朝の突撃が終わった日
前半は侯爵家にてのリリアの真実
そして後半はアンドルの話になります
アレクから報告を受けた夫人は、頭を抱えてしまった。
「いったい、どうしたらいいのでしょう……」
すると、年嵩の侍女が一歩前に出る。
「私が直接お教えいたします。そうでなければ、知らないうちに妊娠してしまう可能性もございます」
それは、かつてのリリアの母の話でもあった。
亡きお嬢様も、何も知らないまま王弟殿下に口説かれ、そして身ごもってしまったのだと、侍女は静かに語った。
「挙げ句の果てに詐欺に遭い、事故で亡くなられました。同じ道をリリアーナ様に歩んでほしくはございません」
そうして侍女は、リリアと二人きりで話をした。
ところが――
「男性と女性の違いは知っております。妊娠の仕組みも」
リリアはきょとんとした顔で答えた。
侍女は目を見開く。
「お兄様は見られるのが嫌みたいでしたけれど、私は伯爵家にいた頃、バクラス様のお世話をさせられていましたから。当たり前に知っています。
むしろ、お兄様の方が初心なのではありませんか?」
リリアの顔は大真面目だった。
話を聞くと、伯爵家にいた頃、バクラスとやらに一通り教え込まれていたらしい。
「知識だけは覚えておけと。
結婚すれば必ず経験することだとも言われました」
その話を聞いた侯爵夫妻とアレクは激怒した。
「バクラスという奴も探し出して城へ突き出せ!」
侯爵が机を叩く。
だが、リリアはけろりとしていた。
「私は、バクラス様をそんなに悪く思っておりません。
両親が亡くなった時、すぐにこちらへ連れてきてくださったのはバクラス様です」
確かに、事故の直後、リリアは侯爵家へ連れて来られていた。
そのおかげで借金取りから逃れることができた。
もし連れて来られていなければ、娼館などへ売られていた可能性すらあった。
「全くの初心だと思っていたら、知り過ぎていて敬遠していたとは……」
アレクは力が抜けたように椅子にもたれかかった。
すると侯爵が呆れたように言う。
「その割には、アレクの部屋へ突撃していたではないか」
「お兄様はお兄様ですもの。私とは結婚しておりませんし」
「それはそうなのだけど……」
アレクは頭を抱えた。
侯爵は真面目な顔になる。
「優しそうに見えても、いきなりそういう行為をする男もいるのだよ。
結婚してからとは限らない」
するとリリアの目が大きく見開かれた。
「えっ? 結婚しなくても子供ってできるのですか?」
今度はアレクが叫んだ。
「そうだよ!
だから皆、そなたが何も知らないと思って心配していたのだよ!」
結局、知識はあっても肝心な部分が抜け落ちていたらしい。
侯爵夫妻と侍女達は総出で、「貞操」や「悪質な男の見分け方」について説明することになった。
ひとまず理解してもらえたところで、皆ほっと胸をなで下ろす。
そして最後に、アレクが真剣な顔で言った。
「それと、妹だからこそ見せたくないのだ。
バクラスとやらは平気だったようだが、私は嫌なのだ。
だから朝、部屋へ来ないでくれ」
ほとんど懇願だった。
リリアはしゅんと肩を落とす。
「申し訳ありませんでした。
そんなに嫌がられていたとは思いませんでした……」
こうしてようやく、侍従は朝早く起こされることのない平和な生活を取り戻したのであった。
◇ ◇ ◇
エピナスチン伯爵は、侯爵からの援助を受け、何とか妻が作った借金の返済の目途を立てていた。
途方もない額ではあったが、侯爵の助言と援助のおかげで何とか持ち直しつつあった。
しかし、夫人はいまだにセリーヌを信じ込んでいた。
国王陛下に無罪の嘆願書まで出そうとする始末である。
「離縁しましょう。私はもう、あれを母とは思えません」
子息のアンドルが言った。
「しかしな……」
伯爵はためらう。
すでに夫人の実家は没落していた。
夫人はプロムフェナク伯爵の妹だったのである。
「実家を没落させた女を信じ込むなど、まともだとは思えません」
アンドルは強い口調で言った。
「籍だけでも抜くべきです。そうでなければ、また何かやらかします」
「実の母親ではないか」
伯爵は苦しそうに言った。
「実の母親だからこそです」
アンドルは即座に返した。
「私は本当に情けない。実の息子の言葉よりも、赤の他人を信じる母親など必要ありません」
怒りは深かった。
兄弟が欲しかった。
だから、リリアが母方のいとこだと知った時は本当にうれしかった。
会いにも行った。
だが、そこで見たのは侍女のように働かされる少女だった。
母にも訴えた。
『おかしい』と。
しかし母は、
『あなたとは血の繋がりのない娘よ。忘れなさい』
としか言わなかった。
さらに、
『お父様には言わないで』
と口止めまでした。
母は嫁入りの際、多額の持参金を持ってきていた。
だからこそアンドルは不思議だった。
なぜ、あれほど苦しいはずの伯爵家にそんな金があるのか。
もしかしたら、伯爵は母のために借金をしたのではないか。
そう思ったことすらあった。
それが、すべてセリーのせいだったとは。
父に訴えても埒が明かず、アンドルは侯爵を頼ることにした。
「そうか。そなたの母はプロムフェナク伯爵家の出身だったのか……」
侯爵の表情は複雑だった。
「リリアと私はいとこのはずです。なのに母は違うと言います」
アンドルは拳を握った。
「『あの娘は別の男の子を身ごもったまま嫁いだ』と。
事実はどうあれ、私はずっとリリアーナ嬢が気になっていました。
姪である幼い娘がひどい目に遭っているというのに見向きもせず、持参金を持たせてくれた兄に対しても知らん顔をする。
そんな人間性が許せません。
さらに実家を潰した女をかばう。
狂っているとしか思えないのです。
そんな母と血が繋がっていると思うと、とても悲しい」
侯爵はしばらくアンドルを見つめていた。
「そなたはしっかりしているな」
優しい声だった。
「大したものだ」
アンドルは目を伏せた。
「母上は病気療養という形で遠方へ移したらどうだろう。
それくらいの費用なら今の伯爵家でも出せるであろう」
侯爵は提案した。
しかしアンドルは首を横に振る。
「あんな母親のために、皆が働いて得た金を使いたくありません」
きっぱりとした口調だった。
「一度洗脳されると、それを解くのは大変なのだ」
侯爵は静かに言った。
「リリアも苦しんだ。
皆で支えて、ようやく今の状態まで戻ったのだ。
もう少し長い目で見てやるべきではないか」
アンドルは唇を噛んだ。
「侯爵様なら分かってくださると思ったのに……」
苦しそうな声だった。
「私は母に放置されてきました。
母の愛情を感じたことなど一度もありません。
それなのに、詐欺師には惜しみなく情をかける。
そんな人間を、血が繋がっているというだけで母として愛せと言うのですか?」
侯爵の胸が痛んだ。
自分もまた同じだったからだ。
両親の愛情は妹に注がれ、自分は冷たく扱われていた。
妹を愛していたからこそ、余計に寂しかった。
「気持ちはよく分かった」
侯爵は静かにうなずく。
「籍だけでも抜くよう、御父上と話そう」
アンドルの顔が明るくなった。
「ただし、その時は『母を見捨てた冷たい息子』と言われるかもしれない。
その覚悟はあるか?」
「何でもございません」
アンドルは即答した。
「私は嫡男として伯爵家を守らねばなりません。
私たちだけではなく、家臣たちの生活も背負っています。
そのためなら、いくらでも悪評を受けます」
侯爵は満足そうにうなずいた。
「分かった。御父上と話そう」
こうして、エピナスチン伯爵夫人は籍を抜かれた。
「家には置いてやる。ただし、もうそなたは女主人ではない。侍女として働きなさい」
かつての夫からそう告げられた夫人は顔を真っ赤にした。
「セリーヌ様を牢から出して、仕返ししてやる!」
そう叫び、屋敷を飛び出していった。
その後、城の牢へ突入しようとして門番に取り押さえられ、自らも牢へ放り込まれることになる。
「厄介払いができてよかったです」
アンドルは淡々と言った。
エピナスチン伯爵は何とも言えない表情を浮かべていた。
その後、夫人は思いもよらぬ事実を暴露することになる。
だが、この時はまだ、誰もそのことを知る由もなかった。
この回で一番報われたのは、アレクシス付きの侍従さん。
長い間お疲れさまでした(笑)
お読みいただきありがとうございます




