029 恋慕と呪縛と
有里たちが出ていったのを見届けると、巴絵は守子に問いかけた。
「話があるんだろう?」
見透かされたようで気分が悪いが、もともと巴絵はそういう奴だったなと守子は思った。巴絵はクールに振る舞って、自分の本心を隠そうとするくせに、他人の機微はしっかりと嗅ぎ取る。余計な介入をすべきでないときと、無遠慮に踏み込むべきときをきちんと弁えているのも腹立たしい。
そして何より、今は後者だと思われたことが屈辱的だった。
「単騎で切り込むって有里と二人で決めちゃったのは驚いたよ。勝算はあったの?」
「あったよ。私ならできると確信していた。きっと有里も」
それが、女王と騎士にある、不思議な力なのだろう。
この国を、この世界を征服するために得体のしれない神に与えられた力だ。
「この世界の神様は、たぶん悪趣味な奴らだよね。私たちが運命に翻弄されて、苦しむ様をショーとして楽しんでるんだよ、きっと。それでいて不平等。私と巴絵とでは、課せられた役割が違う。ショーだから、主役級と脇役がいるのは当然だけどさ」
守子の不平を、巴絵は表情一つ変えずに受け止める。
「神様とか運命とか、非科学的だね」
「神様って言ってるのは、科学的なつもりだよ。私たちの身に起きたことを観察して、誰かの意思が介在しているという仮説を立てただけ。観察と仮説は科学の第一歩でしょ」
「運命のほうは?」
「私の人生はN=1(エヌイチ)だから。そこに運命の介在する余地がある」
巴絵は壁に背を委ね、守子を見据えた。
「そんな詭弁を言いたかったのか? 文乃が言ったとおり、私は疲れてるんだけど」
それもそうだと、守子は少し反省する。感情任せに行動しているとはいえ、感情的になりすぎて言いたいことが言えないのでは元も子もない。ましてや、疲れている彼女をいたぶる気などないのだから。
「巴絵は怖くなかったの?」
今回、最も大きな危険を犯したのは、間違いなく彼女である。
「私が殺し合いの場に出るのを恐れない狂人に見えるかい?」
「それはごもっとも。じゃあ、どうして戦えたの? 勝てると思ったから?」
勝てるとわかっていても、怖いものは怖いのではないか。ましてや、その「わかる」が得体のしれない直感だとしたら。少なくとも、守子は想像したいとも思わない。
「私は有里のためなら何でもする。君ならわかるだろう?」
わかる。わかるのだ。
金村有里に初めて出会ったあの日から、守子の人生は有里のものだった。
それは入学式の日の教室だった。
出席番号順に配置された席。五十音順に窓際から指定された席で、大蔵守子の席は窓側の、後ろから二番目だった。黒板に磁石で貼り付けられた掲示でそれを確認してから、守子は自分の席のほうを見た。
一人の少女に、目を奪われた。
窓際の、一番後ろの席に座る黒髪の少女。整った顔立ちと、ぱっちりとした瞳だけで、人目を惹くに十分な美しさだったが、守子が惹かれたのは、その少女があまりにも自然体だったからだ。彼女には入学初日の緊張というものが感じられなかった。かといって、だらしなくしているわけではなく、すっと背筋を伸ばして教室を眺めていた。
彼女を見た瞬間から、守子の胸の奥に火が灯った。
その火が何かを、守子は知っていた。
すぐに座席表に視線を戻し、「金村有里」という少女の名を確かめると、守子は駆け出しそうになるのを堪えて、自分の席へ一歩一歩進む。椅子に座ると、ごく自然な挨拶を装って振り返る。
「金村さんだよね、私、大蔵守子。よろしく」
と後ろの席の少女に手を差し出す。にっこりと笑った有里は、守子の手を取った。
その暖かさはずっと握っていたいと思えるほどだった。
それからというもの、守子は金村有里に惹かれていく日々を送った。
彼女が何に笑い、何に怒るのかを知るのは嬉しかったし、彼女の覇気と行動力に巻き込まれるのは、守子の高校生活を華やかにした。
彼女と少しでも長く過ごしたい。彼女の手を握りたい。叶うことなら、抱きしめたい。
そして、もっと。そんな想いは日ごとに増していく。そんな日々を守子は送った。
だが、金村有里の想いが、守子のそれとは交わらないことも知っていた。
「巴絵、あなたが有里のために何でもしたいと思うのはなぜ?」
守子の問いに、巴絵はまず、深呼吸で答えた。
ほんの僅かな時間稼ぎのあと、巴絵は決心したらしい。
「愛しているから、かな」
そんなことは知っている。
そうでなければ、命を賭し、血と業に塗れて戦えるものか。
「その愛してるは、私のそれと同じ?」
巴絵の瞳。赤く染まったそれが、揺らぐ。彼女は答えなかった。
「聞き方を変えるね」
守子はずかずかと壁を背にした巴絵に詰め寄った。
「巴絵、あなたの愛してるは、有里があなたに向けるものと同じ?」
そんな怯えた顔をするなと、守子は思った。
「もし同じだったなら、有里を幸せにできたと思うかい?」
巴絵の弱々しい返事が守子を苛立たせたが、掴みかからないだけの理性は残っていた。
守子の欲してやまない、有里のその気持ちを向けられている巴絵は、それを受け入れることができないでいる。いつもふざけた態度でごまかしていることに、守子は気がついていた。
「幸せにできたと思うよ」
きっぱりと答えると、巴絵は守子を睨む。
否定してほしかったのなら、彼女は別の聞き方をすべきだったのだ。
「だけど、」
守子は言葉を続ける。
「有里がその幸せに安住したとは思えない」
好きな人と結ばれて、共に暮らして、ときどきデートして。ある朝に口づけを交わし、ある夜は身体を重ねて。
そんな幸福の中で穏やかに暮らすのは、金村有里には似合わない。
彼女自身が嵐であるかぎり、日常という箱庭がその暴風に耐えられるはずはない。
「巴絵、私はあなたを妬んでる」
「気づいてたよ」
「巴絵、有里に同質の愛を返せないなら、ありったけの量の愛を返してあげて。有里がどんな道を歩もうとも、どんな困難に挑もうとも。たとえ、その道を踏み外そうとも。あなたの全てを有里に捧げて。あなたがその運命から逃げることを、私は絶対に許さない」
あなたにはそれができるのだから。
巴絵はすぐには応えなかった。返すべき言葉をゆっくりと探し出したのか、ようやく言った言葉は一言だけだった。
「呪いだな」
呪いをかけるくらい許してほしい。
「だけど、その言葉は君も呪うよ。君は真面目だから」
そんな言葉を残し、ちょっと休んでくると部屋を出ていった巴絵の背中を、守子は黙って見送る他なかった。




