032 準備
周辺の小領主たちが、着々と女王のもとへと集いつつあった。拠点となっているレイエン村の近くに陣営が作られ、メレーゲ子爵とニルバスとが中心になって、女王軍が組織立って動けるように整理されていく。女王軍に参じた者の中には、もともとメレーゲ子爵に近しかった者だけでなく、シマニエク伯爵に従属していた領主の顔も少なくない。伯爵の軍を破ったという宣伝はそれなりに効いているようである。
文乃は守子やユキニアと協力して周辺の領主をリスト化し、集った者とそうでない者を整理する作業に追われていた。
「アヤノ様、ここ、名前が間違っています」
「指摘、ありがとう」
文乃と守子が整理して、このあたりの事情に明るいユキニアが確認するという役割分担である。事務作業は得意なはずだが、聞き慣れない響きの名前なうえ、知らないはずの異世界の文字をすらすらと書ける自分に当惑しながらの作業のため、思いのほか手間取っていた。
「伯爵家のやり方は巧妙だね」
リストを作る過程で、守子がそんな一言を漏らした。伯爵家は従属する領主たちの待遇に差をつけ、搾り取るところと優遇するところを作っていた。従属領主たちの団結を阻害する目的だろう。実際、敵についたと思われる領主は、伯爵に優遇されていた者たちであるし、搾取されていた領主にも参陣していない者は少なくない。
新たに参じた領主の名を書き加えながら、文乃は言う。
「まあ、得体のしれない自称・女王の下にこれだけ集まれば上出来でしょう」
今、書き加えた名も、伯爵に近い立場だった者だ。当然ながら、これは有里の人望の果実ではなく、メレーゲ子爵の宣伝工作の効果だ。その子爵を巧みに抱き込んだのだから、有里の力とも言えなくはないが、子爵の手腕が群を抜いているのだろう。
「メレーゲ子爵、あの人が敵に回ったら厄介そうだよね〜」
机の向かいに座って、軽い口調で守子が呟いた。
おそらく、彼女もメレーゲ子爵の胡散臭さを嗅ぎ取っているようだ。
「だから、女王の名を実のあるものにしないとね」
そんな雑談交じりに、守子は整理した情報から必要な物資の量を計算している。この世界の技術レベルからして、下手にスマホを取り出すと面倒くさそう、という判断から電卓は使えない。幸い、この世界には日本の算盤とほぼ同じものがあり、それを使って守子はものすごい速さで計算を進めていた。
この場の様子は、文乃に生徒会室を連想させた。生徒会室では、二人は向かい合わせで作業することが多かったせいだろう。非日常の中に日常が戻ってきたような錯覚。できることなら、本物の日常に回帰したい。というよりも、帰るべきなのだという思いが文乃にはあったが、あえて口に出すことはしなかった。
結局のところ、その錯覚はすぐに消え失せた。メレーゲ子爵の部下の兵士が、文乃たちを呼びに来たのである。
「女王陛下がお呼びです」
ここでは、金村有里は生徒会長ではないのだった。
兵士に連れられる形で、文乃たちは有里が使っている執務室へと入る。椅子に腰掛け、ずっと前からこの場の主であるような顔をしている有里が、三人を出迎えた。既に部屋には巴絵と玲奈が来ており、ニルバス、メレーゲ子爵の姿もあった。
「守子、兵の数の集計は終わった?」
「ちょうど終わったところだよ。ほら」
守子が書類を手渡すと、有里はそれを一瞥しメレーゲ子爵に手渡す。
「予定の数には達したみたいだから、計画の通りにシマニエク市に向けて侵攻する」
それは、戦いの宣言だったが、文乃たちを呼び出した本題ではないはずだ。なぜなら、軽い見積もりで、兵の数は検討がついていただろう。だから、軍事行動を予定通り行うことを、この場で決定したわけではないのだ。
「ユキニア、あなたには村の留守居をお願いする」
「承知しました」
ユキニアは一瞬、不服そうな顔を見せてから頭を下げた。野心家である彼女は、有里の側に仕えていたかったのかもしれない。
「巴絵、当然だけど、あなたには付いてきてもらう」
有里は構わないかどうかは聞かなかったし、巴絵は軽く頷くのみだった。二人の間で、それは既に決定事項なのだろう。
有里の視線が守子、文乃、玲奈と順番に向けられる。
「それで、あなたたちはどうする? 危険だし、村に残ってもらってもいいけど」
「もちろん、いっしょに行くよ」
少し食い気味に、真っ先に答えたのは玲奈だった。この世界に来てからというもの、彼女には焦燥感のようなものが感じられる。もともと彼女の中に巣食っていた何かが異世界という非日常で活性化したという表現のほうがいいのかもしれない。
「じゃあ、側で護衛をお願いしようかな。ミユハさんから手ほどきは受けたんでしょう?」
狂気を植え付けた張本人が微笑む。有里が今の玲奈のことをどう思っているのかは、文乃も測りかねていた。
「私も付いていくよ。待ってるの嫌いだし」
守子がそう言ったので、文乃もため息をつきながら同行を申し出た。
ただ単に、置いてけぼりを食らうのは嫌だったのもあるし、先輩たちが心配だったというのも大きい。彼女たちの酔狂に水を差す、空気の読めない後輩が混じってやらねばならない気がするのだった。
「ところで、」
守子が巴絵に視線を送りつつ問うた。
「巴絵は前に出て戦うつもり?」
「そのつもりだけど」
「やめといたほうがいいと思うんだけど」
二人の会話に、メレーゲ子爵が割り込む。
「トモエどのには前で戦っていただく必要があります」
「どうして?」
守子はわざとらしく小首を傾げる。
その仕草を、子爵がどのように受け取ったのかはわからないが、とにかくも、彼女はいつもの柔らかな、胡散臭い笑みを崩すことなく答えた。
「神話が必要だからですよ」
子爵はその語を臆面もなく用いた。
それは有里が必要とするものを、過不足なく表現していた。
「神託の女王の騎士が、女王に弓引く敵軍をなぎ倒す。その光景を見た者が噂を広め、噂は誇張されて神話となる。陛下の威光はより強く輝き、それに伴って跪く者も増えましょう。跪く者が増えれば、それは陛下の実力となるのです」
文乃にしてみれば、それは馬鹿げた話だった。だが、守子の言いたいことは別の点にあるらしい。
「その主張に他意はないと思っていい?」
メレーゲの目が少しだけ見開かれる。
「ええ、もちろん。ただ、強いて言えば……」
そこで、彼女は一瞬だけ言葉を切った。
そして、相も変わらず、信用の置けない笑みを浮かべたまま、彼女は言った。
「私は運命を信じるたちなのです」
沈黙が降りる。
二人の間で交わされた、意味深な会話に文乃はあまりついていけなかったし、それは他の面々も同じであるように見えた。ただ一人を除いて。
ぱん、と有里が手を打った。
「守子、私は子爵の判断に賛同する。別に、私が一人になるわけでもないし。心配しすぎ」
有里の青く染まった瞳がぎらりと守子を刺した。
この話は終わりだと、その瞳は語っていた。
「守子、文乃、ユキニア。もう一仕事頼んでいい?」
有里から提示されたのは、戦後処理の骨子の作成だった。気が早いと言えば早いが、戦いが終わってから考え始めていたら遅いというのもわかる。
「わかった。早速始めるよ」
守子が部屋を出ていくのに、文乃とユキニアが付いていく。途中、守子が文乃に問うた。
「文乃は有里のために死ねる?」
そういう問いかけは、はっきり言ってやめてほしい。無視してやろうかと思ったが、それはそれで彼女のためにならなさそうだ。
「嫌です」
守子はけらけらと笑う。
「それでいいよ」
──できれば、あなたもこちら側に来てほしい。
そう言っても無駄なのだろうと、文乃はため息をついた。




