018 村人とユキニア
ミユハの家を辞去した有里を、ユキニアは村の農地へと連れ出した。この辺りは豊かな土地らしく、青々とした麦畑が広がっている。春の穏やかな日差しと柔らかな風が有里の沈んだ心に染み入った。
「玲奈も引っ張ってくればよかった。ちょっと思い詰めてるみたいだったから」
玲奈はあのあと、自ら頼み込んでミユハのところに残り、神聖術の手解きを受けることになった。玲奈が必死に頭を下げる様子に、有里はただ黙っていることしかできなかった。有里の足を引っ張りたくない、と玲奈は言った。
有里の選んだ仲間たちは優秀だ。有里はその「優秀な仲間」に玲奈を加えているつもりだが、玲奈はそう思ってはいないらしい。確かに、巴絵たちに囲まれていると、劣等感を覚えてしまうのはわからないでもない。有里自身、そんな気分になることがしばしばあるのだから。むしろ引っかかるのは──
「玲奈は、私の足を引っ張りたくない、って言ったんだよね」
口を突いて出た言葉が、こちらの言葉だったのは、誰かに聞いてほしいという心の現れなのだろうか。隣を歩くユキニアが応える。
「何もおかしくはないと思いますが」
「玲奈は、みんなの足を引っ張りたくない、とは言わなかった」
「レイナ様は貴女様のためにこそ、力を尽くしたいのでしょう」
そんなことはわかっている──と言い返そうとした、そのとき、「姫様」と声がして、こちらに駆けてくる幼い少女が見えた。後を追うように、母親らしき女性が慌てた様子で娘を追いかけている。
「姫様! 今日は母さんの手伝いをいっぱいしたの!」
自慢げに胸を張る幼子の細腕に目が行った。骨張っていて、心なしか血色も悪いように見える。追いかけてきた母親も頬がこけて、みすぼらしさが目に付く。身なりの良いユキニアと見比べると、彼女たちの貧しさが際立った。
ユキニアはしゃがんで少女に目線を合わせると、その頭を撫でる。慈愛に満ちた微笑みで、少女に優しく問いかける。
「偉いですね。どんなお手伝いをしたんですか?」
少女は目を輝かせて、水汲み、洗濯、と今朝からしたことを順番に説明していく。これから畑仕事を手伝いに行くのだという。ユキニアはその言葉一つ一つに頷き、少女を褒めた。
「すみません、姫様。お邪魔をしてしまって」
母親が謝罪の言葉を述べると、ユキニアは屈んで少女の頭を撫でたまま応えた。
「お気になさらず。私がこの子のために割いた時間が、無駄になることはありませんから」
母親はそれでも気まずそうだったが、幼子のほうは身分差など気にしない。ちょいちょいとユキニアの服を引っ張り、ついで有里を指さした。
「この人、誰?」
ユキニアは人を指さしてはいけませんよと窘めたあと、
「この方は、ユウリ様。我々の女王となるお方ですよ」
と有里を紹介してしまう。
母娘は最初、ぽかんと口を開けていたが、母親のほうは有里の目を見て、すぐにその意味に気がついたらしい。両手を心臓のあたりに重ねて添えて、軽く腰を折って頭を垂れる。有り難やと言葉を唱え始めたのを見て、有里はそれが祈りの所作であると理解する。
幼い娘も母親を真似て両手を胸に添えていた。
祈りは長い間続いた。有里はやめてくれと言うこともできずに、二人を眺める。やがて祈りを終えた母娘は感謝の言葉を述べ、去っていった。
「ユキニア、ここは実り豊かな村に見えるのだけれど」
「ええ。ご覧の通りです。土地と水に恵まれ、民は勤勉です」
ユキニアは手のひらで畑を指し示す。遠目に、農作業中の村民が見える。
「じゃあ、どうして彼らは貧しそうなの?」
ほとんど睨むようにして、有里は問うた。
ユキニアはすぐには答えず、有里を見つめた。血色のいい、美しい肌。彼女の纏うワンピースの生地が村民のそれと比べて良いものであることは一目でわかる。彼女は贅沢をしているとは言い難いが、決して村民と貧しさを共有してはいないのである。
「幸いにして、我がレイエン家は領民から慕われています。先祖代々、民のために財を使うことを惜しまず、民の言葉に耳を傾けてきたからです。領民たちは『領主がみすぼらしくては格好がつかぬ』と強がって、せめて父や私を飢えさせまいとしてくれているのですよ」
「答えになってない」
ユキニアは目を伏せた。悔しげに両手を握りしめている。
「仰ることはわかります。民を飢えさせることは領主にとって最大の悪徳なのですから」
「私はなぜ民が飢えているかと聞いているの。あなたの弁明に興味はない」
口にしてから、なぜ、ここまで強く問いただしてしまったのかと、有里は自問した。義憤というほどには、有里の心中は荒れていない。
ユキニアは跪き、有里に頭を垂れる。
「陛下、それは我がレイエン家が重い税を課しているからでございます」
豊かな実りの多くは民の手を離れるのだ。それは封建的な社会の常なのだろうが、眼の前の少女がその支配者の席に平然と座る人間だとは、あまり思いたくはなかった。
「私としては、使い途が知りたいところだけど」
「この辺りはシマニエク伯爵家とメレーゲ子爵家の勢力圏の狭間にあります。両家とも中央の大貴族の一門。対して、我がレイエン家は貴族の末席。相争う両家のいずれかに付かねば、この乱世では自らの領地を守ることさえ、危ういのです。レイエン家は長年、シマニエク伯爵家に対して、従属的な立場にあります」
「つまり、領地を保障してもらう代わりに税をとって上納させられている、と言いたいの? 己の地位を守るために、領民を犠牲にしていると」
「その通りでございます」
ユキニアは顔を伏せたままで表情はわからないが、その震える声音から彼女の心情は察せられた。彼女は現状をよしとはしていない。有里はあえて問うた。
「伯爵とやらに、領地を差し出すことはできないの? あなたたちを養っている分だけ、領民が多少は楽になるでしょうに」
「それではレイエン家の取り分がシマニエク伯爵の懐に入るだけです。それに、当代は歴代の中でも指折りの無法者。彼は私を妾にと父に要求し、父が断ると嫌がらせとして子飼いの賊にこの近辺を荒らさせるような輩です。どうして領民を預けられましょうか」
彼女の言葉を信じるならば、シマニエク伯爵とやらは軽蔑に値する男のようだった。だが、有里はユキニアの言葉に引っかかりを覚え、そちらに思考を奪われた。有里たちがなぜ、この村に来ることになったのか。その経緯と照らし合わせれば、推測するのは簡単だ。
「もしかして、今言った賊って……」
ユキニアはようやく顔を上げ、きっぱりと言った。
「はい、陛下とトモエ様がお斬りになった賊どもでございます」
有里を見上げるユキニアの目に光が見える。それは、夢見がちな少女のそれではない。それは、野心家の本能が燃える光だ。




