041 儀式
文乃が戻ってくるのと入れ替わるように有里のもとへ向かった巴絵の背を、守子は無意識に凝視していたらしい。文乃が半ば呆れた顔をして、視界に割って入るようにして指摘したのだった。
「ホントは両目で凝視したいくらいだよ」
戯けて両手で自分の両目を指差す。右目のほうは、包帯で閉ざされているから、右手は狭くなった視野の端に写っている。
「笑えないのでやめてください」
きっぱりとした文乃の言葉に、守子は両手を降ろす。
「やっぱり、こういうときに呼ばれるのは巴絵なんだよね」
素直に嫉妬心を溢す。
「先輩、見苦しいですよ」
「手厳しいな……」
文乃の辛辣な言葉に、守子はたじろぐ。
彼女があえてそういう言い回しを選んだことはすぐに察したが、自覚のあることを真っ直ぐ指摘されると胸の奥に刺さるものがある。
「……二度と言わないでくださいね」
「そんなに見苦しい?」
文乃はするりと守子の右側に立ち位置を移す。
守子の死角で、文乃は言った。
「巴絵先輩への嫉妬も見苦しいですけど、今のは、玲奈先輩への嫉妬のことですよ」
そうやって言葉にするのはやめてよと、戯けながら言うこともできたが、そんなことをしたら文乃は本気で怒るだろう。守子は何も言えずに、ただ文乃の言葉に耳を傾けた。
「玲奈先輩の死に方が羨ましいだなんて、二度と言わないでください。先輩には、生きて有里会長を、あなたの女王陛下を支える義務があります」
玲奈の死は、有里の人生の一ページを鮮烈な血の色で染めてしまった。
巴絵に勝てない者同士、わかりあえると思っていたのに。
それをずるいと思うなと言われても無理な話だった。生きて有里を支えろという主張が正論だとわかっていても、である。
「……今後は、言葉にするのはやめておくよ」
「思うのもやめてください」
それは無理だ、と伝えようとしたが、それよりも文乃が言葉を続けるほうが速かった。
「玲奈先輩は、真面目な人でした。他の先輩たちの陰に隠れがちでしたけど、自分の仕事を淡々とこなしてましたよね。生徒会に入ったばかりで不慣れな私に、丁寧に仕事を教えてくれたのも、玲奈先輩でした。私は、玲奈先輩が死んだなんて、全然信じたくありません。なんであの人が死ななきゃいけなかったんですか!?」
堰を切ったようだった。
今まで、ずっと我慢していたのだろう。この世界に来てから、彼女は彼女の役割を果たそうとしつづけた。玲奈の死を目の当たりにしても、それを続けようと頑張っていたのだ。今、やっと限界が来たらしい。
「私は怖いです。このまま、玲奈先輩だけじゃなくて、守子先輩も、巴絵先輩も──有里先輩も、私を置いてどこかへ行ってしまうんじゃないかって。私は、そんなの嫌です」
守子は右腕に重さがかかったのを感じた。縋り付く文乃が、守子の服の袖を両手でぎゅっと掴んでいる。
「わかったよ、そういうことは考えないようにするから」
これはたぶん嘘になる。それでも、こう言うほかなかった。
「私はどこにも行かないからさ、今は玲奈のために泣いてあげてよ。私の分も」
わっと文乃が泣き出す。
彼女には似合わない、小さな子どものような泣き方だった。
※
陣幕のうちに入ると、巴絵は有里の様子を一目見るなり言った。
「立ち直ったみたいだね」
有里から迷いの色は消え失せて、輝かしい覇気がその青い瞳に蘇っていた。それは、巴絵の愛する有里だったが、同時に、美しく鍛え上げられた刀を見たときの戦慄のようなものを巴絵は覚えざるをえなかった。
「文乃のおかげでね」
「文乃はどんな手品を使ったのかな?」
「すぐにわかると思う」
それは楽しみだ、と戯けてから巴絵は問う。
「それで? 話があるって呼ばれたはずだけど」
「私は巴絵のことが好き」
あまりにもあっさりと、その言葉は告げられた。
有里の気持ちは知っていた。だけど、それが言葉にされる日が来ないことを、巴絵はずっと願っていたのだ。
有里はそんな巴絵の気持ちなど無視して、まっすぐに、躊躇いを捨ててその言葉を口にした。
「どういう意味でなのかは、できれば聞きたくないな」
巴絵は苦し紛れの笑みを浮かべた。有里はかぶりを振って、その願いを拒絶する。
「だめ。言う。私は恋愛的な意味で──もっとはっきり言ったほうがいいね、性愛的な意味であなたが好き。あなたに触れたいし、キスしたいし、それ以上のこともしたい」
有里に告げられても、巴絵は黙ったままだった。
答えに迷ったのではない。ただの逃げだった。
だが、有里はもはや、巴絵に逃げることを許してはくれない。
「あなたは私のことが好き?」
巴絵は慎重に言葉を選ぶ。有里を傷つけないためというよりも、己を納得させるために。
「好きだよ。君の好きとは少し違うけれど」
「わかってた」
青い瞳が一瞬だけ、悲しげに揺らいだ。巴絵の胸の奥がぐっと痛んだ。
「ごめん」
「謝る必要はないよ」
思わず詫びた巴絵に、有里はそう言った。
その声には、もう悲しさは乗っていなかった。代わりに、冷たい覚悟のようなものが含まれていることを、巴絵は敏感に感じ取った。
「巴絵、キスして」
有里の言葉に、巴絵は大きく目を見開く。
彼女の青い瞳はまっすぐに巴絵を見据えている。彼女が望んでいたのは、巴絵が同じ気持ちを返すことだったはずなのに。ただ、願いを叶えるだけのキスなど、要らないと言っていたのに。
「それを、君は本当に望むのかい?」
その問いに、有里は小さく頷いてから、ただ一言、命じた。
「巴絵、私にキスしなさい」
最初に巴絵の中に渦巻いた感情は、文乃への怒りだった。
お前は、私の有里に何を吹き込んだ!
だがすぐに、彼女を責めるのは間違いだと悟る。
金村有里は本質的に征服者で、支配者なのだ。この世界の女王とならなければならない。
そして、巴絵はその剣となる。決して、甘い恋人同士ではありえない。
有里はそれを自覚して、巴絵への恋心を別の何かで上書きしようとしている。
きっと、これは、そういう儀式なのだ。
それはある種の自傷行為だが、巴絵に、彼女を止める術はないし、そもそも、彼女を止めようなどとは巴絵自身が望まない。彼女の選んだ道に巴絵は付いていく以外に選択肢などありはしなかった。ある種の諦めと覚悟とをもって、ゆっくりと有里に歩み寄る。
有里の肩にそっと手を置き、自らの顔を有里の頬へ近づける。
有里が手を巴絵の頬に添え、その動きを強引に止めた。
「唇に」
命ぜられるままに、巴絵は有里の唇に己の唇を重ねた。
残酷な時間は、ほんの僅かだった。
唇を離すと、巴絵は一歩下がって跪き、恭しく有里の手を取った。
「巴絵、あなたは私のものなの。ずっと前からね」
おそらく出会ったその時から、巴絵は有里のものだったのだ。
「あなたの身も、心も、命さえも、私のためにあるの。あなたは私のために生きて、戦って、私が望めば恋人にだってなりなさい。そして──」
青い瞳でもって巴絵を見下ろして、有里は告げる。
「死ぬときは共に死にましょう」
その時が来るまでは、巴絵は有里と共に、有里のためだけに生きるのだ。
巴絵は顔を上げて、有里を見上げる。胸のうちには、迷いも躊躇いももはや存在しない。
「女王陛下の仰せのままに」




