027 対面
一世一代の賭けに勝つというのは、覇者に必要なものなのかもしれない。
桶狭間がいい例なのであろうが、織田信長には遥かにまともな勝算があったはずだ。
少なくとも、初陣の少女が単騎で敵の要に斬り込むというのは、普通は賭けとも呼べない代物だろう。高層ビルの屋上から飛び降りるのをリスクと取るとは言わないように、必敗の賭けは賭けでない。
「よかった……!」
だが、藤堂巴絵はそれをやり遂げ、有里の抱擁によって出迎えられた。
文乃は先輩二人を畏怖の念を持って見つめていた。
安堵と喜びの涙を流す有里に、疑問の言葉を投げかけたくてたまらない。その涙は本物ですかと。愛する人を、死地に向かわせたのはあなた自身でしょうと。
だが、文乃は知っている。金村有里の前に、そんな問いは無意味なのだと。
彼女の進んだ道が真実になる。彼女はそういうタイプの怪物だ。
「ただいま」
巴絵は有里を抱きしめ返した。その手の血が有里を汚すが、巴絵は気にしていないようだった。有里も二度と離すまいとばかりに、巴絵の背中に回した腕に力を籠めた。
「いやあ、ラブラブだねえ」
守子が皮肉交じりに言う。こんな事態になったのはあなたのせいでしょうと言いたいところだが、そんなこと彼女が一番理解している。今の言葉が、嫉妬の色を含むことを隠そうともしていなかった。
「正気の沙汰じゃないですよ、こんなの」
結局、文乃が選んだ言葉はそれだった。一番的確だと思っているし、そう指摘されて憤慨するほど、この先輩は愚かではない。
「文乃がまともで助かるよ」
「……反省してます?」
「してるよ。後悔はしてないけど」
月並みなセリフで煙にまこうとする守子は、続けてこう問うた。
「文乃は後悔してる?」
「私は何もしてませんよ」
「違うよ、生徒会に入ったことを」
ずるい先輩だと思う。守子だけでなく、有里も。
「少なくとも、会長についていって後悔したことは一度もありません」
偽らざる感想だった。こんな事態に巻き込まれてさえ、その気持ちは消えない。
高校に入ってすぐに勧誘を受けた。初めは傲慢な印象を受けた生徒会長・金村有里に反発して拒否していたが、じゃんけんで負けて引き受けた文化祭実行委員の仕事をしているうちに、あれやこれやと生徒会活動に巻き込まれ、気づけば書記に就任していた。
思えば、有里といろいろな仕事を成し遂げるのは楽しかった。学校の雑用から、教師や街の人との交渉、生徒の間の揉め事の仲裁。どちらかといえば内向的だった文乃にとって、ぐいぐい引っ張ってくれる先輩は、新しい一歩を踏み出す力をくれたと思う。
「これからもそうであることを期待しますよ」
できれば、後悔する日は来てほしくないと思う。だが、それが来ないと心の底から信じられるほど、文乃は楽観主義にはなれない。優れた人間が判断を誤る例は、歴史にも文学にもありふれているのだから。それに、愛する人のためになら破滅してもいいなどという快楽主義に、文乃は共感しない。
「やっぱりまともだ」
守子の口調に、文乃への皮肉のニュアンスはない。自虐のつもりかもしれないが。
「まともじゃない人に言われても困ります」
「それもそうか」
けらけらと笑う守子を、文乃は睨む。この不合理な快楽主義者は、理系の人間が合理的だなどという幻想を否定するのに最も優れたサンプルだった。
「陛下、メレーゲ子爵がお待ちです」
抱き合う有里と巴絵に、遠慮なく切り込めるのはユキニアだけだった。彼女には妙な度胸があるなと、文乃は思う。
「そうだった。巴絵、ついてきて」
有里の言葉に、巴絵がちらりと視線を守子に向けた。守子はそれに気づくと、文乃の肩をぽんと叩いた。任せた、と顔に書いてある。
「会長、巴絵先輩は疲れていると思うので、私がご一緒します」
有里は文乃と巴絵の間で視線を迷わせる。
「──わかった。文乃、お願い」
あっさり聞き入れてくれて助かったなと思いつつ、文乃は有里とともに部屋を出た。
※
レイエン邸の書斎の、本来はニルバスのものである立派な椅子に大仰に座る有里は、ついこの前までただの女子高生だったとは思えない。ニルバスとユキニア、そして文乃を従え、この場の支配者面をしている。
本当にふざけた人だと、文乃は舌を巻く。どんな詐欺師もここまで堂々とできまい。
その彼女に跪き、頭を垂れるのは、鎧を纏った、短髪の女だった。
「エクウェール・メレーゲでございます。我が一族は異界より女王陛下がいらっしゃるのを、信じ、心待ちにしておりました。私の代に陛下をお迎えできたこと、光栄に思います」
女だったのか、と文乃は自らの不明を恥じる。どうしても子爵と聞けば男性を想像してしまっていた。
言い訳をするとすれば、欧州の言語なら爵位を示す語には女性形があることが多いが、この世界の言葉にはそれがない。ゆえに子爵と聞いただけでは、男女の区別のつけようがないのだ。
「面をあげよ」
という有里の言葉に従って、メレーゲ子爵は顔を上げる。
目鼻立ちのくっきりとした、色香のある美女だ。鎧よりもドレスが似合いそうだが、鎧もよく馴染んでいる様子だ。その口元に浮かぶ柔和な笑みが、どうも胡散臭い印象を与える。漫画なら土壇場で裏切るタイプ、というのが、文乃が受けた第一印象だった。
「私は有里。諸君らの女王である」
有里はきっぱりと言い切る。
彼女の浮かべる微笑は、彼女を知る者には、計算し尽くされたものに見える。その場に最適な表情を意図的に作っているかのように、的確なものを選び取っている。だが同時に、彼女をよく知る者は、それがごく自然になされた行為であることを知っているので、その矛盾した感覚に酔いそうになる。
文乃はその感覚が嫌いだった。
彼女の微笑を、メレーゲ子爵はどう受け取ったのか。
「ご無礼を承知でお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「何?」
「貴方様が女王だと信じるに足る証拠はございますか?」
慇懃無礼の見本だった。
唖然とする文乃たちとは対照的に、有里は動じる気配を見せない。
彼女は、ただ一言で命じた。
「ニルバス、この者を斬りなさい」




