055 公爵家の名代
その日の日暮れ前に、文乃は使者の訪問を受けた。使者といっても市内の宿の主で、数日前から泊まっている、気前のいい宿泊客から手紙を届けてほしいと頼まれたのだという。
文乃はその手紙を見て慌てて有里を訪ねた。
「ヴェルジール公の名代がもう着いてたとは……」
差し出された手紙を見て、有里がぼやいた。
封には戦乙女と薔薇の紋章が印として押されていたのだ。その組み合わせは、ヴェルジール公爵の紋章だと有里たちは既に知っていた。
「三日前には着いていて、市内の庶民向けの宿に泊まっていると書いてありますね」
大貴族の三男、それも当主の名代として女王へ謁見しに来ている人間が泊まる場所ではない。
数日、文乃たちに内緒で街に潜伏したのは、女王の統治の様子を観察し、女王の値踏みをするためだろう。その上で、もう着いているので女王に謁見させてくれというのは、かなり無礼にも思えるが、国内有数の武門だ。無下にできる相手ではない。
「とりあえず、謁見のスケジュールを調整してくれる?」
「了解です」
文乃が応じる。そこに、巴絵が口を挟んだ。
「一つ気になることが」
「気になること?」
「別に、大したことじゃないけど。この手紙が文乃宛だったってことだよ」
たしかにそうだ。
メレーゲ伯爵が女王の政府の宰相格とみなされているし、有里も彼女をそのように遇している。彼女自身、元から大きな勢力を持っていた貴族だから、世間での知名度も高い。それゆえに、女王に謁見を求める者は皆、まずメレーゲのもとに書状を届ける。実際、公爵家からの名代を向かわせるという最初の報せは、メレーゲのもとに届けられている。
だが、この書状は文乃のもとに届いた。
「ここ数日で、私たちの内情をしっかり把握したってことか」
「でも、有里会長の側近としての私の存在を把握したとして、私宛に書状を出すというのも変です。事実上の宰相であるメレーゲ伯爵に出すのが筋ですから」
何らかの思惑があるのだろうか。
有里がじっと手紙を見つめ、口元に指を当てて思考を始める。有里や文乃が何か閃くよりも先に、巴絵がふと思いついたように言った。
「文乃、君、この名代の三男に既に会ったことがあるんじゃないか?」
「はい?」
「顔見知り相手に手紙を出すなら、自然だろう? 君は街にもよく出ているからね。偶然知り合う機会もあるだろう」
「会ったことなんてありませんよ。貴族の令息なんて──」
否定しようとした文乃は、今日の出来事を思い出して言葉を途切れさせた。
「文乃?」
有里に問われて、文乃は眉間を押さえながら応える。
「詳しく言うのも面倒なので言いませんが、可能性がありそうな人を思いつきました」
詳しく語るのを避けたのは、当たらないことを祈ったからもあるし、セゾの謀反未遂をわざわざ有里に聞かせる必要はないからだった。
剣の腕が立ち、その剣の鞘の凝った装飾。その事実は、彼がただの傭兵でないことを示していた。
それは、どちらかと言えば、嫌な予感、に分類していいと文乃は思った。
その嫌な予感が正しかったと文乃が知るのは、二日後、その名代を出迎えに出たときだった。
「先日は名乗り忘れてしまい、ご無礼いたししました。ヴェルジール公爵ヴェダスが三男、ジルト・ヴェルジールと申します」
二人の供を連れ、領主館の門の前に姿を見せた青髪の少年は、自身の髪に揃えたような濃青を基調とした装束を纏い、公爵家の三男に相応しい威厳を備えていた。先日、文乃を危機から救った少年と同一人物だとは思えないほどに。
彼は、恭しく、そして無遠慮に文乃の手を取った。
「あなたのような美しい方に再び会うことができて嬉しく思います、アヤノ殿」
その歯の浮くような世辞を聞いてようやく、実感した。やはり、あのときの少年だ。
ジルトの連れてきた供の一人は二十歳過ぎくらいの見た目の女で、露骨に文乃に敵意のある視線を向けていた。おそらく、この少年に気があるのだろう。文乃は手を振り払うわけにもいかず、和やかに応じた。
「こちらこそ、先日はまともなお礼もできずに申し訳ありませんでした。女王の臣下、アヤノ・ヒナタと申します」
とにかくも、応接用の部屋に彼らを案内し、そこで待つように伝えた文乃が部屋の外へと出ると、傍からずっと見ていたセゾが言う。
「気をつけろよ、あの兄ちゃん、あんたに気があるぞ」
「あれは世辞だと思いますよ。軽口に浮かれるほど初じゃありません」
一応、中学の頃の文乃はモテたのである。高校は女子校に入ったから、めっきり言い寄られる機会がなくなったが。
「むしろ、心配なのは……」
あの調子を見るに、ジルトは美人には目がなさそうである。これから彼が会う女王は、文乃の直接の知り合いの中で最も美人な女性なのだ。
「まさか、女王陛下に無礼をはたらく可能性があると?」
セゾが問うた。
「その心配です。その程度で陛下は怒らないでしょうが……」
「騎士様のほうか」
文乃は首肯した。
文乃が生徒会に入ったばかりのころ、文乃は有里と巴絵とともに下校しようとしていた。守子と玲奈は用事があって先に帰っていたから、三人だけだった。
その日は校門を出たところで、有里が声をかけられた。
校内でカリスマ的な人気を誇る有里のことは、当然ながら校外にも知れ渡っていた。恐れを知らぬと言うべきか、分を弁えぬと言うべきかはわからないが、美しき女王とお近づきになろうと校門で出待ちする輩が時々現れるらしかった。
その日、声をかけたのは、学ランを着た男子だった。
ついこの間の生徒会役員同士の交流会で顔を合わせたから、それが近くの名門私立高の生徒会長だとわかった。背が高い爽やかな美少年で、聞くところによると地域の名士の家の跡取り息子。自分こそは有里に相応しいとつけ上がってもおかしくないというのは、文乃にも理解できた。
ただ、少し遊んでいそうな軽さが、出待ちという軽率な行動とあいまって、文乃たちを警戒させるには十分だった。
有里もナンパされたくらいで動じる女ではない。適当にあしらって、その場を去ろうとしたのは、当然の流れだった。だが、その男子は愚かにも、有里の腕を掴んだのである。
その直後、その男子の腕は巴絵によって捻り上げられた。男子が抵抗しようとすると、巴絵は鮮やかに地面に投げ飛ばし、そのまま取り押さえた。
巴絵も長身とはいえ、男女の体格差だ。その気になれば彼は逃れられたはずだが、彼はそのまま泣き出し、助けてくれと喚きちらした。
巴絵の剣幕に、側にいた文乃でさえ恐怖を覚えるほどだったから、それを直に向けられた彼の抱いた恐れは並大抵でなかったのだと思う。有里が止めなければ、それこそ腕の一本くらいはへし折っていてもおかしくはなかった。
それが、ただの女子高生だったときの巴絵の話だ。
女王の騎士となった今の巴絵なら、どうするか。
間髪を入れずに首を刎ねかねない。それができるだけの力が、今の彼女にはある。
「杞憂だといいのですが」
文乃はため息を付きたいのを堪え、有里とジルトとの面会の準備を整えた。




