本を読む少年
記憶の食い違いの謎が出てきます
リリアは再び、国王夫妻の通訳として復帰していた。
「しばらく離れていた間に、だいぶ言葉を忘れてしまっています」
そうぼやきながらも、再び勉強を始めている。
一方、国王夫妻も複雑な思いを抱えていた。
「侯爵家に不足があるわけではないが、王女として迎えるべきではないか?」
そんな話も出ていたのである。
だが、それを止めたのは王太子だった。
アレクに助言されたのである。
「亡き王弟殿下の不祥事が世間に明るみに出ます」
その言葉に、国王は王女として迎えることを断念した。
「あれもずいぶんひどいことをしたものだ……」
国王は深く嘆いた。
姪であることが判明したリリアは、以前にも増して国王夫妻にかわいがられるようになった。
「なぜ、あの娘だけあれほど国王夫妻にかわいがられるのだ?」
「王太子妃候補からは外れたのであろう?」
周囲は不思議がった。
それなのに、王太子もまた、何かとリリアを呼び出しては親しく接していた。
「私もアレクのように『兄』として信頼されたい」
王太子がそう言うたびに、アレクは
「はいはい」
と受け流していた。
朝の突撃こそなくなったが、何かあるとリリアは
「お兄様」
とアレクを頼る。
なぜか両親よりも話しやすいらしい。
ある日、たまたま侯爵家を訪れていたアンドルが昔話を持ち出した。
アレクとリリアが並んで本を読んでいて、うらやましかったという話である。
だが――
「それがなあ……私にはそんな記憶がないのだ」
「はあ?」
アンドルは目を見開いた。
「それに、そなたの話には矛盾がある。私はリリアが家に来るまで、その存在すら知らなかった。だから、そなたに『いとこだ』と言うはずがない」
さらにアレクは決定的なことを口にした。
「それに私は城で本など読まない。大切な本を持ち歩くわけがないし、あの子供部屋に本など置いてなかったはずだ」
アンドルは口をぱくぱくさせた。
「私は幻を見たのか?」
「いや、リリアにも同じ記憶があるらしい。いっしょに『騎士の本』を読んだと。ただ相手の顔は覚えていないそうだ」
「いったいどういうことなのだ?」
「わからない。そもそも私はあの場所が苦手で、ほとんど行っていないからな」
アレクは苦笑した。
結局、王太子にも話を聞くことになった。
「うーん。本を読んでいた少年か。記憶にないな。私はその頃まだ王太子ではなかったが、あの場にはいたはずだ」
しばらく考えた後、王太子が言った。
「今から行ってみるか。視察だ!」
こうしてリリアも呼ばれた。
城の子供部屋は確かに存在していた。
だが――
「なんだか違う気がします」
リリアが首を傾げる。
「私の記憶とも違う。もっと狭くて暗かった気がする」
「担当者を呼べ」
王太子が命じた。
書記官が当時の記録を持ってくる。
「エピナスチン伯爵子息も、プロムフェナク伯爵令嬢も、この部屋を利用した記録はありません」
「どういうことだ?」
「原則として、ここを利用できるのは侯爵家以上のお子様方です。伯爵家以下のお子様が招待されることはありません」
リリアとアンドルは絶句した。
「では、私たちが見た光景はいったい……」
「まあ、何かの思い違いかもしれぬぞ」
王太子がなだめる。
「そうだ。幼い頃の記憶など曖昧なものだ」
アレクも続けた。
結局、二人はそう思うことにした。
今さら過去を掘り返しても仕方がない。
「忘れます」
リリアが言った。
「私も記憶違いをしているのだろう」
アンドルも頷いた。
だが、アンドルには引っかかることがあった。
自分は実際にプロムフェナク伯爵邸へ行っているのである。
「誰と行ったか覚えていないのか? 一人では行くまい」
アレクに問われる。
「誰だったかな……。帰ったら昔からいる侍従に聞いてみるよ」
帰宅後、アンドルは執事に尋ねた。
「私は昔、他家の子供たちと交流していたことがあった気がするのだが」
「元奥様に連れられて、そのような場所へ行っていたという話を聞いた覚えがございます」
執事は答えた。
「私はプロムフェナク伯爵邸へ行ったことがあるはずだ。誰に付き添ってもらったのだろう?」
執事は使用人たちに確認してくれた。
すると、一人の従者が名乗り出る。
「私がお供いたしました」
「では、私がプロムフェナク伯爵邸へ行ったことは間違いないのだな?」
「はい。『いとこの女の子が来なくなって心配だから見に行きたい』とおっしゃいましたので」
「私は『いとこ』と言ったのか?」
アンドルは目を丸くした。
「はい。確かに『いとこの女の子』と」
その瞬間、アンドルははっとした。
「ああ……私は『アレクシスのいとこの女の子』と言ったつもりだったのかもしれない」
従者も考え込む。
「そのようにおっしゃったのかもしれません。しかし侯爵家に姪はいないと聞いておりましたので、私が勝手に奥様のご実家のお嬢様だと思い込んだのでしょう」
「そうか。何か思い出したら教えてくれ」
「承知いたしました」
アンドルは腕を組んだ。
なぜ自分はあの本を読んでいた少年をアレクだと思い込んだのだろう。
侯爵家嫡男アレクシスの本好きは当時から有名だった。
だから勝手に結び付けたのかもしれない。
だが――
「アレクシス」
と呼んだら返事をしたような気もする。
髪の色も瞳の色も同じだった。
「……もう考えるのはよそう。疲れる」
アンドルは考えることを放棄した。
◇ ◇ ◇
その頃、城の牢では、アンドルの母親に対する尋問が行われていた。
「なぜ、そこまでセリーヌをかばうのだ?」
「あの方は恩人なのでございます。昔、大変お世話になったのでございます」
「どういう風にだ?」
夫人は固く口を閉ざした。
何を聞かれても答えようとしない。
ついに尋問官は、拷問の専門家を呼ぶことにした。
「元は貴婦人だ。できれば穏便に済ませたいのだがな」
しかし、その後の尋問は苛烈を極めた。
夫人はすっかり怯えきり、やがて悲鳴のような声を上げた。
「言います! 言いますから!」
「結婚する前に産んだ子供を、セリーヌ様が養子に出す手配をしてくださったのでございます」
「ほう。不義の子というわけか。それは言えぬな」
「相手は亡き王弟殿下でございます! お断りなどできるはずがありません!」
その知らせは、すぐに国王の耳に入った。
夫人は縄を掛けられたまま、国王の前へ引き立てられる。
「その子供は今どこにいるのだ?」
国王が問いただした。
「侯爵家に養子として引き取られたと聞いております。アレクシス様がそうであると」
国王は全身の力が抜けるような気がした。
「そなた、本気でそう信じているのか? 普通に考えてみよ。年齢が合わぬであろう。そなたの息子アンドルとアレクシスは同い年だぞ」
「えっ……?」
夫人は絶句した。
「そ、そんなはずは……。私は時々、アレクシスと会っていました」
「侯爵家の嫡男殿を呼び捨てにするでない! そなたは罪人だ!」
取り調べ官が怒鳴る。
「本当でございます。教会で子供の集会がありまして、そこで何度も会いました。アンドルも、兄も、兄の娘も一緒でした。間違いありません」
国王の表情が険しくなる。
「実家はプロムフェナク伯爵家であったな……」
しばらく考え込んだ後、国王は手を振った。
「もうよい。牢へ戻せ。また何か思い出したら連れて来い」
夫人は再び牢へ連れて行かれた。
「本当の話だとしたら、その子はいくつになるのでしょうな」
側近が顔をしかめる。
「わからぬ。あやつは女性関係が派手だったからな」
国王は深くため息をついた。
「まさか、リリアーナ以外にもいたとは……」
側近も何も言えなかった。
その頃、セリーに対する尋問も続いていた。
その場しのぎの嘘は、もはや通用しない。
何度も矛盾を突かれ、追及され、ついに口を割った。
「本当に知らないのよ! 伯爵夫妻が死んだ時には、もういなくなっていたの!」
「その前はどうしていた?」
「娼館に預けていたわ。伯爵夫人と娘は売り飛ばす予定だったのに、事故で死んでしまったのよ。大損だったわ!」
その言葉に、尋問官たちは顔を見合わせた。
「その娼館はどこだ?」
セリーはしばらく抵抗したが、やがて場所を白状した。
下町にあるその娼館には、没落した貴族の夫人や娘たちが集められていた。
その証言をもとに、娼館の主人夫妻は逮捕された。
さらに捜査が進み、セリーの犯した罪が次々と明らかになっていく。
裕福な家族に取り入り、ありもしない投資話を持ちかける。
財産をつぎ込ませ、借金を負わせ、屋敷を抵当に入れさせる。
娘がいれば抵当に取り、逆らう者には事故を装って始末する。
その手口はあまりにも悪質だった。
侯爵も、アレクも、王太子も、アンドルも、その内容をリリアに伝えることはできなかった。
娼館は閉鎖され、多くの女性たちが自由の身となった。
主人夫妻は牢へ送られた。
そしてセリーは、特に悪質と判断された。
処刑も検討されたが、余罪があまりにも多く、今後も証言が必要になる可能性がある。
そのため、一生地下牢で過ごすこととなった。
また、娘になりすましていた少女は、自らの過ちを認めたため、城の下級侍女として働くことになった。
決して楽な仕事ではない。
だが、それが彼女に与えられた償いだった。
逃げ出すことなど、不可能だった。
まさかの別の婚外子発覚。国王陛下の胸中は複雑でありましょう
読んでいただきありがとうございます




