絶体絶命
女は少女の髪を撫でながら、優しい口調で話しかけた。
「あれだけの目に遭ったのに、此処までよく心を持ちこたえてきたわね。立派だったわ。あなたの役目はその身体を無事に此処まで運ぶことだったの。あなたはちゃんとそれを果たしたわ。だから安心して転生なさい」
女の言葉が聞こえているのかいないのか、少女はもう反応を示さない。先程の呻きで最後の力を使い果たしたのだろう。二人が来た時は大きく上下に動いていた胸が、殆ど動かなくなっている。
呼吸する力も無くなっているようだ。
女がさやに言った。
「もうすぐこの子は死ぬ。この子の魂が抜けると同時にあなたの魂、つまり今のあなた自身を入れるわ。覚悟して」
さやは少女を見つめた。幾らかでも幸せに縁があっただろうとは、どう見ても思えないお姫様。
「……この子は一体、どんなモノに転生するんです?」
「さあね。エルフか人間だけど、今度はどんな生活を送るのやら」
「……あの、あたしが転生する筈だった王女様にこの子を転生させる事は、可能ですか?」
「あの王女に?」
女は眉を上げたが、すぐにフッと笑って呟いた。
「……それも悪くないか。いざという時の交代要員にはなるだろうし」
「交代要員?」
「こちらの話よ。いいわよ。特例ってことで許可してあげる。王女様の席はまだ空いているし、そうしても計画に支障は無いしね」
「ありがとうございます!」
「初めて礼を言ったわね」
安堵と喜びに頭を下げるさやに女は笑った。どこまでも優しいその笑顔は、さやが当初はどちらかが女の正体だろうと予想していた死神でも、悪魔のものでも無かった。
その時少女がヒュー、と大きく息を吸った。その息が、ゆっくり吐かれていく。そして吐息が止まった時、少女の動きは完全に止まった。
同時に少女の胸の辺りがぼおっと光り、やがてそこからとても美しい、青い小さな光の玉が出てきた。その途端、さやはものすごい力で光が出た場所に吸い込まれていった。
吸い込まれながら、女の正体が今思っている通りなら白いドレスはテンプレだったんだなあ、と考えたところでさやの意識は途切れた。
さやの魂が少女の身体に入ったところで女神は思い切り伸びをした。
「あーあ、やっと仕込みが済んだ。一時はどうなる事かと思ったわ。〝あいつ〟が選ぶ人間はいつも一癖あるけど、今回はとにかく手こずったわね。ま、結局はその一癖のお陰でうまくいったわけだけど。結果オーライってことね。」
そう言うと女神は青い光の玉を両手に乗せた。そして横たわる少女—— さやに向かってウインクした。
「頼むわよ、助っ人さん。このしっちゃかめっちゃかな世界を、何とかしてちょうだいね」
喉を焼く熱気でさやは目を覚ました。途端に情報の洪水が凄まじい勢いで襲い掛かってきた。
少女の目に映る情景や言葉、出来事、関わる者達はさやの頭を溢れんばかりに埋め尽くす。
それこそ自分の全てを少女の生涯に塗り替えんばかりの勢いに、さやは必死に抵抗した。
何とかして少女の記憶から心を逸らそうと、さやは外部の刺激に、とりわけ最も強い感覚である喉を焼く熱気に意識を向けるようにした。
すると呼吸する度に送り込まれる熱く乾燥した空気で、さやは激しく咳き込む。当然気が狂う程水分が欲しい。
それでも苦しさのせいで何とか少女の記憶から少しだけ距離を置くことが出来たさやは、ホッと一息ついた。そしてとにかく今は辛くても出来るだけ外部に心を向けよう、と自分に言い聞かせた。
自我を守る為にも、生きながらえる為にも。
何しろ少女が行き倒れた場所は砂漠のど真ん中だ。このままではもうじきさやは干上がるだろう。
さやは何か無いかと辺りを見回した。あの女—— 女神がさやを助ける為に何らかの物資を置いてくれたのではないかと期待したのだ。
女神が自分に何かをさせたい以上、さやを何としてもこの絶望的な状況から抜け出させなければならない筈だから。
だが何処を見ても水場が発現しているわけでも、水筒や熱気を避けられる衣類などが置かれているわけでもない。さすがにさやは焦った。
(どうするんだよ! このままじゃすぐにお陀仏じゃないか!)
体力だけはどうやら多少回復しているようだった。少なくとも今すぐ死ぬという感じでは無い。
それでも衰弱は激しい上に身体の傷、特に足裏の火傷はそのままのようで、今も突き刺すような痛みがさやを苦しめた。とてもじゃないが、救助を求められる場所まで歩いて行けそうもなかった。
もしかすると少女がここに辿り着くまでの道程に、ひょっとしたら状況を打開出来る要素があるのかもしれない。
ただ記憶の奔流の中で何とか自我を持ちこたえている状況では、とてもではないが少女の記憶を探る余裕は無かった。
しかしこのままではじきにさやは死ぬ。
この時さやの頭に恐ろしい考えがよぎった。
ひょっとして女神は、さやを此処で死なせるのが目的だったのではないかと。
(何考えてるんだよあんたは! やっぱり悪魔だったんだろう!)
歯を食いしばって痛みと喉の渇きに耐えながら、さやは女神を罵った。だがやがて悪態をつく気力も無くなりその場に倒れ込んだ。もう指先すら動かせない。
太陽は大分下がっているようで、もう少しすれば暑さは和らぎそうだった。しかし今度は熱気に代わって夜の冷気がさやの体力を奪うだろう。
どう考えても詰んでいる状況だった。
見上げる空は、ひたすら青い。
さやは力なく笑った。
(とことん運が無いなあ。トラックに潰されたと思ったら、今度は砂漠で野垂れ死にか)
さやは思った。あの女神は何の為に自分をこの少女に転生させたのだろうかと。この少女の
寿命をほんの少し延ばす事に、何の意味があったのだろう。
(もういいや。今のあたしにはどうでもいいことだ。あーあ、あれだけあいつに噛みついて守った〝さや〟も、これで終わるのか)
さやは自嘲した。何一つ成し遂げられない人生だったと。
何も出来なかった。一生を全うすることも、これと決めた仕事をやり通す事も。
これだけはやり遂げたのだと満足出来るものなどまだ何も無いうちに、全てが終わるのだ。
自分が身体を受け継いだ少女との約束だって——。
その時さやが抑え込んでいた少女の記憶の一片がさやの頭を駆け巡った。それは少女がエルフの国を追放されてから此処に辿り着くまでの記憶だった。
少女は一度も自分を放り出した故郷を振り返らなかった。ひたすら前を見て、人間の国を目指して歩いて行った。
さやの中にある少女の記憶は視覚と聴覚だけだ。
それでもギラつく陽射しの中を火ぶくれだらけになりながら、暗く冷たい夜の砂漠で身を縮めながら、時々倒れ伏して眠る以外は進むのを決して止めなかった。足裏の火傷でさぞ痛かっただろうに、それでも少女は信じられない程長い距離を歩いてここまで来たのだ。
そんな彼女に自分は何と言った?
〝約束するよ! あなたの身体に転生したら、あたしがあなたの役目を果たす!〟
さやは跳ね起きた。
今日はここで投稿を終わります。
明日は18時頃から1時間おきくらいに5話投稿する予定です。
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