045 墓碑銘
女王軍によるシマニエク市占領のあと、いくつかの騒動があった。
一つは、シマニエク伯爵の妻子たちの扱いについて、メレーゲ子爵とニルバスの間で対立が発生したことだった。
シマニエク伯爵には妻と十二歳になる嫡子がおり、さらに幾人かの若い愛妾を囲っていた。メレーゲ子爵はリナリア王国では王への謀反は一族連座で死刑であるからと、妻と嫡子の処刑を主張したが、ニルバスは嫡子が幼少であることを理由に助命を主張したのだった。
女王はニルバスの進言を採用し、嫡子から爵位と財産の継承権を没収するに留め、彼を助命した。妻と妾たちについては、伯爵の統治にどれだけ関与したかを取り調べた上で処分を決定するとして、嫡子とともに館の一角に軟禁したのだった。メレーゲ子爵は、女王は甘いと不満げであったが、女王の判断にそれ以上の異を唱えようとはしなかった。
もう一つの騒動は、女王軍の兵士の規律違反である。
女王は、兵士たちに市民や捕虜への暴行、街の略奪を厳しく禁じる触を出していた。だが、勝利に酔う軍の中には必ず不届き者がいるもので、住居に押し入って金品と食料を奪い、抵抗する住人の老夫婦に暴力を振るうという事件が発生したのである。
有里は訴えがあったことを知ると、直ちに下手人の兵士を捕らえさせた。伯爵の妻子に寛大だったのとは対照的に、その兵士たちには躊躇なく極刑を与えた。
「あの兵士たちの首を晒すように計らったのは先輩ですよね?」
書類から顔を上げて、文乃は守子に問うた。
「文乃は反対だったみたいだね」
そう応えた守子の右目は眼帯で隠されている。二人は、女王から押し付けられた事務仕事を処理している最中で、文乃は守子の右側に座っているので、彼女の左目は見えない。守子の心情を伺い知るのは難しかった。
「残酷なのは好きじゃありません」
それは文乃の偽らざる本音だった。処刑するまではしかたがないとしても、それを市民に報せるには口頭なり書面なりで発表すればいいだけの話で、過剰に残酷にする必要はない。
「あのほうがインパクトがあるからね」
その残酷さは宣伝なのだ。
さらに守子の狡猾なところは、それと同時に、数人の市民に金を握らせて、伯爵の妻子の助命の一件の噂話をさせていたことだった。
規律違反をした自軍の兵士への処分を派手な形で公表し、敵対した者の家族への寛大な処置を噂で広める。市民たちは両者を自発的に結びつけ、公明正大な女王という像を口々に語り始めたのだった。
二つの事実を並べて発表しても、これほど効果的な宣伝にはならなかっただろうと思う。
守子は巴絵とは違う形で、有里の武器になっていた。
それが、守子にとって幸福なことなのかは、文乃にはわからない。だが、やめろという資格はもはや文乃には残っていなかった。
守子は、ペンを置いて立ち上がると、大きく伸びをした。
「そろそろ行かないと。式典の前に、墓参りをするんでしょ?」
「そうですね」
二人が向かったのは、街の端に設けられた墓地だった。
その地面には正方形の石板数が並んでおり、それぞれに墓の主である死者の名と没年月日が刻まれている。加えて、この世界の慣習では、墓を建立した者が、死者の人生を讃える言葉を刻むことになっている。この墓の一つ一つが、この世界の人々が、ずっと前から生を営み、死んでいった証なのだった。
文乃たちは、その中で最も新しいものの一つで足を止めた。
「レイナ・ヒロタ」
この世界の文字で、文乃たちの友人の名が刻まれている。
「あなたの死を我が心に刻む」
それが、有里が玲奈の墓に刻んだ言葉だった。
実際に墓石を手配したのは、メレーゲの部下だったが、彼は有里から銘を聞いて、本当にそれでよいのかと、有里に問い直していた。普通は生前の功績や人柄を讃えるもので、死そのものへの言葉は、慣習とはずれるのだ。
広田玲奈の人生は、称賛に値するものだった。
優れたスポーツ選手であり、真面目な学生であり、堅実な生徒会役員だった。有里たちにとって良き友であり、文乃にとっては尊敬すべき先輩だった。
墓に刻むべき言葉は、他にいくらでも見つかっただろう。
だが、有里はただ頷くのみで、他の言葉に変えることはなかった。
広田玲奈の人生の意味は、死の刹那で上書きされたのだと、有里は理解していたのだろう。
それが、有里の罪であることも。
二人はしゃがんで両手を合わせる。この世界の作法とは違うが、このほうが玲奈も悼まれているのだとわかりやすかろう。
「……なるべく来るようにしますから。寂しく思わないでくださいね」
文乃はあくまでも一人の後輩として、その言葉を選んだ。
隣の隻眼の少女が何を思っているのかはわからない。
ただ、少なくとも自分だけは、生きていた彼女を想いたかったのだ。
本当はもう少しゆっくり先輩を悼みたかったが、二人にはこのあとの予定があった。
二人は玲奈の墓を離れ、領主の館への帰り道を歩く。途中で、守子がぽつりと文乃に問うた。
「そういえばだけど、あれは何だったんだと思う?」
「あれってどれです?」
「私たちをこの世界につれてきた菟だよ」
「ああ、あれですか」
すっかり忘れていたなと、文乃は苦笑する。
あの神社の言い伝えによると、導きの神様の使いである。
この世界に連れてこられた時点で、あれがただの菟でなく、文乃たちの知る科学の説明するところではないだろう。本当に神様がいるのなら、有里を女王にしたこの世界の神様のうちの一柱と同一なのかもしれない。
「これは巴絵にも言ったんだけど、私はさ、私たちをこの世界に連れてきた神様とやらが実在するなら、そいつは悪趣味な奴だと思うんだよね。この世界に私たちを放り込んで、運命に翻弄されてるのを見て楽しんでるんだって」
守子の語るそれは、ずいぶんと悲観的な仮説だなと、文乃は思った。
ろくでもない神だというのには合意するが、文乃の見解は少し異なる。
「私は、運命に翻弄されているつもりはありませんよ。少なくとも、自分で選んだ道を歩いているつもりです」
有里も、巴絵も、守子も、この世界に連れてこられたり、妙な力を与えられたりしたとしても、自分の選んだ道を歩んだと文乃は思っている。もちろん、死んだ玲奈も、自分の選択の果てに死んだのだ。
「私は、運命とは自分で選んだ道のことを言うのだと信じてますよ」
もちろん、他人の作為や偶然に影響されることもある。
だが、それを運命と呼んでしまうのは、全くもって気に食わない。
隣で守子が大きく笑い声を上げた。腹を抱えて苦しそうにしている。
「いいね、それ。悪趣味な神様に決められるよりはずっといい。まあ、私の見解とは違うけど」
「先輩の見解は?」
話の流れでうっかり問うてしまったが、失敗した気がする。こういうとき、この先輩が返してくる答えは、だいたいろくでもない答えなのだ。
「私にとっての運命は、ただ一人の女の子だからね」
しっとりとした声で守子は言った。その声音は作り物だと思うが、言っていることは本気で言っているのだろう。文乃はため息をつく。
「片想いを拗らせすぎじゃないですか?」
「酷くない?」
抗議の声を聞き流し、文乃は足を速める。
「急ぎますよ。式典に遅れて愛しの女王陛下の怒りを買いたくはないでしょう?」
守子は戯けて言う。
「怒りを買ってみるのも悪くないかもね」




