030 師匠と弟子
集会所の一角で上着を着直しながら、玲奈は左肩を押さえた。
最初に突入してきた敵を押し留める村人たちの中に、志願して加わっていた玲奈は、浅かったとはいえ腕に傷を負ったのだ。ミユハの神聖術による治療が効いたのか、傷口は塞がり、痛みは引いた。
「治療についてはあまり頼られても困るぞ」
感心して肩を動かす玲奈に、ミユハが釘を刺すように声をかけた。
「傷を塞ぐのがせいぜいだ。失った腕を生やすことはできないし、傷を塞いでも熱を出して死ぬ奴は死ぬからな。それに術理も謎でね、決まった手続きでできるだけさ」
ミユハは、神聖術は世の理を変える術だと言っていた。複雑な物理現象の集合体である生物を、それも細胞やらなんやらの知識なしに扱うのは難しいのだろうというのは玲奈にも察しがつくが、守子あたりならもっと深い考察をするのだろう。
「勝ち戦の後だというのに、浮かない顔だな」
玲奈の表情を読んだミユハが、話してみろとばかりに促す。
「何もできませんでした」
「それは、生き延びた者の言うべき言葉じゃないな」
そう言われて、はっとする。戦いで一人の村人が死に、一人が、傷がもとで熱にうなされて生死の境を彷徨っている。彼らには家族もあるはずだ。自分の苛立ちは無責任なものだ。
「少なくとも、生き延びることはできた。何もできなかったわけじゃない」
だが、玲奈の苛立ちは収まらなかった。理性以上に、心の奥底に淀んだものが、外に吹き出そうと暴れている。結局、一番、有里の役に立ったのは巴絵だった。ただ、それが悔しいのだ。
しかたなく、玲奈は言葉を吐き出した。
「私はそういうのを望んでるんじゃありません」
ミユハの大きなため息が部屋に響く。幾人かが何事かと振り向いた。ミユハは頭をかきながら、言葉を選んでいるようだった。そして、選ばれた言葉は玲奈にとって予想外のものだった。
「知ってるか? この国の伝承では、死を司る神は女神なんだ」
「いきなり何です?」
「死神は傲慢だが美しく、彼女に魅入られた者はあの世に連れ去られる。他のどんな神も、魅入られた者を正気には戻せないし、連れ去られてしまった者を連れ戻せない」
ミユハは玲奈の肩に手を置き、言葉を続ける。
「私は死神に魅入られた者は好きにさせることにしている。もっとも、目に見える死神に魅入られてる奴を見たのは初めてだが」
目に見える死神。それが誰を指すのかは明らかだった。さすがに、文句を言った。
「有里のことを死神呼ばわりはさすがに酷くないですか?」
「似たようなものだ。あいつのために、周りの人間は平気で命を投げ出すんだからな。実際、私の剣からお前は身を挺してあいつを守ろうとしただろう。違うか?」
何も違ってはいなかった。あのとき、玲奈は反射的に動いた。自ら盾となるように、前に
み出てしまった。それが、答えだった。ミユハは言葉を付け足す。
「ただ死神に魅入られた馬鹿どもを、ちょっとくらいこの世に足止めしてもいいだろう?」
そう言って、ミユハはついてこいと出口へと向かう。玲奈もその後を追う。
集会所の裏手には、二人の他には誰もいない。二つの月だけが、二人を見下ろしている。
「こんなところに連れてきて、何のつもりです?」
「これを教えようと思ってな」
ミユハの手に光の短剣が握られる。初めて会ったとき、彼女が有里に突きつけたものだ。
「魔力の刃には実体としての重さが無い。ゆえに武器の扱いに不慣れでも取り回しが効く。複雑な神聖術の理論も必要ないから、コツさえ掴めばすぐに使える術だ。もっとも、体力の消耗は激しいから、短時間の使用が前提だが」
「戦い方を教えてくれる、ということですか?」
「少し違うな。死に抗う方法だ」
「私はそんなに死にそうに見えます?」
「ああ。明日なのか、十年後なのかは知らんが、お前は必ずあの死神に殺される」
それを嫌な予言だと思わない。そのことは、玲奈が自らに呆れ果てるのに十分だった。
ミユハはそんな玲奈の内心を見透かしたように、
「だから、その時に、死に抗う術を教えてやる。死のうとして死ぬな。生きようとして死ね」
玲奈は、この人はろくでもない大人だと思った。真っ当な年長者ならば、生きろというべき場面であることくらい、今の玲奈にもわかった。玲奈自身にそのような理性が残っているがゆえに、自分の馬鹿げた衝動がどうにも抑えようのないものだと、玲奈は悟ってしまう。
あえて、玲奈はミユハに問いかけた。
「生きろとは言わないんですか?」
「そう言われたいのか?」
そんな問いを返されて、玲奈は苦笑する。
「いいえ」
「なら、そんなまともな言葉はかけてやらん」
ミユハはきっぱりと言い切る。
彼女には、彼女なりの思いがあるのだろう。彼女のこれまでの人生に根ざす何かだ。
だが、そんなことは、玲奈には関係のないことだった。ただ、彼女が少しだけ玲奈に寄り添ってくれたことを、玲奈は嬉しく思う。
玲奈の表情を見たミユハが言う。
「さて、無駄話はここまでにして、修行の時間といこうか」




