042 二人の絆
都市シマニエクは北側の山地を背にし、東は流れる川を天然の堀としている。西から南にかけては石造りの堅牢な塀で守りを固めており、現在、その門は領主たるシマニエク伯爵の命令によって固く閉ざされていた。街から伸びる街道を封鎖するように女王軍が布陣して、街に睨みを効かせている。
シマニエク伯爵は戦が劣勢になると少数の部下を率いて早々に逃げ出していたうえ、本陣襲撃を受けた女王軍は追撃に動くのが遅れた。そのせいで、彼は街に逃げ帰ることに成功し、現在は籠城の構えを見せている。有里は降伏勧告の使者を出したが、使者は矢で射られて負傷して逃げ帰ってきていた。
「やはり、間に合わなかったのは痛手ですね」
女王軍の本陣でメレーゲ子爵が女王に言った。女王たる有里は、自身への批難とも取れる言葉を涼しい顔で受け流す。子爵にしても、何か反応を期待していたわけではないのだろう。淡々と状況の説明を続ける。
「敵の兵力は多くありませんが、正面から城門を突破するとなると犠牲が増えることは避けられません。通常なら兵糧攻めも手ですが、突発的な戦ですのでこちらにも長期戦の余裕はありません」
有里は黙ってそれを聞いていた。自ら方針を考えているようにも見えるし、あえて黙って臣下たちの発言を待っているようにも見える。すっかり本調子に戻ったみたいだと、文乃はこのとき確信した。
文乃の隣に立っていた守子が、地図を指差して発言する。
「北側の山地から攻める手はない?」
すぐさま、ニルバスが応える。
「かなり険しい山です。大軍で行動するのはまず不可能。少数の別動隊で攻め入ることのできる道は探せばあるでしょうが、それは限られましょうな。やってみる価値はなくはないですが、地の利は向こうに。ほぼ確実に待ち伏せを食らうでしょう」
その反論は、守子の想定の範囲内のはずだ。彼女の意見は、こうして議論の口火を切るためのもので、十分にその役割を果たしたと言える。
「その案を捨てる必要もないのでは?」
メレーゲ子爵がいつも通りの胡散臭い笑みのまま言った。
「要は待ち伏せを突破できる精鋭を送りこめばいいのですから」
彼女の言わんとしていることを察して、一同の視線が一人の少女の方へ向く。
無論、巴絵の方へ、である。
巴絵は有里の側に静かに侍っている。赤い瞳がちらりとメレーゲ子爵のほうを見たが、特に何かを言うこともなく、ただその場を観察しているようだった。彼女は一騎当千の女王の騎士だ。巴絵なら待ち伏せを受けても難なく跳ね除けるだろう。
ただ、懸念が一つ。文乃はメレーゲ子爵に問うた。
「また巴絵先輩を有里会長から引き離すつもりですか?」
それで女王軍は手痛い失敗をしたばかりではないか。
メレーゲ子爵は顔色一つ変えずに反論する。
「前の奇襲は戦の大勢が決した後、おそらくは伯爵が逃げ出した後に行われたのですよ。伯爵の命令なら、もっと前に行われたか、伯爵自身が逆転を信じて逃げなかったかのいずれかでしょう。十中八九、伯爵の命令ではなく、あの指揮官の独断です。奴は既に討ち取りました。もう、あのような奇襲の心配はないのですよ」
もっともな意見ではあるが、奇襲の可能性を完全に否定することはできない。文乃はそう慎重論を主張する。本気で心配しているわけではないのだが、役割分担というものだ。
「では、アヤノ殿は正面から攻めろと言うつもりですか?」
「そうは言っていません。他に別働隊の人選はないのかと言っています」
二人の議論に割って入るように、女王が口を開いた。
「一応、意見は聞いたけど、実は結論は最初から決まってる。正面から攻める」
「は?」
一同が困惑の声を上げた。
「しかし、陛下、それでは要らぬ犠牲が。他の案をもっと検討してからでも……」
「私もそう思います」
文乃も、メレーゲも、今度は意見を揃える。城壁の正面から攻めるのは最後の手段であって、他の手を検討しないままに実行するのは、誰にでもわかる愚行だ。金村有里に、それがわからないはずはない。
「私は、犠牲は大して出ないと確信してる」
有里はきっぱりと言いきった。
「どうしてですか?」
文乃が問うと、有里は不敵な笑みを浮かべる。
「巴絵が一人で落とすから」
沈黙が降りた。その場の全員が、女王の言葉を理解しかねて絶句したからだ。
「はいい?」
真っ先に我に返った文乃の、素っ頓狂な声が響く。
いくら巴絵が強いとしても、正面から、たった一人であの城壁を突破できるということがありえるだろうか? 常識的に考えれば否である。
だが、女王の考えは違うようだった。有里はその青い瞳を自らの騎士に向ける。
「できるよね?」
それは、確信と信頼に満ちた一声だった。
神託の女王と、女王に仕える騎士との間の、絶対的な絆。その絆が生み出す、人智を超えた直観が彼女の判断を支えているのだ。
文乃は思わず息を飲む。隣で、守子もそうしたのがわかった。
巴絵が女王の問いに答える。その言葉は、ただ一つに決まっていた。
「それを君が望むなら」
もはや、女王の臣下たちに異論を挟む余地など残されてはいない。
女王は満足げに頷くと、椅子からゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、早速、行こっか」
「そうだね」
まるで散歩に出かけるような気安さで、有里と巴絵は歩き出す。
それがあまりにも自然だったので、その場の誰もが、有里がとんでもないことを始めたことに気がつくのが遅れていた。
「ちょっと待ってください! なんで有里会長がいっしょに行こうとしてるんですか!?」
有里は小首を傾げて、
「文乃は巴絵が私の傍を離れるのが心配なんでしょ?」
「だからって前線に付いていく気ですか?」
無駄な問いだと文乃はすぐに気がつく。有里が何と答えるのかはわかりきっていたから。
「大丈夫。巴絵の傍だから」
もう何も言うまい。ため息をつく文乃の肩に、隣の守子がぽんと手を置いた。




