雨の日の告白
リリアの過去がわかります
少女は頭脳明晰だった。
他国の言語もすらすらと読みこなし、領地経営に関する知識も豊富である。
計算も得意で、さまざまな分野の知識を身につけていた。
「こんなに頭のいい令嬢がいたのに、なぜ伯爵家は没落したんだ?」
ある日、アレクがリリアにつぶやいた。
「父がお人よしすぎたのです。母もです。
人に親切にするのはよいことですが、言いなりになるのは違います」
リリアは遠い目をして答えた。
「私は『貴族令嬢』という肩書きに頼らず、自分自身の力で生きていきたいのです。
そのために勉強し、騎士を目指しています。
旦那様と奥様の恩に報いるためにも、頑張りたいのです」
その話はアレクから侯爵夫妻にも伝えられた。
「それは……伯爵家の内情を調べた方がよさそうだな。
何かあるやもしれぬ」
侯爵がつぶやく。
「ええ。いくら何でも没落が早すぎます。
あのお二人が贅沢をするような方には見えませんでした」
執事も同意した。
「事業に失敗したとは聞いておりますわ」
侯爵夫人が言う。
侯爵は人を雇って調べさせたが、詳しいことはわからなかった。
判明したのは、伯爵夫妻が亡くなる直前、多額の借金を抱えていたという事実だけだった。
後日、リリアーナが呼ばれた。
侯爵と執事が事情を尋ねる。
「旦那様には何もお話しできません。お許しください」
そう言うと、リリアはうつむいたまま黙り込んでしまった。
「なぜ、そこまで頑ななのだ?
伯父である私が信じられないのか?」
侯爵は静かに問いかける。
「せめて『旦那様』ではなく『伯父様』と呼んでくれぬか。
妹の結婚に反対したのは私のわがままだ。
かわいい妹を他の男に取られるのが嫌だっただけなのだ。
そなたの父親に問題があったわけではない」
侯爵はリリアの前に腰を下ろし、目線を合わせながら優しく諭した。
しかし、リリアは首を縦に振らなかった。
「ここに置いていただけるだけで十分でございます。
お願いです。
今まで通り、この家に置いてくださるだけで十分なのです。
どうしても身内になれとおっしゃるのであれば、私はここを出ていきます」
きっぱりと言い切る。
「なぜなのだ?」
「絶対に言えません」
リリアの目から涙がこぼれ落ちた。
執事がそっと侯爵に耳打ちする。
「もう少し時間をかけましょう。
よほど深い理由があるように思えます」
侯爵は肩を落とした。
「わかった。
もう少し時間をかけよう。
令嬢としての教養や常識は十分身についている。
今後はその才能を伸ばすことに力を注ごう」
そしてリリアに向き直る。
「リリアーナ、わかった。
私はそなたにこの家にいてほしい。
好きにするといい」
その言葉に、リリアの瞳が潤んだ。
「ありがとうございます」
それからもリリアーナは、アレクに言語を教え、筆頭侍女並みに働き、執事の仕事を手伝いながら、騎士の訓練にも参加した。
ある日、アレクがとうとう音を上げた。
「なあ、リリアーナ。
そろそろ休憩してくれないか?」
「働きすぎなのだ。
立派なことだとは思う。
だが、そなたが働きすぎると、周囲が怠けているように見えてしまう。
皆が皆、そなたのように丈夫なわけではない。
努力しているのはよくわかる。
だからこそ、少しは周りとの兼ね合いも考えてくれ」
リリアは目を丸くした。
「えっ?
伯爵家では毎日これ以上のことをしておりました。
休んでもよろしいのですか?」
今度はアレクの目が見開かれた。
「いったいどんな生活をしていたんだ?
私に話しなさい」
リリアは少し考えてから話し始めた。
「朝起きたら食事の支度をして、セリー様とバクラス様、それから両親に給仕をします。
残り物を食べた後は屋敷中の掃除です。
昼食の支度と給仕をして、また残り物を食べます。
その後は領内の用事を片付けたり買い物へ行ったりして、夕食の支度をします。
給仕と片付けが終わってから、ようやく勉強です。
でも、本を読んでいると怒られるので、仕事をしているふりをしてこっそり読んでいました。
それで――」
「もういい!」
アレクは慌てて止めた。
「執事や侍女は何をしていたのだ?」
「セリー様が贅沢をなさるので、お給料が払えなくなりました。
そのため皆さん辞めてしまわれました」
アレクは眉をひそめた。
「そのセリーとバクラスというのは誰なのだ?」
リリアの表情が固まった。
しまった、と顔に書いてある。
そして、そっと目を逸らした。
「言いなさい」
アレクの目が鋭くなる。
しかし、リリアは何も答えなかった。
「言わないと、本を見せないぞ!」
本当はそんなことを言いたくなかった。
だが、これは聞かなければならないと思った。
リリアの目から涙があふれる。
「お許しください。
言えません」
そう言って、その場に座り込んでしまった。
「なあ、僕たちはいとこなんだ。
血がつながっている。
もっと信じてくれよ」
アレクは必死に諭した。
しかし、リリアは首を振りながら泣き出した。
「違うのです!
本当は違うのです!」
叫ぶように言うと立ち上がり、自室へ駆け込んだ。
わずかな私物をぼろぼろの鞄へ詰め込む。
「私は嘘をついていました。
本当は伯爵令嬢ではございません。
もうこれ以上、ご家族を騙すことはできません」
そう叫ぶと、リリアは屋敷を飛び出した。
外では冷たい雨が降っていた。
「追いかけろ! 必ず連れ戻せ!」
門番をしていた騎士たちに向かって、アレクシスが叫ぶ。
リリアの足は速かった。
だが、若い男性騎士たちには敵わない。
あっという間に追いつかれ、そのまま肩に担ぎ上げられてしまった。
「お願いです。逃がしてください。
私なんて、いない方がいいのです」
リリアは必死に訴える。
しかし騎士は首を横に振った。
「あなた様は、もうこの家になくてはならない存在なのです。
逃がすわけにはまいりません」
リリアは暴れたが、鍛えられた騎士の腕から逃れることはできなかった。
そうして屋敷へ連れ戻される。
侍女たちに風呂へ入れられ、温かい服に着替えさせられ、髪を整えられた後、侯爵夫妻のもとへ連れて行かれた。
「今度こそ事情を話してもらえるな?」
侯爵は優しく問いかけた。
侯爵夫人はリリアを抱きしめたまま離そうとしない。
「もう絶対に離しませんからね」
アレクもまた、リリアを心配そうに見つめていた。
「そなたは何かおかしなことを吹き込まれている気がするのだ」
侯爵が口を開く。
「伯爵令嬢ではないと言ったそうだが、どういうことなのだ?」
リリアはうつむいた。
「セリー様がおっしゃったのです。
私は、お母様とセリー様の旦那様との間に生まれた子供だと……」
「そのセリー様って誰だよ?」
アレクが首をかしげる。
「ある日、突然現れた女性です。
父の正妻だと名乗っておりました」
「待て」
侯爵が目を見開いた。
「伯爵の正妻だと?
意味がまったくわからん」
「父が若い頃、酒に酔った勢いで関係を持ち、その時に婚姻届も出していたのだと聞きました。
母との結婚より前だったと……」
「執事。城へ行って記録を調べてくれ」
「かしこまりました」
執事はすぐに部屋を出て行った。
侯爵は再びリリアへ向き直る。
「つまり、妹がその女性の夫との間に子をもうけ、その子がそなただというのか?」
「はい」
リリアは小さくうなずいた。
「先に母が夫を奪ったのだから、自分は奪い返しただけだと……。
母は最初、そんな覚えはないと否定していました。
ですが、何度も何度も言われ続けるうちに疲れてしまったのでしょう。
最後には何も言わなくなりました」
リリアの声は震えていた。
「そしてセリー様は、自分が伯爵家の正統な夫人であり、バクラス様こそが正統な嫡男だとおっしゃいました。
私は伯爵の娘ではないのだから、侍女として置いてやる。
嫌なら出て行けと……」
侯爵夫妻の表情が険しくなる。
「父は何も言いませんでした。
そのため、実質的にはセリー様が伯爵家を仕切るようになりました。
そして、おかしな投資話に引っかかり……。
伯爵家が莫大な借金を背負った途端、セリーは姿を消してしまったのです」
部屋に重い沈黙が落ちた。
「妹は、なぜ私に相談してくれなかったのだ……」
侯爵が苦しそうにつぶやく。
リリアは静かに答えた。
「兄は結婚に反対してくれたのに、結局その通りになってしまった。
今さら合わせる顔がないと申しておりました」
「なんということだ……」
侯爵は目を閉じ、大きくため息をついた。
リリアは床へ膝をつく。
「両親の恥になる話ですので、自分の胸の内にしまっておこうと思っておりました。
ですが、私のせいで皆様が迷惑していると聞いて……。
もうここにいてはいけないと思ったのです」
そう言って深く頭を下げる。
「どうか、この話はここだけの話にしてくださいませ。
そして、このような伯爵家の内情を暴露した私には、令嬢を名乗る資格などございません。
できましたら、次の奉公先をご紹介いただけますと助かります」
侯爵夫人が思わず手を緩めた隙に、リリアはその腕から抜け出していた。
額が床につきそうなほど深く頭を下げる。
その姿を見て、アレクがぽつりと言った。
「それってさ……詐欺だよ」
全員の視線が集まる。
「そうやって貴族を騙す人間がいるんだ。
どうしてそんな話を信じるかなあ」
リリアは困ったように笑った。
「私も最初はそう思っていました。
ですが父が信じてしまい、母も言いくるめられてしまって……。
毎日言われ続けるうちに、本当なのではないかと思い込んでしまったのです」
侯爵夫人が再びリリアを抱きしめる。
「あなたは何も悪くありません。
悪いのは騙した方です。
善良な人ほど騙されやすいものなのですよ」
優しく髪をなでる。
「本来であれば、伯爵が対処しなければならなかった問題です。
あの方は人が良すぎたのでしょう」
リリアは目を伏せた。
「そうかもしれません。
でも、私は父を愚かな人だとは思いたくありません」
「騙されることは愚かなことではない」
侯爵が力強く言った。
「悪いのは騙す方だ。
これは極めて悪質な詐欺だ。
国王陛下にも報告し、その親子の行方を捜索させる」
そして少し表情を和らげる。
「この話は他言しない。
だから安心しなさい。
だが、同じような被害者が出るかもしれない。
そのためにも二人は探さねばならぬ」
侯爵はリリアを見つめた。
「それまで、そなたは休みなさい。
今まで働きすぎた。
倒れなかったのが不思議なくらいだ」
侯爵夫人が立ち上がる。
「さあ、お部屋へ行きましょう。
私もあなたと本を読みたいわ。
アレクもいらっしゃい」
「はい、母上」
三人の後ろを侍女たちが続いていく。
しばらくして、執事が城から戻ってきた。
「城の記録を確認いたしました。
伯爵家の婚姻記録が書き換えられた形跡はございません」
侯爵は静かにうなずく。
「やはりな」
そう言って立ち上がった。
「私は国王陛下へ報告してくる。
なるべく早く戻るが、リリアーナのことを頼む」
「かしこまりました。
皆にも注意を払うよう申し伝えておきます」
侯爵は窓の外を見る。
雨はまだ降り続いていた。
「騎士がちゃんと捕まえてくれてよかった。
アレクシスのおかげだな」
そう言い残し、侯爵は王城へ向かったのだった。
お読みいただきありがとうございます




