さやなら大丈夫
「——シリルさん、大丈夫ですか?」
ヒルダの声がようやく耳に入ったシリルは我に返った。どうやら食事中に考え込んでしまったらしい。顔を上げるとヒルダが心配そうに見ていた。
「——やっぱりサヤの事が気になりますか? 一人で伯爵様の相手をするんじゃ、心配ですよね」
そう尋ねるヒルダにシリルは首を振った。
「そうではありません。あの方の判断力があれば、さしてまずい事態にはならないでしょう。ただ——」
「ただ?」
シリルはヒルダに言おうか少し迷ったが、やはり相談する事にした。冷静さと判断力を取り戻した今では、ヒルダは今後サヤを補佐していくに当たり貴重な相談相手になると思っている。
シリルはヒルダに闇祓いの情報は伏せた上で、自分の物思いについて説明した。
「——今回あの方は歳に合わぬ無理をされているのではないかと、私は思っておりまして」
サヤは一人で伯爵の心を把握しに向かった。その意思は固いと判断したシリルは最終的に止めなかったのだが、今になって思うのだ。
闇に憑かれた伯爵の心を覗くなどという行為は、あの年頃の少女にはあまりにも背負うものが重過ぎるのではないかと。
自分は、もっと強く止めるべきだったのではないだろうか。
ヒルダはシリルの言葉を聞いて少し考えていたが、やがてキッパリと言った。
「あたしは今のサヤがそんなに無理をしているとは思いませんね。ちゃんと自分の出来る範囲で動いていますよ、あの子は」
「——そうなのですか?」
「ええ」
ヒルダは迷いの無い顔でうなずいた。
「確かにあたしもあの子に会ったばかりの時は、そりゃ心配しましたよ。あんな若い身空で何もかも忘れちまったのならさぞ心細いだろうに、いつも無理をして大丈夫なのかって。でもね、サヤを見ているうちに、何だか心配するのが馬鹿らしくなっちまったんですよ」
「馬鹿らしく、ですか」
怪訝な顔をするシリルに、ヒルダは何かを思い出すような笑みを浮かべながら言った。
「ええ。いつも呑気に笑っていて、何があってもあっけらかんとした顔で前向いて生きている。むしろあの頃すっかり気が滅入っていたあたしの方が気遣われる事が多くてねえ。最初は年上なのに申し訳ないな、て思ってたけど、そのうち分かりましたよ。ああ、この子なら少なくとも今は大丈夫だって」
「…………」
「だからシリルさんもそんなに心配しなくても大丈夫ですよ。サヤの歳頃の娘には普通は無理な事かもしれないけど、サヤにしてみたら無理じゃないんですよ、きっと。あたしには事情は分かりませんけど、シリルさんも少なくともサヤなら大丈夫だと思って行かせたんじゃないですか? なら行かせたのは間違いじゃありませんよ。あの子にとっては大丈夫だったんです。そりゃサヤにだって助けは要りますよ。だからと言って、まだ歳が若いからって理由で気遣う必要は無いですよ。シリルさんが見て、助けが必要だと思う時にサヤを助けてやれば、良いと思いますよ」
ヒルダに言われてシリルは気付いた。
自分を気遣うサヤも呑気そうだったと。そしてそんなサヤを見る事で、自分も安心出来ていた。
安心出来たのは、サヤに無理を感じなかったからだ。
「——確かにそうかもしれませんね。分かりました。私は腰を据えて待つことにします」
シリルは笑った。やっぱりそれなりに付き合いのある者の意見は頼りになる。
ヒルダがいてくれて良かったと、シリルはしみじみと思った。
夜遅くになって帰って来たサヤをシリルは部屋の前で出迎えた。
「お疲れさまでした。目的は、果たせましたか?」
「——まあね」
肩をすくめてそれだけ答えると、サヤはシリルと共にシリルの部屋に入った。
明日の闇祓いの打ち合わせをする為だ。
闇がある場所と規模、その特徴などについてシリルが説明する事にうなずきながらもサヤの顔は悲し気で、目は陰りを帯びていた。
その顔を見れば知りたい情報は手に入れた事も、その際伯爵に相当の感情をぶつけられたであろう事も大体察せられた。
他者の不可侵領域に赤の他人の身で踏み入った事に対する疚しさが、今サヤに圧し掛かっているのだろう。
それでも。
(何も言わないのだな、この方は)
どれだけ罪悪感に苛まれているか、ガーディアンである自分に打ち明ければ少しは疚しさも紛れるだろうに。
そうすればシリルだって、サヤの罪悪感が紛れる慰めの言葉をかけてやれるのだが。
しかしサヤは一言も、素振りですら助けを求めない。
助けを求める事で、自分が負うべき罪悪感を和らげる事を許せないのだろう。
せめて罪悪感に苛まれる事が、他者の心に土足で踏み込む際に負うべき代償だと考えているに違いない。
だってサヤは言っていたではないか。卑怯な真似はしたくないと。
そんな代償は、本来ならサヤぐらいの少女に負わせるべきでは無いのだろう。
サヤが望まなくともシリルの方から、あなたはヒーラーとしてやるべき事をしただけだ、気に病む必要など無いと言ってやるべきなのだ。
普通なら。
だけど。
〝サヤにしてみたら無理じゃないんですよ。シリルさんが見て、必要だと思ったら助けてやれば良いんじゃないですか〟
シリルは説明を続けながら、サヤの浮かぬ顔にはそ知らぬ振りをした。
そうしながら、サヤの様子を注意深く見ていた。
するとしばらくして、それまで陰っていたサヤの目に強い光が宿った。悲し気な表情は消え、代わりに強い意志が感じられる。
恐らく見据えるのは明日の闇祓い。
背負う罪悪感を、挑む心に変えたのだ。
その様子を見てシリルは心から確信出来た。大丈夫、サヤなら無理じゃないと。
明日も20時頃更新の予定です。
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