024 血文字で書かれた一頁
ふらりと現れた守子が、死体を見て顔をしかめた。巴絵は守子の問いには答えずに、別の問いを返した。
「うわ、巴絵がやったの、これ?」
その口調は起きたことに対して、あまりに軽かった。それは決して、彼女が冷酷な人間であることを示すわけではないと、玲奈にはわかっている。彼女の身には、あえて軽薄に振る舞う癖が染み付いているのだ。
「入口の二人は任せてって言ってたけど、どうしたの?」
「小さな子どもに水を持っていかせた。ミユハさん謹製の毒入りだけど」
さらりと恐ろしいことを言う守子。おそらく、子どもは何も知らなかったのだろうと思う。
現実に理性が追いついてくると、玲奈の胃の奥から吐き気が込み上げてくる。何度か大きく深呼吸して吐き気を押さえつける。これで、少しは保つだろう。
「みんな、ご苦労さま」
ようやく、この場の支配者が姿を見せた。有里は転がっている死体を一瞥して、それから巴絵に目を向けた。
「巴絵、大丈夫?」
「怪我はないよ」
「そういう意味じゃ――」
有里は言いかけた言葉を飲み込んだようで、
「それなら良かった」
と巴絵の肩を叩く。有里の本当に言いたかったことが伝わったのかどうかは、巴絵の表情からは伺うことはできなかった。有里は玲奈には声をかけず、村人たちのほうを向き、
「まずは上手くいった。この兵士たちが帰還しないことによって、伯爵は我々の敵対を知るだろう。攻め寄せてくるのに備えろ」
と鼓舞を始めた。堂々たる態度だった。
玲奈の中で色々とないまぜになった感情が湧き上がってくるのに呼応するように、吐き気がぶり返す。玲奈はその場を離れ、人のいない場所へと走った。そこでうずくまると、思いっきり嘔吐した。
えずきながら、玲奈は情けなくなってくる。
自分の無力さに苛立ち、力を持つ巴絵に嫉妬して。いったい自分は何がしたいのか。
「玲奈、大丈夫〜?」
軽い口調で、背後から問いかける声が一つ。えずいたまま応えられずにいると、優しく、背中が擦られた。
少し落ち着いて、玲奈は顔を上げる。
「玲奈、酷い顔してるよ」
守子がからかう。言われなくともわかっているので、その言葉は無視した。守子は軽薄な笑みを浮かべて、
「キツイよね、これ」
よく見ると、守子の顔は少し青ざめている。
「一昨日まで、私たち、ただの高校生だったのに。今は恐ろしいことしてる」
玲奈は、呆れて言い返す。
「誰のせいだっけ?」
「私のせいだね、少なくとも直接的には」
自嘲する守子の、玲奈の背を擦る手が止まる。
「私は、巴絵のことが羨ましかった」
守子の一言に籠められた気持ちは、後悔に似ているが、たぶん、別物だと玲奈は直感した。
彼女が今、それを語ろうとした理由は玲奈にはわからない。
それでも、耳を傾けてやるべきなのだと玲奈は思った。
「藤堂巴絵って人間はね、金村有里の人生の一部なんだと思う。有里が巴絵に対してしか見せない表情を、私はいっぱい知ってる」
それは玲奈も知っている。
仕事に集中する巴絵の横顔を見つめる柔らかな瞳も、巴絵と言葉を交わしながら朗らかに笑う口元も。巴絵に冗談半分に肩を抱かれて、照れるときもある。
金村有里という人間の人生録をめくれば、どの頁にも藤堂巴絵の名前が出てくるはずだ。
「私は有里の人生の決定的な一頁になりたかった」
それが、破滅の序章だとしても。
それが、血文字で書かれた一頁だとしても。
守子はそう続けたいのだと玲奈は思ったが、守子はそれを口には出さなかった。玲奈はあえて、その心の柔らかな部分に踏み込む。
「有里は守子と心中する気はなさそうだけど?」
「そりゃ、そうでしょうよ。有里は他人に自分の人生を決められるのは嫌いだし、自分で自分の生きる道を切り開く。絶対に」
「矛盾してる」
「矛盾してない人間なんてこの世にいないよ。一貫性が美徳とされる所以だね」
守子はいつもの軽薄な口調で言った。呆れつつも、彼女の言葉に深く頷く自分がいることに玲奈は気づいていた。
「それで、フられた守子はこれからどうするの?」
「まだフられてないし。少なくとも、有里は私のせいでピンチ真っ只中だし」
「そう思うなら、思っておけばいいんじゃない」
軽く流して、玲奈は立ち上がる。つられるように、守子も腰を上げた。
「一つだけ聞きたいんだけど、」
玲奈は守子に問いかける。
「どうしてそこまで有里にこだわるの?」
守子はにやりと笑って答えた。
「うーん。一目惚れ、かなあ」
なんだ、いっしょじゃないかと、玲奈は苦笑する。
その答えには理屈も、道理もない。
「じゃあ、戻ろうか。我らが女王陛下のもとへ」
ただ、自分自身の欲望と、定められた運命とがあるだけだ。




