ノックアウトで決着
「ああどうしよう! この案件はこれ以上先延ばしに出来ないし、かといって今更計画の変更も出来ないし……」
余程取り乱しているのだろう。女の口から、さやの前で言っちゃいけないだろう言葉がポンポン出てくる。
白いドレスを着た妙齢の女が髪を振り乱し、鬼気迫る形相で歩き回る姿は壮絶なものがあった。機会があったらファッションについてアドバイスしてやろうかと思いながら、さやはここが勝負どころだと腹に力を入れてこう言った。
「もしあたしが今挙げた願いを全て承知して頂けるなら、あなたが仰ってた〝後世まで語り継がれる偉業〟っていうのをやっても良いですよ」
「へ⁉」
また目が点になった女にさやは言葉を続けた。
「色々言ってるけど、つまりあなたはあたしにその偉業とやらをやらせたいんでしょう? いいです。やりますよ」
さやの言葉を聞いた女の顔に生気が戻ったが、すぐに探る様な目になった。
「……それ本気で言ってるの? 言っておくけどそれだけの条件を付きつけられたら、幾ら何でもみんなからチヤホヤされる王女様って訳にはいかないわよ? 超絶ハイスペックイケメンに囲まれてウッハウハもちょっと……」
「だから要らないですよ、そういうの全部!」
さやの顔を伺いながら恐る恐る言う女に、さやは思い切り顔をしかめた。
「真綿にくるまれるよりは、地に足を付けた生活がしたいです。それに何人もの男達に熱愛される状況なんか、出来れば御免こうむりたいですよ。恋の相手なんて、一人いれば十分です。あたしを巡って男達が熾烈な求愛合戦をするのにどう対応するべきか考えるなんて、想像しただけでも胃が痛くなりますから。そういうアプローチに全く気が付かないアホな鈍感女になるのも願い下げだし」
さやはまだ疑り深そうな目で自分を見ている女に、もう一度自分の要望を言った。
「あたしにその偉業をやらせたいのなら、さっき言った条件が全て可能な転生先にして下さい。そうしたらあたしは—— その世界であたしが誰かの為にやるべき事があるなら、出来る限りの事をやります」
為すべき事があるなら出来る限りのことをやる。この言葉に嘘は無かった。
自分が生きる世界で果たすべき役割を果たす。それはさやにとって欠かす事の出来ない、自分の誇りを育む大事な要素だからだ。
今までのさやにとっては、それが清掃の仕事だった。自分が掃除することで誰かが気持ちよく過ごせるのだと思うから、さやは世界で誇りを持って生きていけた。
清掃の仕事は生活の糧を得る手段である以上にさやの誇りの源となる、世界でさやが果たす役割だったのだ。
だから次の人生でさやに与えられた役割があるのなら、さやはそれがなんであれ尽力するつもりだった。
その為にも自分自身を失わずに転生するという要求だけは、何としても勝ち得なければならない。
今女はさやが王女様の生活をぶち壊すような要求を積み上げた事で、パニックになっている。最悪でもこの要求を通せば他の事は諦めると言えば、承知する可能性が高い。
女はさやをしばらく無言で見つめていたが、やがて口元を吊り上げて笑った。
「成る程ね。あいつが選んだだけの事はあるわ」
「あいつ?」
「あなたがいた世界の、要は管理人ね。どうしても必要な人材がいなくて困ってるって言ったら、あなたを紹介してくれたのよ ……まあそんな事はともかく、あなたの言い分は分かったわ。でもそうなると困ったわね。あなたの希望を全て通すとなると、あの王女では無理だわ。だけどあの王女以外に適当な人材なんて——」
そう言いかけた女ははっとした顔になり、叫んだ。
「待って! ちょっと待って!」
そして顎に手を当て考え込む。
「……あれをこうして、あっちをああする。それで、あそこをああすると、こうなるから…… ああ、でもあの問題があった!」
女は少し悩んでいたが、さやをチラリと見て呟いた。
「まあ大丈夫でしょ。これだけ図太ければやってけるわ」
そして女はニッコリ笑ってさやに言った。
「いいわ。あなたの願い、全て叶えてあげる」
(え⁉)
思わず声を上げそうになったさやは慌てて口を閉じたが、内心驚いていた。
まさか全て受け入れられるとは予想外だったから。
「それじゃあ話もまとまった事だし、さっさと行くわよ。思い残す事は無いわね」
「あ、ちょっと待って下さい!」
女の言葉にさやは慌てて言った。
「あの、今まで生きてきた世界で挨拶しておきたい人達がいるんですけど」
「あなたの親類縁者には転生先に向かう途中で、別れの声かけはさせてあげるわよ。まあ、あなたのお葬式には間に合わないけど」
「親類だけじゃなくて…… 清掃していた処の人達なんですけど」
「仕事先にまで? 面倒くさいわね」
女は嫌そうに顔をしかめたが指をパチンと鳴らした。すると空間に幾つかの画面が浮かぶ。
そこにはさやが清掃に入っていた場所が全て映っていた。
「さすがにそこまでは手が回らないわ。だからこれで勘弁してよ。向こうにはあなたの姿も声も聞こえないけど」
さやは画面に映っている清掃先と顧客を見つめながら、一つ一つに頭を下げた。
「途中で仕事を放りだすような事をしてごめんなさい。それからあたしの臭いで不愉快な思いをさせてしまってたら、すみませんでした」
すると、さやの謝罪を聞いていた女はこう言った。
「言っておくけど、事務所の人が嫌がっていた臭いはあなたの体臭じゃ無いわよ」
「え⁉」
驚くさやの目の前で、女が再び指を鳴らす。
すると今度は見覚えのある黒いウエストポーチが現れた。いつも自分が雑巾などのちょっとした掃除用具を入れて身に付けていたものだ。
「臭いを嗅いでみなさい」
言われて何も考えずに強く嗅いださやはうえっとなった。酷い臭いだ。女は肩をすくめて言う。
「あなたが臭ったのは、これが原因よ」
「そんな…… こんなに臭うなんてあり得ないですよ! 臭うような物は入れてないし、二か月に一度は家で洗っているのに!」
「あなたそのポーチを外の用具置き場に置いていたでしょう。丁度あなたがそのポーチを洗ったばかりの頃にあの事務所の人が用具置き場に入って、施錠をし忘れたことがあったの。その時に野良猫が入り込んで、ポーチに粗相をしたってわけ」
「へ⁉ 猫⁉」
さやは唖然とした。まさかそんなアクシデントが起きていたとは夢にも思わなかった。
「あの倉庫は隙間だらけだから臭いはこもらないし、身に着けたポーチを嗅がぐようなこともしないしね。大体自分の臭いなんて分からないでしょ。しかも午後の仕事の時は新しい作業着に着替えているし、帰宅したらあなたはすぐさま作業着を洗濯機に放り込む。だから気が付かなかったのよ。それで一か月程経った結果、あなたはクビになったの。運が悪かったわね。せめて臭いが付いてすぐにあなたが洗濯していれば、大丈夫だったでしょうに」
「盲点だった…………」
さやは脱力した。




