034 藤堂巴絵
金村有里との出会いを、巴絵は覚えていない。
親同士が友人で、物心がついた頃には、巴絵は有里の側にいた。
むしろ、有里の後ろにいたと言ったほうがいいのかもしれない。
人見知りの激しい、臆病な子どもだった巴絵が、親以外で唯一懐いたのが有里だったらしい。
学年で言うと同い年の二人だが、四月生まれの有里と、二月生まれの巴絵では一年近い歳の差がある。幼児にとってはその差は大きく、身体は有里のほうがだいぶ大きかったので、まるで姉の背に隠れる妹のように見えたようだ。
幼い巴絵が、有里の何に惹かれ、気を許したのかはわからない。
ただ、有里という人間に備わった覇気は、その頃には片鱗を見せていた。物怖じすることない性格で、興味を持ったことにはどんどんと突き進んだ。そのとき、有里は必ず巴絵の手を引いた。
巴絵の幼いころの記憶は、力強く手を握られる感触と、有里の背中、そして、振り向いた有里の、溌剌とした笑顔で占められている。
小学校に上がる頃には、有里の放つ煌めきは眩いばかりになっていた。
その愛らしい見た目と快活な性格のおかげで、多くの子どもたちが有里と友達になりたがったし、その目を見張るような聡明さに、大人たちは口々に有里を褒めた。
そうなると、肩身が狭くなるのは、ずっと有里の側にいる巴絵だった。
当時の巴絵は、人見知りで、臆病で、平凡な少女でしかなかった。
巴絵は有里の側にいたかった。
そのためには、人気者の有里の側にいても、誰も文句を言ってこない人間になる他なかった。
そして、巴絵自身、有里に相応しい人間になりたいと思った。
だから、巴絵は努力した。勇気を出してクラスメイトの輪に入っていった。もともと勉強はそこそこできたので、人一倍頑張って、有里と並ぶくらいになった。スポーツは苦手だったが、親に頼み込んで、水泳と空手を習わせてもらった。
有里は巴絵が頑張って結果を出すと、我が事のように喜び、誰かに自慢した。巴絵に新しい友達ができたとき、巴絵がテストで百点を取ったとき、巴絵が空手の試合に勝ったとき。
いつも有里は満面の笑みを見せ、私の巴絵は凄いぞと言って回った。
だからこそ、巴絵は頑張ることができたのかもしれない。
自分が頑張れば有里が喜ぶ。そして、有里が嬉しいと、巴絵も嬉しい。
ほとんど刷り込みのように、巴絵の価値基準は有里になった。
それが、巴絵の有里への愛だ。
中学に上がったときには、巴絵はすっかり見違えていた。顔立ちはもともと良いほうだったことに加えて、背丈もぐんと伸びて、見栄えがするようになった。幼少期からの訓練で、文武に秀でるようになった。そして何より、自信がついて物怖じしなくなった。
もはや有里の陰に隠れる巴絵ではなく、有里の隣に並ぶ巴絵になっていた。
その頃からだ。有里の巴絵を見つめる目に、ほんのりとした熱が宿りはじめたのは。
その熱の正体に察しがつかないほど、巴絵は鈍くはなかった。
確信に変わったのは、有里の家に遊びに行った日のことだった。
心地のよい晴れた日で、窓際に座っていると穏やかな気持ちになる日だった。有里の部屋でうたた寝してしまった巴絵は、唇に触れる柔らかな感触で目覚めた。
その感触はすぐに離れた。巴絵はしばらく眠ったままのふりをした。
「すごく気持ちよさそうに寝てたよ」
何事もなかったかのように、有里は目を開けた巴絵に笑いかけたが、その頬は少しだけ上気していた。
巴絵にとって、有里から恋慕の情を向けられたことは困惑の種となった。
自分も有里に口づけしたいと思えたのなら、どれだけ幸福だっただろうか。
しかし、巴絵が有里に向ける愛情は、恋慕とは決定的に違う何かだった。
もちろん、有里に恋慕の言葉を囁き、有里を抱きしめ、有里と唇を重ね、有里の肌に触れることはできる。有里の恋人として振る舞うことを拒絶する理由はないはずだった。
もしそれで、有里が喜ぶのであれば。
ただ、有里は喜ばない気がしていた。それは巴絵の直観だった。
それからというもの、巴絵はふざけた調子で、まるで恋人のように甘い言葉を紡ぎながら有里に触れるようになった。
それは、半ば試すような行為だった。
やはり、有里ははっきりと拒絶した。
照れに混じった苛立ちが、有里の態度にはあった。
有里の望むものは、甘い言葉や行為ではなく、同じ想いを返すことなのだ。
──有里に同質の愛を返せないなら、ありったけの量の愛を返してあげて。
守子のかけた呪いは、巴絵の中に染み入っていた。
巴絵は一生をかけて、捧げられる限りの愛を有里に捧げねばならない。
それが有里の想いに応えるために、巴絵にできることだ。
そしてそれは、巴絵たちに運命を押し付けた何者かの意志に依ってではなく、巴絵の意志に依らなければならない。
「有里のためだ」
もう一度、それを言葉にして巴絵は、再び自身の脈拍に耳を澄ます。
有里のためならば、なんだってする。
有里のためならば、己が殺戮のための剣に成り果てても構わない。
それが、巴絵の有里への愛だった。
しかし、藤堂巴絵は、藤堂巴絵でなくなるわけにはいかない。
有里が望むのは、巴絵の想いなのだから。
有里のためにこそ、今抱いている恐怖を持ち続けなければならないのだ。
「俺には妻と生まれたばかりの娘がいるんだ」
突然、横から声をかけられた。軽い世間話、くらいの軽い調子だった。
声の主の男は落ち着いた印象があり、巴絵より随分と年上に見える。だが、無精髭を剃れば案外、巴絵と大して変わらない年頃にも見えるかもしれない。
「あいつらが幸せに生きていく世を作るために、この戦いに志願したんだ。あいつらのためなら死んでもいいと思ってる。だけど、死ぬのは怖いんだ。死んだらあいつらに二度と会えなくなるからな」
男はそこで言葉を切った。そして、巴絵に問いかける。
「あんたも怖いか?」
「怖いさ。幸いなことにね」
「それがわかってるなら、安心できそうだな」
そう言って、男はかっと笑みを見せた。
ちょうどそのとき、地鳴りのような音がどっと響いた。
「始まったな。じゃあな、騎士殿。『女王陛下に勝利を』」




