きさを理解しているのだろうかと疑いたくなる。文乃の経験上、この先輩はわかっていてふざけた態度を取る傾向にあるのは知っているのだけれど。
「大変どころじゃないですよ」
文乃が囁き返すと、
「じゃあ、いっそのこと賭けでもする?」
と、おそらく冗談を言った。文乃は頭痛がしそうになって額を押さえつつ、忠告した。
「あんまりふざけてると、首が飛びますよ」
それは、本気の忠告だった。
さっきの有里は心の底から激怒しているように見えた。怒りの矛先がこちらに向かないようにしたほうが賢明だろう。
巴絵とジルトは、ともに木剣を構えていた。有里は真剣での打ち合いでも構わぬとばかりの様子だったが、場を手配したメレーゲが手早く木剣を用意させたのである。彼女と文乃とは折り合いの悪いことも多いが、こればかりはさすがというべきだろう。
このバカバカしい催しには、死者どころか怪我人すら不要なのだから。
そのメレーゲはといえば、審判役を買って出ていた。
もしかすると、最悪の事態が起きそうになれば止めに入れるようにかもしれない。
「はじめ!」
メレーゲの合図とほぼ同時に動き出したのは巴絵だった。
文字通り目にも留まらぬ神速で間合いを詰める。この前の戦場では、その速さに着いてこられた者はいなかったようだ。敵兵にとっては、巴絵は理不尽な死そのものだったと言っていいのだろう。
だが、ジルトはその剣を受けた。
受けたといえども、剣圧に押されるようにして、ジルトはその位置を一歩後退させた。そこに躊躇なく、巴絵は連撃を加えていく。一撃のたびに、それを受けるジルトは背後へと押し込まれていく。
「おお、迫力満点」
隣で守子が呑気な感想を漏らすのが聞こえた。
試合の展開は一方的に見えた。ひたすらに巴絵が切り込み、それをなんとかジルトが堪えている。決着がつくのは、時間の問題のように思われたし、実際、そのとおりになった。
巴絵の猛攻に、とうとうジルトの手から木剣が吹き飛んだのである。
高く舞い上がった木剣が地面に落ちるのとほぼ同時に、巴絵の剣先がジルトの喉元を捉えた。巴絵の赤い瞳がまっすぐにジルトの首筋を見据えている。手にしているのが真剣だったならば、今にも首を搔き切るのではないか。そう思わせるほどの鋭い目だ。
「そこまで!」
審判役であるメレーゲが、決着を宣言する。
女王の騎士たる巴絵の圧勝。それが、このバカげた試合の結末だった。
「勝者──」
「申し訳ありませんでした!」
メレーゲが改めて勝者の名を告げようとするのを押しのけるように、ジルトの叫び声が響いた。ジルトは跪くどころか、情けなく地面に頭を擦り付け、ほとんど土下座のようになっている。




