「産んでくださり、ありがとうございます」
前回の続きです
夫人が眠る部屋へ、レオン、アンドル、ジャンヌの三人は通された。
「アンドルと、今はプロムフェナク侯爵となった、そなたが結婚前に産んだ息子だ。見舞いに来てくれたよ」
エピナスチン伯爵が静かに声をかける。
夫人はゆっくりと目を開き、三人の顔を順番に見つめた。
「来てくれて……ありがとう……」
そう言うと、ぽろぽろと涙をこぼした。
ジャンヌが一歩前へ出る。
「レオン様の妻、ジャンヌでございます」
その瞬間、夫人の目が大きく見開かれた。
「その頬の傷は……どうしたのです? まさか、剣で脅されたのでは……」
「いいえ……物心ついた時には、もうありました」
ジャンヌはとっさに答えた。
本当のことは言わなかった。
「そう……」
夫人は震える手で顔を覆った。
「お嬢さんの顔に傷をつけるなんて……。でも、親御さんも苦しかったのでしょうね。自分の産んだ子に……」
そう言って、静かに泣き始めた。
しばらくして、夫人はぽつりぽつりと語り始めた。
「昔……ある男に無理やり部屋へ連れ込まれました。
剣で脅されて、『顔に傷をつけられるか、自分と関係を持つか選べ』と言われたのです。
私は……後者を選んでしまいました」
部屋が静まり返る。
「その男は『妻にしてやる』と言いました。
でも、それが嘘だということくらい、わかっていました。
それでも逆らえなかった。
そして私は子供を身ごもり……捨てられました」
夫人は目を閉じた。
「途方に暮れていた時、セリーという女性が現れました。
『生まれた子は、ちゃんとした家へ養子に出す』
そう言われて……私は信じてしまったのです」
涙が頬を伝う。
「セリーに従ってしまったのは、過去を知られたくなかったから。
婚約者だった夫にも、息子にも……何も知られたくなかった。
本当は婚約を破棄するべきだったのでしょう。
でも私は、この人を愛していました。
どうしても、いっしょになりたかったのです」
夫人は夫の手を握った。
「あなた……本当にごめんなさい」
伯爵もまた、その手を強く握り返した。
そして夫人はアンドルを見る。
「アンドル。
私はあなたの母になる資格などないと思っていました。
こんな女なのですもの。
優しくすれば、あなたは私を慕ってくれる。
そんなこと、私には許せなかった」
苦しそうに息を吐く。
「でも、それは私のエゴでした。
許してほしいとは言いません。
ただ後悔しています。
自分のことばかり考えて、あなたの気持ちを考えてあげられませんでした」
そう言ってジャンヌの頬にそっと触れる。
「私も……顔に傷をつけられても、断ればよかった。
その勇気があればよかったのに……」
夫人はレオンへ視線を向けた。
「レオン様。
どうか、この奥様を大切になさってください。
この方は、昔の私が捨ててしまったもう一人の自分のような気がするのです」
そう言うと、夫人は静かに目を閉じた。
アンドルは呆然と立ち尽くした。
レオンはゆっくりと歩み寄り、夫人の耳元でそっと囁く。
「産んでくださり、ありがとうございました」
夫人の口元が、かすかに微笑んだように見えた。
数日後、夫人は息を引き取った。
その顔は、とても穏やかだった。
葬儀は静かに執り行われた。
その後、エピナスチン伯爵はアンドルに言った。
「母上は亡くなった。
戻ってきてはくれないか」
アンドルは答えられなかった。
「私はずっと、母上を冷たい人だと思っていました。
父上に離縁まで勧めました。
そんな私に、戻ってこいと言うのですか」
声が震える。
「自分を責めるな」
伯爵は静かに言った。
「あの時は仕方がなかった。
誰にでも、どうしようもない時はある」
アンドルは涙をこらえながら尋ねた。
「父上は……母上が出産したことをご存じだったのですか」
伯爵は首を横に振った。
「知らなかった。
だが、知っていたら相手のところへ乗り込んでいただろうな。
そして、おそらく私の方が罰せられていた。
私ごときが敵う相手ではなかった」
アンドルは拳を握り締めた。
「私は亡くなった王弟が憎い。
本当に憎い」
その場に崩れ落ち、泣き出した。
レオンは黙って見守った。
やがてアンドルが落ち着いた頃、レオンが口を開く。
「もう伯爵家へ戻るがいい。
荷物は後で届けさせる。
父上と共に伯爵家を大きくするのだ。
二度と権力に踏みにじられぬほどにな」
葬儀にはアレクとリリアも参列していた。
ジャンヌから話を聞いていたのである。
「全然悪い方ではなかったわ。
頬の傷を嫌がるどころか、心配してくださった。
『お義母さま』と呼びたかった」
ジャンヌは涙を流した。
「私も親を憎んでいました。
でも、もしかしたら事情があったのかもしれないと思えるようになりました。
憎しみは何も生みませんね」
その言葉に、リリアは遠くを見る。
「私の母も……同じだったのかもしれません。
無理やり子供を産まされて、心が壊れてしまったのかも……」
アレクが静かに言った。
「過去は変えられない。
ならば、少しでも良い方向に考えた方が、自分のためだ」
レオンもうなずく。
「我々が考えるべきなのは過去ではない。
未来だ」
その言葉に、リリアも静かにうなずいた。
書きながら、「そうは言っても実際はなあ」というのが作者の本音
それでも、自分も未来を考えて余生を過ごしたいと思っております
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