足掻きと出会い
そうだ、自分は、あの少女に約束したではないか。転生したら自分がその役目を受け継ぐと。
あの少女があれだけやったのだ。啖呵を切った自分があっさり諦めてどうする!
さやは歯を食いしばると手足に力を籠め、苦心の末に何とか身体を起こした。
だが足裏を熱砂に付けた途端に激痛が襲う。たまらず倒れ込んだ。
苦痛に喘ぎながらもさやは再び起き上がり、今度は両肘と膝を地に付けた。少女の衣服は短衣に膝下までのスカートなので、気を付ければなんとか熱砂に触れずに済む。
スカートがめくれぬよう気を付けながら、さやは肘と膝を使い砂漠を這って進んだ。もちろん進める距離はほんの僅かだ。それでもさやは動きを止めなかった。
少女との約束を何としても守る。その決意と意気だけで、さやはとっくに限界を越えた身体を動かしていた。目はかすんで何も見えない。自分が果たして少女が目指していた人間の国へ向かっているのかも、もちろん分からない。
それでもさやは進み続けた。遂に肘も膝も動かなくなり、今度は顎を使ってさやが進もうとした時。
誰かがさやを抱きかかえた。
「ちょっとあんた! 大丈夫⁉ しっかりおし!」
「う……」
目を開けると中年の女が心配そうにのぞき込んでいた。
「大丈夫かい? 何かして欲しい事はある?」
「…………水」
「ああ、そうだろうねえ。悪いがもう少し辛抱しておくれ。あ、ちょっと苦しいだろうが、勘弁してね」
そう言うと女はさやをよっこらしょっと背負いあげた。そして砂漠をザッザッと歩いて行く。
(助かった…………)
押し寄せた安堵に身を任せ、さやは意識を失った。
さやは長い夢を見ていた。自分が転生した少女の一生を。砂漠で少女の記憶に襲われた時はただパニックになるだけだったが、今は映画でも見るような心地で少女の生活を経験している。
少女の名はヨルン。
エルフの国でのヨルンの扱いは酷いものだった。一応王族の一員とはなっているものの、親族はおろか家来や召使いにまで嫌われ見下されていた。
何故ならヨルンはエルフの王女と人間の間に生まれた娘で、エルフは人間を酷く憎んでいたからだ。
食事の時に一人だけ何も用意されないことなど珍しくはなく、衣服や身の回りの必要な品もロクに与えられなかった。
当然宴席でも晴れ着や御馳走が用意される訳ではなく、かといって欠席は許されず、みすぼらしい恰好のまま会場で立ちすくむしか無い姿を皆は嘲笑った。
唯一守ってくれるはずの母親は新しい家族だけを構い、ヨルンの事は一切顧みない。
いや、顧みる事が許されなかった。何故なら王女の夫のヨルンに対する憎しみが凄まじかったからだ。
王女の夫はエルフの国の宰相で、国の実権はこの男が握っていた。ヨルンの母が少しでもヨルンに構う素振りを見せれば、それこそヨルンは更にひどい仕打ちを受けていたであろうことは明らかだった。
そして宰相の憎しみを止める者など、誰もいなかった。むしろ殆どの王族が賛同していたのだ。
王女から引き離され投獄されていたヨルンの父親は、ヨルンが幼い頃にヨルンの目の前で殺された。それも宰相の指図だった。
それでも母親がいる間はかろうじてエルフの国に留まることを許されていたのだが、母親が死ぬとやはり彼女を憎んでいる父親違いの弟との確執が深刻になり、争いを避ける為としてヨルンはエルフの国を追われた。
それも本来であればヨルンは人間の世界へ送り出される筈だったらしいのを、王宮を騒がせた罪を問うという名目で追放処分にしたのだ。
しかも装備品どころか靴すら与えずに砂漠へ放り出したのだから、事実上の処刑だろう。むしろひと思いに殺すより残酷な刑罰だ。
そうしたヨルンの体験を、さやはヨルンの目と耳を借りて体験した。砂漠を彷徨い、遂に倒れるまで。
最後に雲一つ無い鮮やかな青い空を見ている時、不意にヨルンの母である王女が目の前に現れた。どうやらヨルンの記憶が少し巻き戻されたらしい。
王女はヨルンに自分が身に着けていたペンダントを渡し、こう言った。
「人間の世界へ行きなさい。あなたの役目はそこにあります」
そこでさやは目覚めた。見えるのは煤けた天井だ。さやは顔を動かして辺りを見回した。
そこは殺風景な、そしてずい分汚れた部屋だった。
どうやら家具は今さやが寝ている粗末なベッドだけらしい。あちこちに小物が散らかっており、壁や床には所々にべったり黒いシミが付着している。
「気が付いたようだね。良かった」
声を掛けたのは砂漠でさやを助けた女だった。
歳は三十代半ばくらいか。麻のような素材のゴワゴワしたシャツと、脛まである紺色のスカートという服装だ。女としては背の高い方で、濃い茶色の髪を後ろでそんざいにひとまとめに結んでいる。
一重で切れ長の目は髪と同じ色、小さめの鼻に薄い唇の顔立ちは決して不美人ではない。
しかし頬はコケて目元にはかなりはっきりとしたクマがあるために、かなり貧相な雰囲気になってしまっていた。服も明らかに手入れを怠っているようで、所々にシミがあった。
女はさやの傍に寄ると上体を起こすのを助けてやり、更に水で満たされた木のコップをさやの口元に当ててくれた。
やっと与えられた水分をさやは夢中で飲んだ。熱風に荒れた喉は嚥下する度に痛みを訴えるが、そんなことには構わずさやは夢中で水を飲み続けた。
数舜でコップが空になると、一気に身体の力が抜けた。水を飲めた安心感から張りつめていた気が緩んだのだろう。
女はぐったりしたさやに手を貸し、カチコチのわら布団に横たえてくれた。
気が緩んだせいか、今まで忘れていた身体の傷が、今度は自分を構えとさやに痛みを訴えてきた。中でも足裏の痛みは強烈だ。
それでも砂漠にいた時よりは痛みも大分マシになっていた。手当をしてくれたようで、足には布が巻いてある。
そしてヨルンの記憶にもさやは大分慣れていた。眠っている間に脳がフル回転して処理してくれたのだろう。
それに膨大な記憶ではあるが、それは映像と音だけの情報だ。その他の感覚や心の中までは含まれないので、何とか消化出来そうだった。
それにヨルンの記憶のお陰で女の言葉も分かる。女神がエルフと人間の言葉は同じと言っていたが、間違いないようだ。命の危機は脱したし、取り敢えず一安心だ。
痛みに顔を顰めながらもホッとしているさやに女が尋ねた。
「どうしてあんな処にいたんだい? ……まあ、あんな処にいたあたしが言う事じゃないけどさ。ハハ。差し支えなければ話しちゃくれないかね」
「…………」
今日は18時から5話投稿の予定でしたが16時から8話を順次投稿します。




