アレクシスを名乗った少年
リリアの封印された記憶が蘇る回です
リリアーナには、もう関係のない話であった――はずだった。
リリアは例の本に詳しい護衛を連れて、本屋に来ていた。
その護衛は本当に本に詳しい。
「護衛よりも、執事さんのお手伝いの方が向いているのでは?」
リリアが笑う。
「いえ、護衛の方が向いております。手荒なこともずいぶんしてまいりました。前侯爵様に救っていただかなければ、今頃どうなっていたかわかりません」
「おじい様ね」
「そうでございます。お嬢様に勉強を教えるようにと、本をたくさん与えてくださいました。おかげで、こうして侯爵家のお役に立てています。リリア様のお側にもいられます」
そう言われて、リリアはいろいろなことを思い出していた。
辛い記憶にかけていた蓋が、少しずつ開いてきていたのである。
「今はレオンね。すっかり騎士として我が家の一員になっているわ。私以外に顔を知る人もいないのだから安心して。決してあなたのことは言わないから」
「ありがたく存じます」
その護衛は、かつて「バクラス」と呼ばれていた少年だった。
城だと言われて連れて行かれていた場所も、実際は大きな教会の一室だった。
そこは町の富豪の子供や貴族の子供たちが集まる場所だったのである。
そこで彼は、元夫人を欺くために「アレクシス」と名乗らされていた。
アンドルが勘違いしたのも、そのせいだった。
当時のバクラスは、伯爵夫妻が逃亡する直前、リリアを連れ出した。
そして何とか侯爵邸まで連れて行き、玄関の前に立たせたのである。
その後、自らは姿を消した。
だが、しばらくして侯爵家に潜り込み、ずっとリリアを見守ってきたのだった。
「レオンって、本当に教養があるわよね」
「亡き侯爵様のおかげでございます。私は物心ついた頃から娼館の下働きをしておりました。
そこへ侯爵様が時折現れては、本を与えてくださったのです。
娼婦の中には元は身分の高い方もおられましたので、いろいろ教わることもできました」
レオンは少し懐かしそうな顔をした。
「時々セリーがやって来て、教会の子供部屋で本を渡し、『アレクシスという名を名乗れ』と命じました。
ちょうどリリア様と知り合った頃でございます」
「そうだったのね……」
「ある日、セリーが『自分の息子だ』と言って、私を連れて行った先がリリア様のおられる屋敷でした。本当に驚きました」
レオンは苦笑する。
「私はセリーの息子ではありません。
アレクシス様とどことなく似ているから、偽物に仕立て上げられただけです」
「そのうち、お父様にちゃんと話しましょう。レオンだって被害者だもの」
「そうなれる日が来るとよいのですが……」
レオンは静かに言った。
「レオンは私にたくさん勉強を教えてくれたわ。おかげで今の私があるのだから」
「ありがたき幸せでございます。
ただ……幼い頃から娼館で育った私は、男女のことをあまりにも早く教え過ぎてしまいました。
皆があれほど驚くとは思いませんでした」
「悪気があったわけじゃないでしょう?
いつかは知ることなのだから。むしろ小さかったから受け入れられたのかもしれないわ」
レオンはほっとしたように笑った。
「そう言っていただけると気が楽になります。
では、お屋敷へ戻りましょう」
二人は並んで侯爵邸へ帰って行った。
一方その頃。
アンドルの従者は、何か大事なことを忘れている気がしていた。
思い出そうとしても、どうしても出てこない。
そんな時だった。
城でアンドルに付き添い、王太子とアレクシスを見た瞬間――
「思い出しました!」
従者が突然叫んだ。
「そなた、急にどうした。殿下の御前であるぞ」
アンドルが慌てる。
「失礼いたしました。しかし、お二人のお顔を拝見して記憶がよみがえったのでございます」
従者は深く頭を下げた。
「何の話だ? ここで話せる話なら申してみよ」
王太子が言う。
「大変失礼な話になるかもしれませんが……」
「構わぬ」
従者は意を決して口を開いた。
「昔、元奥様のご実家へお供した時の話でございます。
私はその時、元奥様にお尋ねいたしました。
『アレクシス様のいとこ殿とは、どなたでございますか?』と」
三人が顔を見合わせる。
「すると元奥様は、『自分の実家にいる娘』だとおっしゃいました」
「まあ、実家の娘ならそうではあるが……」
アンドルが首をかしげる。
「はい。しかし私は不思議に思ったのです。
なぜアレクシス様のいとこと、アンドル様のいとこが同じ人物なのか、と」
三人の表情が真剣になる。
「そして私は、プロムフェナク伯爵邸でその少女を見ました。
その傍らには少年がおりました。
その少年が、私の知るアレクシス様によく似ていたのでございます」
「私だと?」
アレクが目を丸くする。
「いいえ。教会でアレクシス様を名乗り、本を読んでいた少年です」
その場が静まり返った。
「その話のどこが無礼なのだ?」
王太子が問う。
従者はさらに頭を下げた。
「大変恐れ多いことですが……その少年は、王太子殿下にもよく似ておられたのでございます」
「はああああ???」
三人の声が見事に揃った。
「他人の空似かもしれません。
ですが、顔立ちだけではなく、雰囲気まで似ておりました」
従者はそう言って跪いたまま動かなかった。
「この者は、一度見た顔を忘れません」
アンドルが説明する。
「セリーを見抜いたのも、この者です」
王太子とアレクは顔を見合わせた。
「そして、もう一人、似た顔を私は存じております」
従者の目が光った。
「誰だ?」
三人の視線が、一斉に従者へ向けられた。
◇ ◇ ◇
「侯爵家の護衛の一人でございます。名前までは存じ上げません。しかし、その時の少年ではないかと思うのです。
侯爵家へ伺った際にお見かけして、『どこかで見た顔だ』と気になっておりました。そして、本日、殿下のお顔を拝見して思い出したのでございます」
「うちの護衛だと?」
アレクの目が大きく見開かれる。
「侯爵家へ向かう! 準備をせよ!」
「はっ!」
王太子の周囲が慌ただしく動き始めた。
「バクラスが我が家にいたというのか……?」
アレクの顔色がみるみる青ざめる。
「まだ決まったわけではない。落ち着け」
アンドルが肩を叩いた。
「さあ、そなたも来るのだ」
アンドルに促され、アレクは自ら馬に飛び乗った。
侯爵邸に着くなり、アレクは執事に命じる。
「王太子殿下とアンドル殿がまもなく到着する。迎えの準備を頼む」
そして、さらに続けた。
「騎士団長。非番の者も含め、騎士を全員集めてくれ」
「どうなさいましたか?」
騎士団長が不思議そうな顔をする。
「理由は後で話す。王太子殿下が騎士たちにお会いになりたいそうだ」
そう言われれば従うしかない。
騎士団長は急ぎ招集をかけた。
しばらくして、王太子を乗せた馬車が到着する。
アンドルと侍従も後に続いた。
侯爵家の騎士たちは整列し、一斉に跪く。
「さすが侯爵家の騎士たちだ。顔を上げてくれ」
王太子の声に従い、騎士たちが顔を上げた。
その間、侍従は一人ひとりの顔を注意深く見て回る。
誰もその様子には気付かなかった。
皆の視線は王太子へ向いていたからだ。
やがて侍従の目が、一人の騎士に止まった。
「あの者でございます」
小声でアレクに告げる。
「後方左端にいる騎士です」
アレクはその方向を見た。
「あれはレオンだ。幼い頃から我が家にいる。忠義に厚い、信頼できる騎士だ」
だが、その顔色は変わっていた。
「冷静になれ」
今度はアンドルが囁く。
「身元を証明する書類があるだろう。まずはそれを確認するのだ」
アレクは小さくうなずいた。
その後、王太子は騎士たちに向かって言う。
「突然集まってもらい申し訳なかった。ぜひ侯爵家の騎士たちの姿を見てみたかったのだ。私のわがままに付き合わせてしまったな」
「ありがたき幸せでございます」
騎士団長の声に続き、騎士たちは持ち場へ戻っていった。
王太子たちは応接室へ通される。
アレクは執事に命じた。
「レオンの身元証明書を持ってきてくれ」
その瞬間だった。
執事の顔色がわずかに変わる。
アレクはそれを見逃さなかった。
「何を知っている?」
鋭い声が飛ぶ。
「い、いえ……何もございません。ただ今お持ちいたします」
執事は深く頭を下げた。
しばらくして、書類が盆に載せられて運ばれてくる。
王太子が目を通した。
「書類自体は正式なものだな。しかし……」
王太子の視線が止まる。
「身元保証人の欄に、前侯爵の名前がある」
執事の額に汗がにじんだ。
「何を隠しているのだ?」
アレクの声が低くなる。
「お許しください……私からは何も申し上げられません」
執事は目を閉じた。
その様子を見た王太子は静かに立ち上がる。
「なるほど」
そして苦笑した。
「これは王家が立ち入る話ではなさそうだ」
アレクと執事を見た。
「後は任せる。結果だけ知らせてくれ」
そう言い残し、王太子とアンドルは侯爵邸を後にした。
その晩。
事情を聞いた侯爵は、アレクとともにレオンを呼び出した。
「そなた、プロムフェナク伯爵邸へ行ったことはあるか?」
侯爵が静かに問う。
レオンはしばらく黙っていた。
やがて決意したように顔を上げる。
「はい。ございます」
「では、そなたはバクラスと名乗っていたのだな?」
アレクの問いに、レオンは唇を噛みしめた。
「その通りでございます」
そして、その場に跪いた。
チャッピー曰く 王太子とアレクシスが「問題児リリア対策本部」みたいになっています
表現ぴったりで吹きました。
およみいただきありがとうございます




