026 女王の騎士
宙を舞った兵士たちに、ジェノサはしばし何が起きたのか理解できなかった。だが、その元凶はすぐに見つかった。
結界の内側に人影が躍り出ていた。一振の剣を携えている。背が高いので男かと思ったが、華奢な身体の線は女のものに見える。
兵士二人を吹き飛ばしたとはいえ、相手は一人だ。大勢で攻めかかれば、問題なく倒せるに違いない。
「何をやっている! 穴が塞がる前にさっさと突入しろ!」
躊躇いを見せた兵士たちを怒鳴りつけると、数人の兵士たちがその影に襲いかかった。
そして血飛沫が舞う。
兵士の一人は敵の剣を受け止め損ねて吹き飛んだ。一人は斬撃をもろに食らって事切れ、さらに一人の首が落ちる。猛威を振るう敵の力は、華奢な姿からは想像もできない。
──俺は何を見せられている?
まるで、幻覚を見ているかのようだ。
だが、ただ見ているだけが神聖術師の仕事ではない。神聖術師は戦場における最も強力な戦力の一つなのだから。
「ええい!」
ジェノサは援護のために神聖術を放った。魔力の塊を投げつけるだけの簡易のものだが、敵が多少は武勇に優れた剣士でも、たいていはこれで片がつくものだ。だが、そいつは高速で飛行する魔力の塊を、難なく斬り捨てたのである。
「……は?」
何が起きたのか?
ジェノサが自問する間もなく、その敵と目が合った。
正確にいえば、そんな気がした。まだ距離があって、相手の目など見えるはずがない。
だが、はっきりとその怪物の真っ赤な瞳が、ジェノサを捕らえたのがわかったのである。
この時点で馬に飛び乗っていればよかったのかもしれない。しかし、恐怖で竦んだ人間の身体というのは、思うように動かなくなるものである。ジェノサの脚は凍りつき、まともに歩くことすらできなくなっていた。
「助けてくれ!」
誰に言ったのか自分でも理解していなかったが、ジェノサは叫んだ。叫ぶことしかできなかった。
だが、とっくに手遅れだった。人とは思えぬ速さで距離を詰めたそいつは、既にジェノサの眼の前で剣を振り上げていた。
今度こそ、本当にその真っ赤な瞳がジェノサの目に入った。
宝石の如く美しい赤。そこに燃えるのは、殺意ではないことをジェノサは悟った。
神託の女王に仕えし騎士の剣が、哀れな神聖術師の命を刈り取ったのは、その直後である。
※
「冗談だろ……?」
少し離れた第三の突破口予定地にいたマグノは、神聖術師が討ち取られたのを遠目に見てそんな言葉を漏らした。優れた戦士でも、神聖術師には近づくのにすら苦戦すると言われるが、あれは恐るべき速さで動いた。目にも止まらぬとはああいうことだろう。
その怪物が、声を張り上げた。
「私は女王の騎士である! 命の惜しくない者はかかってこい!」
女の声だった。よく通る、凛々しい声。
ここが戦場でなければ、舞台女優だと思ったかもしれない。最近、王都で流行りだという女ばかりで演じる劇の看板女優だ。一介の雇われ軍人に過ぎないマグノはそれを見たことはないので、その表現が合っているのかは、わからないが。
そんな現実離れした存在は、眼前でその冷酷なまでの剣を見せつけられた兵士たちには、恐怖そのものに見えたらしい。彼女のすぐ近くにいた、ジェノサの護衛役の兵士が怯えながらも、大声を上げながら斬りかかるも、胴にもらった一太刀で真っ二つになる。
それが合図だった。兵士たちが恐怖に支配され、剣を投げ捨て、逃げ出し始めたのは。逃げる味方ほど、兵士を混乱させるものはない。彼女の姿が目に入っていなかった兵士たちにも恐怖が伝播していく。
「落ち着け、敵は一人だ。体勢を立て直せばどうということはない!」
マグノは声を張り上げ、声の届く範囲の兵士を呼び集める。一時退却を命じ、その場から逃げ出すほかなかった。数で押してどうにかなる相手ではないと、武人の直感が告げていたのである。
「マグノ様、あれを!」
「なんだ、こんなときに!」
兵士の一人があらぬ方向を指差すので、思わず乱暴に答えてしまったが、マグノはその方向を見て絶句する。
「メレーゲ子爵か……! 速すぎんだろ!」
ごく少数の騎馬部隊だ。本格的な合戦のためにはどう見ても数が足りていない。どうやら、数よりも速さを優先して、とにかく突っ走ってきたらしい。
しかし、数の多寡は今の問題ではない。数が少ないとはいえども、あの騎馬の集団が、今の混乱した歩兵に突っ込んできたら、どうしようもない。
「とにかく逃げろ!」
兵士たちに指示する。こちらが退く姿勢を見せれば、彼らは村への合流を優先するはずだ。
その間にこちらも兵力をまとめなおす他はない。
マグノはどんな簡単に思える任務でも、兵士たちには再集結地点を指示してある。今回こそは本当に無駄だと信じていたのに、まさか役に立つことになろうとは。
「ジェノサ、仇は討ってやるから安心してあの世へ行けよ」
大して親しくもなかったし、いい奴でもなかった神聖術師に弔いの言葉を投げかけて、マグノは村に背を向けて駆け出した。




