022 玉座
騒動が起きているのと同じ頃、ミユハの小屋の中で、玲奈はひたすら手元の紙を見つめていた。
自分の周りの空間から、自分の身体の中へ。体幹から右腕を通って、五本の指へ。そして、指先から机の上の紙に引かれた線へ。流れをイメージし、この世界に満ちる無秩序な魔力を制御する。
適切に魔力を流せたらこの紙の文様が光るらしいと、ミユハから説明を受け、何度も試して、何度も失敗していた。何回目の挑戦かは数えるのを諦めた。
それでも、玲奈はこの「簡単な」課題を諦めるわけにはいかなかった。
もう一度、魔力の流れをイメージする。外から中へ、体幹から指先へ。すると、文様がかっと光を放つ。
「意外と早かったな。上出来だ」
傍で酒を飲みながら黙って眺めていたミユハが言った。
「私、筋がいいですか?」
玲奈はそう問いかけた。バカな問いだとは思いつつも、そう問うてしまった。
ミユハが無慈悲に答える。
「悪くはないが、大したことはない。才能のあるやつは一発でできるものだ」
玲奈は、何に期待したのだろう。
それはたぶん、この人から褒められることではない。自分が何らかの才能を発揮することに期待したのだ。他の誰かとは違う才能を。その才能で、この世界で有里の役に立てる可能性に。
「そうがっかりした顔をするな。鍛えたら人並み以上の術は使えるようになるだろうよ」
「そう思う根拠は」
ミユハはにやりとした笑みを見せた。
「根性がある」
根性、というのは違うかもしれない。一応、玲奈は体育会系と呼ばれる人間だから、相応に体力があるし、適切な反復練習をすれば上達することをしっかりと学んでいる。地道な努力は、玲奈にとって苦ではなかった。ミユハが言葉を続けた。
「いきなり神聖術師に弟子入りしようなんて奴は、だいたい派手な術に憧れるだけで、地味な基本に興味がないのさ」
そういう奴は、どこにでもいるものだなと、玲奈は苦笑する。学校の部活でも、異世界でも同じなのだ。逆に言えば、地道に頑張れば、有里の役に立てるかもしれない。玲奈の中に、ほんの少しだけ、自信が湧く。
「じゃあ、次はこっちな」
新たな紙を出される。先程の紙と同じように文様が描かれているが、先程のものが直線ばかりなのに対して、曲線ばかりで描かれている。魔力を「曲げる」イメージが最初は掴めなかったが、それでも三回目で上手くいった、そのときだった。
「ミユハ様!」
慌てた様子で、女性が訪ねてきたのだ。玲奈も知った顔だった。レイエン家の使用人だ。
「どうした? 急病人か?」
「いえ……。旦那様がお呼びです」
ミユハが問うと、使用人は戸惑い気味に答えた。
その様子を疑問に思ったのだろう、ミユハは重ねて問う。
「ニルバス殿が? どのような用件かは聞いているか?」
使用人はますます困惑の色を見せて、
「私もよく事情がわからないのですが、『女王陛下のご決断があった』と伝えろと」
玲奈とミユハは互いに見合わせた。
女王陛下、そう呼ばれる者がこの村にいるとすれば、それはただ一人だろう。
「はははっ。面白い。何があったか知らないが、あの女が覚悟を決めたか」
ミユハは残っていた酒を一気に煽る。そして、改めて玲奈を見据えた。
「急に嬉しそうな顔になりやがって」
そう言われて、玲奈は思わず手を頬に添えた。
そんな表情をしていたか。ミユハが嘘をつく理由もないから、実際に玲奈は胸の高鳴りを隠しきれていなかったのだろう。
玲奈の運命を司る女王が動く。それは玲奈の人生に新たな彩りが加わることを意味していた。
「お前の主の度量、見せてもらおう」
ミユハは立ち上がり、小屋を出ていく。慌てて玲奈もその後を追いかけた。
※
玲奈がミユハの教え乞うている僅かな時間に何があったのかは、ざっくりとしたことしか聞けていなかった。
ただ、村の集会所の最も上座に有里が堂々と座り、村の領主たる父娘が次席についているのを見るに、騒動の過程で有里は本格的に父娘を誑し込んだらしいことは一目瞭然だった。。
この場にいるのは、有里たち一行と領主父娘の他には、ミユハと村民たちだ。村民たちは男女を問わず、集会所の下座に集まっていて、代表者らしき男女五名は、レイエン父娘やミユハとともに長机を囲むように座っている。玲奈たちは守子の提案で、上座に座る有里の背後に控えるように立っている。
どうやら、この配置はある種の演出のようだ。
「文乃、例の事件の報告をお願い」
有里の指示で、文乃が一歩前に出て話し始める。
「はい。本日の昼前、シマニエク伯爵の使者のうち一人が村民に刺される事件が発生しました。激昂したもう一人は巴絵先輩によって撃退され、使者二人は逃亡。物見に出た者からの報告によると、刺されたほうは道中で亡くなったようです」
場にざわめきが起こる。
「お静かに」
ユキニアが声を上げ、村民たちを宥める。言葉をニルバスが引き継ぐ。
「領民を下手人として差し出して幕引きにするつもりなど毛頭ない。レイエン家の誇りにかけて、はっきりと誓おう。神託の女王たるお方が、我が領内に降り立ったのは天命である。女王陛下のお力を頼り、我がレイエン家はシマニエク伯爵の不当で悪辣な支配から脱することとした」
村民たちが口々に賛同の声を上げる。シマニエク伯爵とやらはかなり嫌われているらしく、かなり汚い罵声が飛び交った。
無言で有里が立ち上がる。その動作一つで、騒いでいた村民たちが次々と口を噤み、空気がしんと引き締まる。黙らせようと圧をかけたのではなく、飛び交う言葉の間や人々の視線を読んで、最も効果的なタイミングで立ち上がったように見えた。
そんな天性の支配者は、その場の全員の視線を集めつつ、声を張り上げた。
「私こそが諸君らの女王である」
その言葉を欠片も信じていない者がいたとすれば、それは有里自身だったはずだ。だが、有里はそんな様子は全く見せずに、堂々と言い切ってみせた。
もしかすると、彼女は天性の詐欺師でもあるのかもしれない。それも、相手に、彼女に騙されるのならば本望だと思わせてしまうタイプの詐欺師だ。
「私がこの地に降り立ったのは、確かに、神々の導きによるものである。しかし、私が諸君らを救おうと立つのは、神々の命だからではない。私自身の意志によってである。私は、私の民を虐げる者を決して認めない。私は、私の民から奪う者を決して許さない。諸君らの敵は、私の敵である。必ずや、彼らをこの地より排し、諸君らが明日のパンに困らぬ世を作ると誓おう」
金村有里が真の女王であるか、詐欺師であるかという問いは、この場においては意味をなさない。両者はこの場においてほとんど同義であり、ほんの少しだけ先の未来が、この世界の歴史の片隅を占めたときにようやくいずれか一方に定まるはずだ。
村民たちが快哉を叫ぶのを手で制し、有里は演説を続けた。
「私の決意に、諸君らの領主たるレイエン家は協力を申し出てくれた。私はその忠義に応え、彼らの守ってきた民である諸君らを守護せねばならない。残念ながら、私の手元に兵はいない。連れてきた臣下は、後ろに控える四人のみである。それでも、私は戦わねばならない」
村民たちの中から一人の若者が、
「俺も戦わせてくれ!」
と声を上げた。それを合図に、口々に村民たちが協力を申し出る。
玲奈は隣に立つ守子に視線を向ける。守子はこちらの視線に気がついたのか、横目でこちらに視線を寄越したが、すぐに逸らした。おそらく、最初の一人はサクラだな、と玲奈は察したが、この場でそれを指摘する無粋な真似はしない。
「諸君らの協力を感謝する。諸君らは私の最初の兵である。末代までの誉れとせよ!」
有里はそう宣言して、着座する。
村民たちの歓声と拍手とが、有里の座る粗末な椅子を玉座へと変えた。




