031 武人の義理
シマニエク伯爵は今年四十になる壮年の男だ。
鍛え上げられた肉体は、目の痛くなるような華美な衣装を纏っていてもはっきりとわかるほどで、蓄えた髭と目元の傷は豪胆な印象を与える。初めて彼に会った者は、実直な武人が貴族として取り立てられ、貴族らしく自身を飾るのに不慣れな男だと思うらしい。
もっとも、その第一印象は完全な間違いである。
「あの役立たずめ」
伯爵の前に跪いたマグノが、戦に敗北したことを告げ、神聖術師の戦死を報告すると、伯爵はそう吐き捨てた。
伯爵は世襲の有力貴族であり、生まれながらの支配者である。生粋の武人ではないどころか、人を殴るために身体を鍛え、武芸を磨いているような男だ。庶民から税として巻き上げた金と農作物が、その肉体の原資であることは明らかだが、己の肉体を努力の成果だと日々誇っている。
弱肉強食がこの世の原理と信じて疑わないこの男にとって、役立たずの、それも戦死するような配下は弔意を表すに値しないのである。
そんな伯爵に敗戦を報告すれば、自分が厳しく罰せられるかもしれないと怯えながら謁見したマグノだったが、伯爵の怒りの矛先が死んだジェノサと敵であるレイエン家に向けられたのは幸いだった。
「レイエンめ。雑魚のくせに調子に乗りおって。神託の女王だと? どこの娘をそんなものに仕立て上げたのかは知らんが、愚かなことよ」
マグノは実際に目撃した光景から、神託の女王とやらが本物ではないかと懸念していた。女王の騎士を名乗る女の力は、ただの詐欺師とは思えない。伯爵にもそう伝えたのだが、伯爵はマグノの報告を真に受けてはいないらしい。
伯爵は親指で自らの目元を指し示す。
「マグノよ、お前は私がこの傷を受けたときのことを知っているか?」
「いいえ」
そう答えると、伯爵は笑っていった。
「身の程知らずの平民の女につけられたのだ。そこで私はきっちりと身の程というものを教えてやった。今回も同じことが必要だろう」
実のところ、マグノはその事件のことを聞き及んでいた。
爵位を継ぐ前の放蕩息子であった若かりし頃、やんちゃ仲間と街に繰り出し、目をつけた女を路地裏に引きずり込んで乱暴したところ、窮鼠と化した女に反撃にあってつけられた傷である。
激怒した伯爵は徹底的に女をいたぶるに飽き足らず、領主の息子を殴った罪を問うて家族ともども罰したのだという。
マグノは、自らが不真面目で、道義的にも劣った人間であると自認しているが、その彼から見ても、軽蔑を向けざるをえない所業である。
それを武勇伝のように語られて、マグノは困惑したが、それを態度に出すわけにはいかない。
「おっしゃる通りです。如何致しましょう?」
「徹底的に叩き潰す。近隣の領主に兵を出させよ。兵は私が直接指揮する」
「承知しました」
マグノは伯爵の居室から退出し、ドアを閉めたあとに小さくため息をつく。
伯爵は状況がよくわかっていないようだ。
ニルバス・レイエン、メレーゲ子爵、そして、神託の女王は、緒戦での勝利を喧伝するだろう。ただでさえ、伯爵は暴政で民の反感を買いまくり、領主からの人望などほとんどない。伯爵の軍が敗れたこと、神託の女王が出現したことを知って、見限る機会と判断する領主も多かろう。
伯爵の想像しているよりも、伯爵の率いる軍は少なくて士気が低く、メレーゲ子爵が中心となる「女王軍」は精強になるはずだ。
「悪くて戦死、良くて謀反人として処刑は勘弁してほしいなあ」
このままだと、「女王軍」に歯向かう軍勢の幹部になってしまう。
勝てる見込みがあればいいのだが、そんなものはなかった。ただでさえ不利な条件が揃っているうえに、マグノは女王の騎士を目にしてしまっている。
鬼神の如し、というのはああいうのを言うのだろう。
ジェノサを一瞬で葬った神速と、哀れな兵士をやすやすと両断した怪力。それは一人でこちらの軍勢を混乱させるに十分で、そこに敵軍が雪崩込んでくる。その想像だけでマグノは震え上がる。
「さて、どうするか」
あれの危険性をもう一度伯爵に訴えたところで聞き入れないだろう。
「いっそ俺も見限るか……?」
その選択肢は可能か不可能かで言えば可能だし、次の戦いの敗軍の将となることは避けられるだろう。しかし、すでに一戦交えたあとだし、マグノは伯爵の側近として周辺には知られている。出奔したあと、うっかり敵方に捕まったら問答無用で殺されかねない。はっきりと寝返るという手もあるが、女王とやらが真の英傑であれば、この機に寝返るような奴を信用はしまい。捕まった場合と同じく、最悪の末路もありうる。
それに、義理というものもある。
伯爵はそんなものに価値を見出さないだろうし、義理をかけるに値しない男ではある。
とはいえ、裏切るという行為に躊躇いを持つ程度には世話になっている。なにせ、長年雇ってくれているのだから。
義理というのはそういうものだ。
それに、ジェノサのこともある。あれもろくな奴ではなかったが、それでも共に戦った仲であり、奴の死に際して、仇を討つと口走った気がする。
「やられっぱなしも、いい気はしないな」
一矢報いたいというのは、マグノのような堕落した武人に残る最後の矜持である。
「とはいえ、あれと正面から戦うのは無しだな」
少しの思考で、マグノはそう結論する。
大勢で囲む手もあるが、敵の兵力はこちら以上になる可能性がある。敵の一人を相手に、兵力をそんなに割けまい。ましてや、伯爵本人が指揮するとなると、マグノの権限は限られる。
「となると、狙いは女王本人か……」
今回の戦の旗は神託の女王を名乗る女である。女王の騎士も、女王に仕えるのであって、その女王がいなくなれば戦う理由を失うかもしれない。




