035 殺戮
「始まりました」
女王軍の後方、陣幕に囲われた本陣で、メレーゲ子爵が伝令の報せを受けて言った。
「左翼中央寄りに攻撃を集中してきているようです」
「予想通りね」
こちらの軍の総大将たる女王は、その立場に相応しく堂々と構えていた。
その青い瞳には、怯えどころか闘志さえなく、ただ深い海のごとく、泰然と前を見ていた。
玲奈はそんな有里を見て、流石だと思うとともに畏怖の念を覚えていた。玲奈はその場の張り詰めた空気に既に胃を痛めていたし、叫び声と足音が聞こえてからは肺に石でも入ったかのように息苦しい。一言で言えば、玲奈は怯えていた。
玲奈はついこの間まで女子高生だった少女なのだ。
戦争の場で恐怖するのは当然だった。
それは、有里も同じはずなのに。
やはり、金村有里という人間は特別なのだと、玲奈は視線を隣の守子に向けた。守子はじっと、机上の地図と軍勢の配置を示す駒を見つめていた。
「どうしたの?」
玲奈が問うと、守子はへらりと笑い。
「いや、どこから、いつ来るかなと思ってね」
「本当に来るのかな?」
「私ならそうする。それだけ」
守子の懸念は、玲奈も事前に聞いていた。
この場に兵士も詰めているし、メレーゲ子爵もいる。普通に考えれば、守子の懸念は当たったとしても大きな問題にはなるまい。それに、
「そのときは任せて」
玲奈自身にも、その覚悟はある。
「それよりも、正面の戦いのほうを気にしたほうがいいと思いますよ」
文乃が口を挟んだ。
「もっとも、我々にできることは祈ることくらいですけど」
軍の事実上の指揮を取るのはメレーゲであり、玲奈たち生徒会メンバーは有里の「お付き」程度の役割である。メレーゲ子爵のもとには次々と兵士がやってきては情報を伝え、彼女の司令を携えてあちこちに走り去っていく一方で、玲奈たちはその場に立っているのみである。
「巴絵は上手くやるかな?」
玲奈は陣幕の向こう、戦いの最前線のほうへ視線を向ける。
生徒会メンバーで唯一この場にいないのは藤堂巴絵である。
彼女だけが、この戦いに大きく関与できる。
赤い瞳の、女王の騎士。玲奈たちとは決定的に違う存在。
「心配じゃないんですね」
文乃が玲奈を咎めるように言った。玲奈は応えなかった。
代わりに、有里が口を開く。
「大丈夫。私には確信があるから」
それは女王と騎士の絆なのか。
それとも幼馴染への信頼なのか。
玲奈には計り知れない、魂の奥底の繋がりをもって有里は騎士への命令を口にした。
※
──やっちゃいなさい、巴絵
女王の命令が下った。それを巴絵の魂は認識した。
足音と怒号が響く中で、遠くにいる有里の声が聞こえるはずはない。
だが、有里の声がはっきりと巴絵の中に響いたのだ。
「仰せのままに」
巴絵が剣を抜くと、頭の中の恐怖が霧散する。
早鐘を打っていた心臓が落ち着きを取り戻して平常のリズムを刻む。
前を見る。双方の兵士が叫び、槍を振るい、その生命を奪い合っている。
敵の兵士の姿を見た。彼らは命令に従い、死への恐怖を眼の前の相手への殺意で上書きしているように見えた。
ほとんど無自覚に、巴絵は駆け出していた。
地面を蹴り、衝突している両軍の兵士たちを飛び越す。敵兵の背後に着地し、一閃。二人の敵兵の頭部が宙を舞い、残された胴体から血飛沫が吹き出す。
生命を奪うことに、巴絵は躊躇しなかった。
女王の命令が下った以上、それが巴絵のなすべきことなのだから。
巴絵を脅威とみなし、敵兵が切りかかってくる。巴絵は剣を振るい、その兵士の腕を吹き飛ばすと兵士を蹴り飛ばす。腕を失って地面に伏した兵士は苦痛と恐怖で泣き叫ぶ。巴絵は剣で一突きし、その生命を刈り取る。
「私はリナリア王国女王・有里の騎士である!」
敵味方を問わず、周囲にいる者たちに向かって巴絵は叫んだ。
「女王・有里は神託の定めし正統なる王である。私はその騎士として、王に歯向かう者には決して容赦しない」
呼応して味方が歓声を上げる。敵の兵士たちがたじろいで、一歩下がるのが見えた。
「怯むな! あれを討ち取れば我らの勝ちだ!」
隊長格らしい男が周囲の兵士を鼓舞した。その一言で、敵の兵士たちは眼の前の恐怖を排除する方向に傾いたらしい。最も先んじた一人に、巴絵は剣を振るう。兵士は吹き飛ぶように倒れ、隣にいた兵士を巻き添えにする。
「ええい、弓兵。奴の動きを止めろ」
命令が飛ぶ。巴絵は遠方に弓兵の一隊を見て取った。
殺意のこもった無数の矢頭が、こちらに向けられていた。
弓兵たちが一斉に引き絞っていた手を離す。巴絵は直撃する矢の群れを剣で撫でる。弾かれた矢が力を失ってボロボロと地に落ちる。直撃コースを外れた矢が巴絵の肩を掠めたが、服の肩口を少し切っただけだった。
弓兵たちが慌てて二の矢を継ごうとするところに、巴絵は瞬時に距離を詰める。何が起きたのかもわからぬままの弓兵たちを、巴絵は次々と切り捨てた。一人はとっさに腰の剣を抜いて切りかかろうとしたが、巴絵はその腕を切り飛ばす。宙を待った腕から剣を奪い、投擲。不意をつかれた隊長格らしき男の首筋に突き刺さる。
どさりと男が倒れたのが契機となって、周囲の敵の兵士たちの中の恐怖の重みが、脅威の排除から、脅威からの逃亡へと切り替わる。兵士の一人は武器を投げ捨て、巴絵に背を向けて走り出す。他も似たようなもので、敵の統制に穴が空いた。
その穴が起点となって敵に混乱が広がっていく。
恐怖は伝染し、逃げる者、萎縮して動けなくなる者が増えていく一方で、果敢な兵士は減っていく。そこに味方の圧がかかって、その混乱に拍車をかける。
その時、遠方で大きな声が上がった。巴絵はぼそりと呟く。
「手筈通りだね」
味方を分断しようと突撃してくる敵の勢いを鈍らせるのが、巴絵の最初の仕事だった。それに成功したので、ニルバス率いる主力部隊が敵の側面を突いたのだろう。その部隊にはミユハも加わっているから、神聖術の一押しもある。
瞬く間に敵の陣形が崩壊していくのが見える。敵の意図は潰え、あとは数と勢いでこちらが優勢となるのは明白だった。
だが、ここから敵は態勢を立て直し、守勢に回ることになるだろう。巴絵の次の役目は、その防御を食い破り、敵の完全崩壊を誘うことだった。
そして、そのまま敵の本陣を目指し、シマニエク伯爵を討ち取る。
巴絵の殺戮はまだ終わらない。




