052 裏路地
門のところで、文乃は一人の文官と待ち合わせた。
歳は三十手前くらいの男だ。服は擦れて古ぼけているが、きっちりと着こなしているのでだらしない印象は全くない。顔立ちは整っているのだが、不機嫌さを貼り付けているせいで台無しになっている。
「遅かったな。祭事を蔑ろにすると、街の連中が怒って面倒だ。遅れるな」
「すみません。以後、気をつけますので」
約束の時刻に遅れてはいないはずだが、そう反論するのは悪手だ。彼にとっては待たされたことそれ自体が不快なのだろうから。
彼は名をセゾと言い、元はシマニエク伯爵のもとで街の役人をしていた男だ。伯爵亡きあと、表向きは従順に有里に従ったため、そのまま役人として働かせている。実際、官吏として有能ではあるので重宝している。しかし、彼にしてみれば、いきなり乗り込んできた小娘たちの下で働くのが不満なのだろう。態度にいちいち棘があり、一応は上司になった文乃にもこの態度である。
セゾは、ふん、と鼻を鳴らして
「行くぞ」
と歩き始める。文乃は黙ってその後について行くことにした。
街は祭りが近いせいか浮ついた空気を纏っている。今年は二十年に一度の特別な祭りであるので、例年以上に準備に熱が入っているという。女王の登場の影響で街に周辺の領主が出入りし、それを機と見た商人も集まってきていて商売の声も盛んに飛び交っている。文乃は屋台から漂う、焼いた肉の香りに心惹かれたが、今は仕事が優先である。
「セゾさんもお祭りに参加することあるんですか?」
黙って歩くのも気まずいと、文乃はセゾに世間話を振ってみる。向こうがこちらに不満を持っているのは理解しているが、歩み寄る努力くらいはする必要があるだろう。これ以上、溝が深まれば、仕事に支障が出る可能性もある。
意外なことに、セゾは会話に乗ってきた。
「役人になってからはないな」
ただし、こちらに視線を向けることはなかったが。
「その前は?」
「山車を担ぐのは若いものの仕事だからな。せっせと担いだよ」
言葉に懐かしむような色が滲む。
「役人になってからは──忙しくなりすぎましたか」
「知ってのとおり、もともと仕事が多いうえに、祭りの時期は諸々の調整で忙しい。それに、伯爵は人使いが荒かったからな。まあ、人使いの荒さについて言えば、女王陛下よりはマシだったが」
文乃の立場上、これには苦笑いするほかなかった。なにせ、文乃の仕える女王たる有里は、人を使い倒すことに天性の才を持つ女なのだから。
ふと、前を歩くセゾが脇道へと折れた。
「あれ、曲がるんですか?」
文乃の問いかけに、彼は相変わらず振り向きもせずに答えた。
「こっちに近道があるんだよ。教えてやるからついてこい」
街の地図は見たことがあるが、そんな道があっただろうか。方角的には正しいし、地元の人間のほうが道に詳しいのは道理ではあるのだが、文乃の中に不安が交じる。なにせ、今から行く道は明らかに人通りが少ないのだ。日本ならふらりと探検するのに良さそうだが、ここは異世界である。裏道の治安が日本ほどにいいとは思えない。
それに──。
文乃は頭に浮かびかけた考えを一度止めて、セゾの後を追う。彼は文乃の躊躇など一切気にせずに、すたすたと歩き続け、文乃からの距離を離しつつあった。
「あのー、本当にこっちが近道なんですか?」
「ああ、間違いない」
素っ気ない返事。そうこうしているうちに、周りに人の姿はほとんど見えなくなる。見かけるとしたら、ぼろぼろの服を纏って痩せた者たちが道に蹲っているくらいだ。鼻をつく臭いもある。裏道のわりに道が広いのは、建物の密度が高くないからだ。ボロボロの木造家屋が疎らにならんでいる。
ふと、前を歩くセゾが脚を止めた。
「なんだ、お前らは」
セゾが脚を止めたのは、刃物を持った男たちに行く手を塞がれたからだった。その数、五人。文乃は背後を振り返る。そちらにも、武器を持った男たちが姿を見せていた。前後を塞がれた形だ。
「そこの兄ちゃんは大人しくしてな」
首領らしき男がセゾに向けて刃物をちらつかせる。セゾは声こそ上げなかったが、たじろいで一歩後ろに下がった。
「俺らはそっちの女に興味があるんだ」
ぎょろりとした目が文乃に向けられた。
「付いてきな。そうすれば、こっちの兄ちゃんは見逃してやるよ」
「そ、その誘い方でほいほい付いていく女性がいると思いますか?」
声が思った以上に震えてしまった。皮肉のつもりだったが、これでは怯えていますと言わんばかりで、とても格好がつかない。脚もがくがくと震えているし、心臓もこれまで体験したことがないほどに大暴れしている。思考が霞み、今にも卒倒しそうなほどだ。
これが有里や巴絵だったら、もう少し堂々とできたのだろうか、と妙な考えが頭を過ぎる。
「付いてこい」
もう一度、男が言った。
文乃は思わず頭を振り、拒否する。
彼らの目的は「そっちの女」である。囚われたなら、彼らの慰み者にでもなるか、売り飛ばされるか。そんな想像が脳裏にちらつく。
「そんなに怖がられると傷つくなあ」
男がふざけた調子で頭をかく。その間も刃物を持ったほうの腕はしっかりとこちらを狙っているように見えた。
「安心しろ、俺らは紳士でね。必要もないのに女を痛めつけたり、辱めたりする趣味はない。ましてや人質なら尚更な」
おや、と文乃は内心で思う。どうやら彼らの目的は、女としての文乃ではないらしい。
震える声で問う。
「我らが女王陛下に用がある、というわけですね?」




