039 大義名分
文乃たちの間には、重い沈黙が降りていた。
メレーゲ子爵とその部下たち、前線から戻ったミユハ、そして、文乃、守子、巴絵。部隊を統括するために出ているニルバスを除けば、「女王軍」の幹部はこの場に揃っていた。有里の意思を汲んで彼女を本陣の幕の中に残した一同は、離れたところで対応を協議するために集まっていたのだが、誰も口を開こうとはしなかった。
おそらく、ここで口火を切るべきなのは自分なのだろうと、文乃はすっと息を吸う。
「メレーゲ子爵、お尋ねしてもいいですか?」
「構いません」
いまいち信用のおけない笑みを浮かべて、子爵は文乃に向き合った。
「なぜ、本陣から巴絵先輩を引き離したんですか?」
「説明したはずですね。神話が必要だからと」
淡々とした子爵の言葉は、嘘ではないのだろう。
ただ、別の思惑があったことを、隠しているだけだった。
「本陣への奇襲は予期できたはずです。守子先輩も予想していました。子爵も読んでいたのに、あえて巴絵先輩を前線において有里会長から引き離したんですよね。ミユハさんも会長の側には置かなかった」
少しだけ、裏切りを疑った。
女王軍を実質的に率いるのはメレーゲ子爵である。人を集めてしまいさえすれば、有里はもはや不要だから消してしまう。少々急ぎすぎだがありえないシナリオではない。だが、おそらくメレーゲの狙いはそんな合理にはなかったのだと、文乃は思っていた。
「試したんですよね? 有里会長のこと」
メレーゲの胡散臭い笑みに、ふっと混じった別種の笑みは、本心からのものだろう。
「ええ。それで死ぬならその程度の人間でしょうからね」
あまりに軽々しい口ぶりに、文乃はかっと頭に血が上るのを感じた。
「そんな馬鹿げた賭けのせいで、玲奈先輩は死んだんです!」
メレーゲの柔和な笑みに、険が混じる。
「私のせいだと? それは違いますね。裁可したのは女王陛下自身です。あなたのお仲間も、陛下の一言で納得していたように見えましたが?」
「だからって……!」
あんたが余計な提案をしなければ。
文乃はそう怒らずにはいられなかったし、怒るべきだと思った。
先輩たちを振り返る。守子も、巴絵も気まずそうに目を逸らした。玲奈の死を悼んではいても、すんなりと受け入れてしまっている。彼女たちは、運命に身を委ねてしまった自分たちに、怒る資格がないと思っているように、文乃には見えた。
だからこそ、代わりに文乃が怒るべきなのだ。
「責任逃れはやめてくだ――」
メレーゲに向き直り、彼女に掴みかかろうとした文乃は、背後から羽交い締めにされて制止された。
「もう十分だよ、文乃」
文乃を羽交い締めにしたのは巴絵だった。
「でも!」
「君が私たちのために怒ってくれてるのはわかってるつもりだよ。だけど、ここで一回ストップだ」
「嫌です、離してください」
「ダメだ。ここがどこだかわかっているのかい?」
巴絵は、文乃を羽交い締めにしたまま、親指で何かを指差した。
その先に文乃が視線を向けると、メレーゲの部下が剣の柄に手をかけている。
ここは、戦をしにきた、軍の中なのだ。秩序を乱す行為がどのような結果に繋がりうるかを考えると、文乃は一度冷静にならざるをえなかった。
「失礼しました。取り乱しました」
巴絵の腕から解放された文乃が詫びを入れると、
「構いませんよ。お仲間を亡くされたのですから」
メレーゲはさらりと流してみせる。文乃は苛立ちを覚えつつも、深呼吸して抑え込むほかなかった。
メレーゲは、これ以上は文乃が追及してこないと見て取ると、視線を本陣の陣幕のほうへと向けた。
「問題は、これからどうするかですが……」
あの幕の向こうには、有里が籠もっている。一人にしてほしいと塞ぎ込んだ彼女の意を汲んで、全員で外に出てきたものの、このまま放っておくわけにもいかなかった。
「子爵はどう考えてるの?」
問いかけたのは守子だった。彼女は皮肉交じりに言う。
「我らが女王陛下は運命の審判を生き延びたわけだけど」
彼女の右目は包帯で隠されている。ミユハの治療によって出血こそ止まったものの、右目を治すことはできなかったのだった。彼女の負傷も、有里をその身を以て守ろうとした結果である。
「ええ。ただ、このような展開は予想していませんでしたが」
メレーゲ子爵は肩を竦める。
「まさか、部下一人の死に心が折れようとは」
文乃には、彼女が大きな思い違いをしているように思えた。
有里の心を折ったのは、友人の死そのものではない。ただ、それを上手く説明できる気がしないので、文乃は口を挟むべきか迷った。そのうちに、メレーゲ子爵が問う。
「彼女は立ち直ると思いますか?」
文乃と守子は、自然ともう一人の仲間へと目を向けた。
巴絵は緩く腕を組んで立っていた。その指先は落ち着きなく動いており、彼女の不安と困惑を何よりも物語っていた。
「あんなに落ち込んだ有里は初めて見たよ」
巴絵の声はあまりにも弱々しかった。
誰よりも長く、有里と時間を共有している巴絵がそう言うのだ。有里の意気消沈ぶりは、尋常のことではないのだろう。
「つまり、立ち直れないと?」
メレーゲが遠慮を捨てて問い直す。巴絵は首を左右に振る。
「わからない」
それを聞くと、メレーゲはちらりと文乃のほうを見た。その視線の意味を、文乃はすぐに理解できなかった。
「私としては、大義名分がなくなるのは困るのですよ」
「有里会長には立ち直ってほしいということですか?」
「できれば。ですが、必ずしも立ち直ってもらう必要はありません。私に必要なのは大義名分であって、彼女本人ではないのです。幸い、『女王』の顔を見たことがあるのはごく一部」
メレーゲの視線が再び文乃を向いた。
そこでようやく彼女の意図を察したが、文乃はあえて黙った。
「その辺の女性を代役として立ててもいいのですが、異界から来たという説得力を持たせるなら、あなたがたから選んだほうがいいでしょう。あなたがたのうち、一人は既に亡く、一人は『女王の騎士』であり、一人は目を怪我してしまって神秘的な『女王』には向きませんね」
要するに、有里が立ち直れなければ、文乃に代理をやれと言っているのだ。
冗談じゃない。不快感が顔に出てしまったのか、メレーゲが文乃に言う。
「嫌ですか?」
「当たり前でしょう」
「ならば、女王陛下には立ち直ってもらわねばなりません。可能な限り速やかに」
時間をかければ、有里の動揺も収まっていくのかもしれない。
ただ、それではダメなのだ。女王軍には長期にわたって行動する能力はない。全軍の長である有里が立ち直るまで何もできませんでは、軍が維持できない。
「何か手はありませんか?」
メレーゲに問われ、文乃は二人の先輩の様子を伺う。二人とも、文乃の視線に気づくと目を逸らした。
文乃は大きくため息をつく。
「有里会長の説得、私に任せてもらえますか」




