転生へ
「まあ今更遅いけど、良かったじゃない。少なくともあなたの責任じゃ無かったんだから」
「いや、あたしの責任ですよ」
慰める女にさやは首を振ってキッパリと言った。
「あの事務所の清掃は全て自分が担当していたんです。ポーチの異常にも、自分が気付いて対処するべきでした」
しかもポーチは自分の物だ。例え根本の原因は自分に無かったにせよ、あの事務所で働く人達が嫌な思いをするのを防げなかった。それは本当に申し訳ないと思う。気付けなかった自分に恥じ入るばかりだ。
それでもさやの口元には笑みが浮かんだ。他の現場の人達には嫌な思いをさせてはいなかったことに安堵したから。
「これで気が済んだわね。それじゃあ出来るだけ急いで行くわよ」
女はさやを砂漠に連れて来た。今のさやは何も感じないが、ギラギラ照り付ける太陽を見ただけでも汗ばむような気がする光景だ。それに何処を見回しても、オアシスどころか強烈な陽射しを遮る岩一つ無い。
二人の足元には一人の少女が横たわっていた。女神はその少女を指差して言った。
「こうなったらエーデルランドの王女にあなたを転生させるのは諦めたわ。あなたが転生するのは、この子よ」
年のころは十七、八歳だろうか。少女は傷とホコリにまみれていながらも、それと分かる程美しかった。
百合の花を思わせる清楚で整った顔立ち。スラリとした肢体。肩まで伸びた漆黒の髪は今でこそクシャクシャだが、手入れすればさぞかし美しい艶を帯びるだろう。
そして力なく見開かれた目は、今そこに映っているであろう空の様に鮮やかな青色だ。
だがその衣服は砂漠を渡るにはあまりにも粗末で、しかも靴すら履いていなかった。身体で服に覆われていない部分は、酷い日焼けによる水膨れだらけだ。
何より酷いのは足の裏の火傷だった。素足で砂漠を歩いたことが原因に違いない。真っ赤に腫れている。
「——一体どんな素性の子なんです? 年齢は?」
「十七歳。エルフの王女の娘よ。だから一応この子もお姫様、ということになるわね」
「十七かあ。酒が飲めるようになるまで三年待たなきゃならないのはキツイなあ」
「そこ⁉ 他に気になる所は無いわけ⁉」
「エルフの王女にしては、人間と変わらない外見ですね。確かエルフって髪の色は金とか銀で、耳が尖ってたような…… それに王女だったら何でこんな状況なんですか?」
「この子の事情については面倒くさいから割愛するわ」
「それはあんまりですよ! 何も知らないで転生したら、どう考えても困るじゃないですか。面倒くさがらずに教えて下さいよ」
さやの抗議に、女は本当に面倒くさそうに付け加えた。
「何でこんな事になってるかというと、国を追放されたからよ。それ以外の詳しい事情と素性については、あたしが説明しなくても大丈夫よ。あなたがこの子に転生したと同時にこの子の記憶もあなたのものになるから、それで確かめて。言葉も記憶が渡れば問題なく使えるでしょうよ」
「それにしても追放されてどこにも頼れない身の上なら、王女様より処世術のある庶民の方が良かったですよ。それからこの子、エルフの国を追放されたってことは人間の国で暮らさないといけないんですよね? 言葉とか習慣とか、本当に大丈夫なんですか?」
口をとがらせるさやを女はじろりと睨んだ。
「あなたをこの子に転生させることが絶対必要なの。ここまで要求を受け入れてあげたんだから、これ以上は受け付けないわよ。年齢や言葉については心配無用よ。この世界は十六歳になれば大人がやる事は大概許されるし、エルフもどこの国の人間も同じ言葉を使っているの。あなた達の世界の様に、怒った神が皆の言葉を通じないようにした、なんて事はこの世界では起こらなかったから。読み書きについては、まああたしからのサービスということで庶民レベルの国語力を付けてあげる。それだけあれば習慣の違いぐらい何とかなるでしょ? 全く、あれだけやられたのに、あたしったら人が良過ぎるわ!」
プンプン頬をふくらませる女に、さやは一番気になっている事を聞いた。
「ところであたしはこの世界に転生したら、一体何をすればいいんですか? いまだに教えてくれないけど重要な事でしょう?」
すると女はこう言った。
「この世界で何をするかについては、全てあなたに任せるわ」
「任せるって…… そんないい加減な事で良いんですか? あたしのやる事があなたのやらせたい事と違っていたら、どうするんです?」
呆れるさやに女は肩をすくめた。
「そうしないと、上手くいかないのよ」
「上手くいかない?」
怪訝な顔をするさやに女は言った。
「今回の一件は、純然たるあなたの意思で向かう事が必要なの。あたしに命令されて行動しても、多分解決しないわ。あなたがこの世界に転生して見聞きした事でどう動くか、何をするかを判断して」
「……そうなんですか」
そう言われてはさやも引き下がるしか無かった。好きにして良いのだと言われて文句を言う筋合いは無い。
まあこの少女に転生すれば彼女の記憶である程度この世界の事情も分かるだろう、とさやは自分を納得させた。
その時横たわる少女が微かな呻き声を上げた。女は表情を改めて少女の傍らに膝をつく。すると少女がうっすら目を開けた。まず傍にいる女を見て、それからさやを見た。
(まさか、あたし達が見えているの⁉)
さすがに動揺したさやから少女は再び女に視線を移すと、かすれ声で言った。
「……あなた達は誰? 人間? それとも、死の使い? ……私はたどり着けたの? ……それとも、死ぬの?」
女は少女の頭に手を置いて、優しく答えた。
「あなたを迎えに来たの。あなたの魂はもうじきその身体から離れる。そして別の存在に生まれ変わるわ」
すると、少女の顔が大きく歪んだ。少しでも身体に水分が残っていれば、泣いていただろう。
「……死ぬのね、私は」
短いその言葉は真っ黒な絶望に塗りつぶされていた。少女は咳き込みながら更に絶望と無念の言葉を紡いでいく。
「……辿り着けば私にも役目があるのだと思っていたのに。私は、ただ皆を不幸にしただけで、死んでいくのね ……生まれてから一度も、誰の役にも立てなかった………… そうよ、私は、只の汚点だったんだわ。私なんか…… 生まれてこなければ良かった」
血を吐くような言葉は全てさやの心にずっしりと圧し掛かった。だってさやと彼女は他人ではない。さやはこれからこの少女の真っ黒な絶望に塗られた記憶を抱えて生きていかなければならないのだ。
絶望を吐き尽くした少女の瞳は虚ろになった。自分が死ぬと分かり、最後の気力を失ったのだろう。やがて少女の真っ赤に腫れた素足の先が、徐々に黒くなっていった。
「——まずいわね」
女が眉をひそめて呟いた時、さやはこの世界で最初の決断を下した。
さやは女に尋ねた。
「もう一度確認しますけど、あたしがこれからどう決断して行動しようと、全てあたしの自由なんですよね?」
「——ええ、そうよ」
女が答えるとすぐさまさやは少女の傍に寄り、強い口調で言った。
「大丈夫だよ! あなたが果たす筈だった役目は、あたしが引き継ぐから!」
少女が何の為に何処にたどり着こうとしていたのか、今のさやは全く分からない。
それでも彼女が死ぬ前に、せめて自分のやってきた事は意味があったのだと思わせてやりたかった。それがこれから彼女の身体と記憶を引き継ぐ自分の責務だと、さやは思ったのだ。
少女はさやを見た。さやは少女の心に届くよう、必死に言い募る。
「聞いて。あたしはこれからあなたの身体と記憶を受け継ぐんだ。だからあなたが果たす筈だった役目があるなら、あたしが代わりに果たしてあげられる。約束するよ。あなたの身体に転生したら、あたしがあなたの役目を果たす!!」
さやがそう言い切ると、虚ろだった少女の目に光が宿った。少女はさやを食い入るように見つめ、さやが頷く。
その時少女は一瞬だけだが強く呻いた。すると、少女の足先を覆っていた黒いものが金粉と化して弾け飛んだ。
それを見た女は微笑んだ。
「——さすがね」




