019 策謀
「私の人生を意味あるものにするために、陛下を利用させていただきます」
ユキニアの宣言は有里を戦慄させるのに十分だった。
「あの、嫌な予感がするんだけど」
「ちょうど今日はシマニエク伯爵の部下──まあ監視役ですね。その方がレイエン家を訪ねてくる日です。もう到着していると思いますが、私が村人たちに陛下のことや陛下が賊を討ったことを言いふらしておきましたので、監視役の耳にも入ることでしょう」
伯爵の耳に入ればどうなるのか。少なくとも、喜ぶとは思えない。
「先程の母娘を見ましたね。この辺りは神託の女王への信仰心が厚い地域です。陛下は歩く大義名分となりえます。たとえ、陛下ご自身がお認めにならずとも。それどころか、疑わしい噂であろうとも」
有里は眼の前の少女に嵌められたことを悟った。シマニエク伯爵が有里を女王と信じるかはともかく、何らかの行動は起こすに違いない。有里は望むと望まざるとを問わず、巻き込まれることになる。
こういう場合、怒っていいのだと思う。
だが、どうしてだろう。怒りとは違う感情が、有里の中で渦巻いている。
「勝算はあるの?」
「メレーゲ子爵は二年ほど前に代替わりしたのですが、野心家ながら話のわかる人物です。慎重なので大義なくシマニエク伯爵の勢力圏に手を出すのは避けているようですが、大義名分さえあれば、勢力を広げる好機と思って動いてくれることでしょう。陛下には、子爵に担がれていただきます」
甘いと、有里は思った。メレーゲ子爵が慎重な人物なら、神託の女王の噂程度では行動を起こさない可能性が高い。もう一押し必要なところだ。
「動いてくれる保証が必要ね」
「保証、とまではいきませんが、人を動かすのに効果的な方法は、判断するまでの猶予を奪うことだと聞きました。すぐに動かねば好機を失うと思わせればいいのだそうです。そこで、こちらから事を起こすことにしました」
ユキニアの意図を、有里は察して青ざめる。
「伯爵の部下とやらは今どこ!?」
ユキニアは村の中央の方角を指差す。
「あの者たちは毎回、村の集会所を拠点にします。そちらかと。村の中央の広場に面したうちの、一番大きな建物です」
それを聞いて、有里は駆け出す。最悪の事態は避けたい。通学用のローファーは全力で走るのにはあまり向いていなかった。それに、畑を迂回しなければならないせいで、思ったよりも距離がある。
だが、へばっている時間はない。事が起きてから到着しても意味はないのだから。
「遅かった……」
村の中央の広場では、すでに騒ぎになっていた。何人もの村人が寄って集って、罵倒の声を上げている。そんな彼らに追い立てられるように、二人の男が村人たちを睨んでいる。揃いの赤いマントのようなものを羽織った彼らが、伯爵の部下であることは察しがついた。そのうちの一人は刃物で刺されたのか、腹部が血に染まっている。
ユキニアが村人のうちの幾人かを焚き付けておいたのだろう。村人の誰かが不意をついて彼を刺したに違いない。
「貴様ら! 我らがシマニエク伯爵の使者と知っての狼藉か!」
刺されていないほうの一人が叫ぶと、村人の輪にいた、幼い少年が石を投げつけた。少年もまた痩せており、その力はか弱い。勢いの足りない石はすぐに失速し、男の足に力なく当たる。無意味に等しいはずの、少年のその行動は、男の良心を繋ぎ止めていた最後の糸を切ったようだ。男の顔が醜く歪む。
「おい、クソガキ」
男は腰に帯びていた剣を引き抜く。男の血走った目が、少年を捉えた。少年の親らしき村人が覆いかぶさるように少年を抱く。
「止まりなさい!」
有里は自然と叫んでいた。
男の目がぎょろりと有里に向いた。
「ほう、お前、レイエンの娘じゃないな。となると、お前が女王を名乗ってコイツらを焚き付けた詐欺師か」
女王を名乗った覚えも、焚き付けた覚えもないが、こうなってはもはや同じことだ。ユキニアがやったと彼女のせいにするのは簡単だが、有里にはそれが無責任なことに思われた。ユキニアと村人が暴挙に出たのは、有里がこんなところに迷い込んだせいなのだから。
「どう解釈しても結構ですが、これだけは問わせてください。幼い子どもに向かって剣を抜いてよい道理がこの世にあるのですか?」
「先に手を出したのはコイツらだぞ。報復を受ける覚悟くらいはあろうよ」
有里は、この男が軽蔑に値することを確信して、深い溜め息をついた。
「虐げられた者の必死の抵抗に対して、覚悟を問う資格が虐げた強者にあるとでも? 剣を収め、伯爵に諫言しなさい。不当な搾取をやめろと」
彼から見たら怪しい女に過ぎない有里の言葉を、男が素直に聞き入れるはずはなかった。案の定というべきか、激昂した男は剣を向ける相手を子どもから有里に変えたようだった。これで、少なくとも幼い子どもの命は守れるだろう。有里は恐怖を飲み込み、その場に踏みとどまる。振り上げられた剣に、目は向けなかった。有里は真っ直ぐに男の目を見据えた。
そこに一瞬の怯えを有里は見て取った。男は大きな声を上げ、有里に剣を振り下ろさんと駆けてくる。
そのとき、有里の視界を一つの背中が遮った。
金属の打ち合う音がして、折れた剣先が宙を待って地面に突き刺さる。
「私の有里に何をしようとしたのかな」
巴絵が一振りの剣を手に有里と男の間に立ち塞がっていた。
剣を折られた男は、今度こそ怯えを顔に出し、あとずさる。そのまま折れた剣を放り出すと、傷ついた仲間を見捨てて走り去っていく。置き去りにされた男はよろめきながらも立ち上がり、ふらふらと仲間の後を追っていった。
「ああ、女王陛下と騎士様だ……」
村人たちが有里たちを取り囲み、胸に手を添える。その手はどれも痩せ、彼らの纏う服は擦り切れそうだ。彼らから捧げられるたくさんの祈りを拒絶するわけにもいかない。有里はしばし祈りを聞き、それから石を投げた少年の前で膝を折る。しかと目線を合わせると、少年の澄んだ目が、有里を見つめ返した。彼の頭を撫でつつ、有里は諭した。
「あなたの勇気はとても立派。だけど、それを使うときは、何を守りたいのか、よく考えてから使いなさい」
こんなことを諭せる立場でもない気もするが、言わねばならない気がしたのだ。
少年の親が何度も礼を言うのを振り切るように、有里たちはレイエン家の屋敷へと足を向ける。ここで起きたことをニルバスに伝えねばならない。
道を中程まで進んだところで、ふと有里は問うた。
「ところで、巴絵はどうして広場に来たの?」
巴絵は書庫で資料を探していたはずだ。その仕事が終わってうろうろしていたとは思えない。不慣れな土地だ。村の中とはいえ、可能な限りは単独行動なんてせずに、守子たちといっしょに行動することを選ぶだろう。
巴絵は一瞬だけ答えをためらったように見えたが、すぐにそれを口にした。
「守子に『有里を迎えに行ってこい』って言われたんだよ」
「その剣は?」
「これか。ユキニアの護身用の剣だって、守子は言ってた。ユキニアが貸してくれたってさ」
──人を動かすのに効果的な方法は、判断するまでの猶予を奪うことだと聞きました
──すぐに動かねば好機を失うと思わせればいいのだそうです
ユキニアの言葉で、あの部分だけは伝聞だった。誰が彼女に助言したのだろうかと、有里は引っかかりを覚えていたのだが。
──昨日のうちにユキニアに聞いておいたんだよ
頭を抱えたくなりながら、有里は巴絵に確認することにした。
「ちなみに、そのときの守子、どんな顔をしてた」
「お察しの通り、何か企んでる顔してたよ」




